第15話

 三人のうち金髪の女の子は、僕を確認するや否や、呆れ顔で額に手を当てている。スクッと元に戻ったその女の子は、足早にレジに向かってきた。


「メガネは?」

「いえ、あの、金城さん……? じゃなくて、お客様……ち、近いんですけど……」

「そういうのはいいから。メガネはどうしたのか答えてよ。もうあの二人来ちゃってるんですけど?」

「そ、そう言われましても……。店長に『いつもの感じで』と言われておりますので……」

「今すぐメガネかけて。そうじゃないと気づかれちゃう」

「今この状況を二人が目の当たりにしたら、だいぶ僕って気づかれやすいんですけどね」

「え? それって……はっ!」


 咄嗟に金城さんは後ろを向く。僕らが楽しく談笑している(緊迫している談笑とは)この状況を、他の二人が見てしまえば、もう終わりである。ゲームオーバーである。


 金城さんに続いて、二人も僕の真ん前に来る。


「あれー? 音葉ちゃーん、オタクくんはどこにいるのー? それに、そこの店員さんとなんだか仲がいいんだねー」

「え、えーっと……。オタクっちはまだバイトの時間じゃないんだよねー……。あ、あと一時間くらいでお仕事だよー……。あははー……」


 なんとか誤魔化している。……というか、そうか。小鳥遊さんや蝶番さんは、ここでのバイト中の僕の姿を見たことがないのだ。金城さんはこの姿の僕を誰にも見せたくないとかなんとか言っていたけれど、実際のところ見せても何も問題はないはずだ。なぜなら僕だと分かっていない訳だし……。


 つまりこれは、何もしなくてもいいのでは? まさに逆転の発想だった。


「金城さん?」

「な、なに?」

「君はバイト中の姿を、二人に見せたくないって言ってたよね? でも考えてみてよ。二人はこの姿を初見だから、僕だって気づいてないんだよ? ならいっそのことメガネをつけない方がいいのかもしれないよ」

「ッ……。た、たしかに……。それはいい策なのかもしれない……。で、でもそうするなら……」

「そうするなら?」


 僕の耳元で彼女は囁く。


「絶対にバレちゃダメなんだからね……」


 なんだか、いけないことでもしているのかと思ってしまう。別にただバイトをしている少年と、ドリンクを飲みに来た少女の会話なんだけどな。


 とにかく僕は、小鳥遊さんと蝶さんの二人にバレないようにバイトをしなくてはならなくなってしまったのだ。


 でも待ってくれ。た、小鳥遊さんは……この姿では初対面であるはずの僕を、ジーッと、そしてうっとりと、そんな眼差しで見つめてきている。


 いや、バレてね?



 ****



 いつも通りに仕事をする僕。金城さんはレジで並んでいるにもかかわらず、鋭い眼差しを僕に送ってきている。仕事をしている中で視線を感じ取る方法を、すごく唐突にマスターしてしまったのかもしれない。


 淡々とお客様の注文に対応し、他の店員にそれを伝える。ひたすらそれの繰り返しである。無感情で無表情でやることで、こういう仕事は疲れることがなくなるのだ。だから僕は何も思わず、何も感じないことで一切の疲れを生じない。


 しかし彼女らの番になり、それはすぐに崩れる。


「ご、ご注文はどうなさいますか……」

「カフェラテとドーナツ!!!」

「か、かしこまりましたー……」


 そんなに大きな声で言わなくても、近くにいるんだから聞こえているに決まっている。


 そして次の人。


「ご注文は……」

「オススメは?」

「はい?」

「オススメはどれか教えてくれる? あとはなんのドリンクとなんのケーキとかが合うのかとか。それで? オススメは?」

「オススメ……オススメですね……? そうですね、こちらのキャラメルマキアートなどが当店で一番の人気を誇っておりますが……」

「ふーん。じゃあそれにする。アタシも音葉と同じでドーナツにしようかな」

「ありがとうございます……。少々お待ちくださいね」

「あ、あと店員さん」

「はい、なんでしょうか」


 注文を終え、次の人に変わるはずの蝶番さんは、僕を引き留めてきた。


「イケメンだね、君」

「そ、そんなことありませんよ……」


 金城さんは蝶番さんを危険と感じたのか、すぐに注文の品が出てくる他のカウンターに連れて行った。


 そして最後の人。


「い、いらっしゃいませ……。ご注文は何になさいますか……?」

「声が震えてるよー? 緊張してるのかなー、もしかして君って新人くんなのかなー?」

「い、いえ、新人ではありません。声が震えてるのはお気になさらず……。これが普通ですので……」

「分かったー。じゃあ注文だねー。ボク、あんまりここへは来たことがないからー、無難にオススメを頼もうかなー。それとー、クロワッサン! あとはー……」


 もう一つ何かを頼もうとしている小鳥遊さん。


「あとはー……。これかなー……」


 指をさす彼女。その先にあるのは、当たり前で、誰でもない、レジにいる店員の僕だった。


「へ? 僕? え、ちょっと待ってください、どういう意味ですか?」

「だからー、君が欲しいんだよねー、君がー」

「や、やだなー! 冗談はよしてくださいよー!」

「ううん。冗談なんかじゃないよー? ボクは君が欲しいんだー。ずっと前から、君だけが欲しかったんだ……」

「え……」


 その言葉の意味は分からない。その言葉の意図は分からない。でも、なぜだか恥ずかしくて、顔が赤くなってしまった。


「あ、赤くなったー」

「いや、これは、違くて……!」

「あははー。君は面白いねー」


 え?


「え? 今……」

「あははー。いいもの見せてもらったなー。音葉ちゃんずっと秘密にしてただなんて。イジワルだなー」

「ちょっと……! さっき、なんて……」

「んー?」


 すると小鳥遊さんは、金城さんがやったのとはまた違った感じで耳元に近づく。金城さんは自分からだったけど、今度のは僕を優しく引き寄せて、小鳥遊さんも少しだけ身を寄せて、双方が互いに近づいていくようにしたものだった。


 そして囁く。


「バレてないと思ってたのー……? 残念、バレバレだよー……」


 やはりか。小鳥遊さんは離れる。


「えっと、いつから……?」

「見た時からかなー。から、遠目からだと分からなかったかもー」

「マジか……。すごいね、小鳥遊さんは……。初見のはずなのに……」

「うーん? あ、君は覚えてないのかー」

「覚えてない、とは?」

「いいや、なんでもないよー。それより、瑠璃奈ちゃんは気づいてなかったぽいねー」

「? そうだね。たしかに」

「それじゃ、バイトがんばってね。オタクくん大好きだよー」

「それ、今朝もやられたんだけど……」


 からかってから、彼女は二人のところへ行った。このことは金城さんに言った方がいいのだろうか……。


 そんなことより、『』か。僕と彼女は、どこかで会ったことがあるのか?


 その疑問だけが残った。

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