第18話

 翌日。ひどく疲労していた体は元通りに元気いっぱいに戻り、身体中の至る所から力があふれるような感覚がした。なんというか、自分がどこかのヒーローであったかのような感覚。なんでもできるような気がして、なんにでもなれるような気もした。


 しかしそんな嘘みたいなことは、とてつもなく辛辣に言えば、ただの感覚であり、そしてただの気のせいだったのだ。だから本当は何も変わってなどおらず、別になんでもできたり、なんにでもなれたりするわけでもないのだ。


 ……朝だから、まだ夢でも見ているのだろうか。僕は自分の頬をつまむ。つねる。ねじる。痛いのは当然、だが表情には出さないし、声にも出さない。もう一度確かめるために、今度は叩いてみようかと思った。


 ペチッと、僕が実行に移した瞬間に隣の席にいる小鳥遊さんは質問をしてくる。


「なぁにしてるのー、オタクくーん」

「夢なのか夢じゃないのか試してるのさ。よくやるでしょ? ほっぺたをつねったり、叩いてみたり」

「なぜそんなことを……」

「寝ぼけてるからね。僕、自分でも分かるのさ。自分が夢見心地な感じがして、馬鹿げた考えを持っていると、まだ寝ぼけてるってね」

「ふーん。じゃあボクがやってあげようかー?」

「それこそ、なぜそんなことを……だよ、小鳥遊さん」

「別にいいじゃーん。あんまり変わらないしー」

「いや変わる変わらないとかじゃなくて、どうして僕が小鳥遊さんに叩かれるのかの根本的な理由をだね……」


 ピトッと触れる。平面にした手のひらを、僕の頬にくっつける。彼女の温かい手のひら。柔らかい手のひら。小さな手のひら。可愛らしい手のひら。


「んふふー」

「ッ……。それで? 何がしたいのさ?」

「うんー? うん!」

「いや『うん!』っていう元気のいい返事じゃなくてさ……。叩くの? 叩かないの?」


 スリスリと上下に動かしてみる小鳥遊さん。その行動に、なんの意味があるというのだろう。さっぱり分からない。小鳥遊さんも、なぜそんなことをするのか、さっぱり分からな……。


 いや、分かる。分かるぞ。そうだった、小鳥遊さんは僕を赤面させて、からかいたいがためにこんなことをしてくるのだ。理由はそれであり、となると……これも全て僕をからかおうとするための行動に過ぎないのか。


 依然、小鳥遊さんは上機嫌に僕の頬を撫でる。


「あのー……、もういいかな……」

「だーめ……! ボクが満足するまでだよー」

「そんなに赤面させたいの?」

「もちろん!」

「はぁ……。小鳥遊さんは最初、寝ぼけてる僕を目覚めさせるためにやってあげるって言ったんだよ? 赤面させたいなら、やることやってから……」

「そんなこと!」

「え?」


 珍しく、小鳥遊さんが自分に注目するように言った。


「そ、そんな、こと……」

「うん……」

「そんな、ひどいこと……しないよ……」


 それは悪魔的だった。まるで見た者全てを魅了して、心を奪っていくほどの効力を秘めた、僕には効果抜群の笑顔だった。



 ****



「なぁーにオタクっちのほっぺた触ってんのぉー? 最近二人はイチャイチャしすぎなの!」


 僕たちの間に割って入ってきたのは、金城さんだった。まさか見られていたとはな……。恥ずかしすぎる。


「い、いやー、イチャイチャってほどじゃな……」

「これはどう見てもイチャイチャでしょ! もうやめてよ! すっごくイライラするから!」


 はて? イライラするとは? 何に対して? 何のせいで?


「二人がするならウチもするー!」

「えっ? ちょっ!」


 乱入してきた金城さんは、小鳥遊さんのやっていることと同じことするべく、小鳥遊さんの手が触れていない方の頬を触った。近い方が良いからと、僕の席に座ってきたため、窮屈でかなり座りにくい。それに金城さんが痛そうで心配だった。


「ん? 何よオタクっち? もしかしてウチにほっぺたを触られるの、嫌なの?」

「嫌ではないけど……。その……かなり窮屈で、金城さんが苦しくないかなー、とか、痛くないかなー、とか思ってたから……」

「ウチの心配してるの? なら大丈夫だよ、全然苦しくもないし、痛くもないし。それに、仮にそういうことがあるなら……」

「うん」

「こうすれば……!」

「え? 金城さん?」

「いいことだし……」


 どういう状態なのだろう。僕の膝、というか太ももに金城さんが乗っている、という状態。さらにここから彼女は回転し、横を向く体勢となる。落ちそうな体を僕が倒れないように、崩れないように、背中と脚のところを持ってあげると、彼女はとても嬉しそうに笑った。可愛い。


 いや、可愛いとかじゃねーわ。今これはどういう状態で、なんでこんな状態になってしまったんだよ。それにこれはなんだ? なんだこの可愛い女の子は? 僕の腕の中に心地良さそうにしている、この子は? しかし小鳥遊さんは不満だった。それもそうだ。自分の手を阻まれて、しかも目の前で自分のおもちゃを奪われているのだから。なんだかかわいそうにも思える。


 小鳥遊さんは頬を膨らませてアピールした。可愛い。


「き、金城さん? さ、流石にこれは顔が近くて、すごく恥ずかしいんだけど……」

「恥ずかしい……? 恥ずかしいって思ってくれてるんだぁー! うれしー! ちゃんとウチのこと女の子って思ってくれてるんだねー!」

「ああ、うん、まぁ……」


 うろたえる僕。嬉しがる金城さん。相変わらず頬を膨らましている小鳥遊さん。


 なんだこれ? とりあえず僕は、こんな地獄みたいな状態から抜け出させてくれる助けが欲しかった。


 そんな時に、また思わぬところから助け舟が出てくる。


「やめなー」

「あぅー……。あ、瑠璃奈ー」


 蝶番さんは、金城さんの頭を鷲掴みにして、ぐわんぐわんと動かして弄んでいた。

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