第44話

 小鳥遊さんと帰るのは楽しかった。質問をして、答えて。また質問をして、それに答えて。ただそれだけのことだけれど、僕にとってはとても楽しく感じられた時間となった。


 楽しいと思う反面、なんだか気まずい。それもそのはず。何せ小鳥遊さんから、遠回しな告白を受け取ったのだから。受け取った? いや、受け取ってはいないか。だって僕のことを未だに好きとは限らないし、初恋は初恋でも、それは全て過去のものだ。今僕をどう思っているのかは分からない。


 ……分からない。本当に分からない。でも……。でも……。なんだろう。期待してしまうんだ。僕のことを、今でもそういうふうに思っているのだろうか、と。淡い期待だ。薄い期待だ。浅はかな期待だ。


 彼女は今の僕を見てどう思ったんだろう。あの時に聞いておけば良かったな。人の印象は大事だから、どうすれば小鳥遊さんに気に入ってもらえるかを考えることができるのだ。……ん? あれ? 小鳥遊さんのことばかり考えているような……。


 動揺しすぎだ。初恋の男の子だった、と知ったくらいで、どうしてそこまで舞い上がる。舞い上がっているんだろう。


 まあ、嬉しいのは嬉しいよな。そりゃあ。小鳥遊さんに初めて会った時の僕が、どんなに子供で、今とは全く変わっていないんだろうけれど、それでも自分自身のことだから、やはり嬉しく思う。


「嬉しい……。嬉しいな……」


 独り言。誰もいない自宅にて、一人、喋る。


「あの時の……あんな僕を……好きになってくれて……」


 あの時の、あの当時の僕は、普通とは違ったんだろう。課されただけのものをやり遂げているだけの、どこにでもいそうな少年。未来なんて漠然としたものだけで、まだかわいい夢を見られるような、そんな普通の子供の時期とは少し違った。


 僕は、小鳥遊さんの家族に被害が及ばないように、策を練ったり、黒山に隠蔽を行わせたりと、かけ離れた思考回路があった。


 今考えれば、とんでもなく可愛くない子だな、僕。生意気そうだ。


「……とにかく、先を見据える力があった。見据えすぎたために、自分の行き着く終着点を察した、か」


 さて、カレンダーを見てみよう。あと数日。あと数日で学校が終わる。そして、あと数日で僕は実家に帰る。


 だるい……。とてもとても、だるい……。学校も実家も、施設も。全てがだるい。面倒くさい。


 まあいいや。どうせあと数日だ。時間は止まったり、巻き戻ったりはしない。早めることもできない。あと数日を早めようとは思わないけどね。


「仕方ない。帰らないと怒られるし。というか、強制的に帰らせられるし。どのみち、か……」


 もうすぐで夏が始まる。



 ****



 ついにやってきた数日後。終業式が終わり、終礼が終わり、全てが終わって帰る時間になった。


「オタクくーん!」

「はい? どうかした?」


 小鳥遊さんがいつものように声をかけてくる。それにいつものように返事をし、振り向く僕。日課になりつつあるこのやりとり、違和感はない。


「暑いー!」

「うん、暑いね。夏だからね」

「もう夏ー! 夏といえばー?」

「暑い」

「だよねー!」


 小鳥遊さんの顔を直視すると、不意に心臓が強く拍動する。一度だけだが、かなり強く、響くのだ。


 ……それで、用件は?


「だよねー、じゃなくて。どうかしたの?」

「うんー? うーん? 夏だねー?」

「夏だね」

「夏休みだねー?」

「夏休みだね。それで?」

「何か用事とかあるー? ないなら、ボクとずーっと一緒にいられて……」

「ごめんね、小鳥遊さん。実家に帰るんだ、僕。絶対に外せない用事なのさ」

「実家、に……」

「そう。実家に。帰省って言うのかな? とりあえず実家に顔を出さないと、多分めちゃくちゃ怒られちゃうから」

「ふ、ふーん……。それって、施設にも顔を出すのー?」


 僕は首を縦に振る。


 実家に帰ることは、つまり、施設にも一旦戻るということ。実家が直接的に施設と繋がっているわけではないけれど、多分というか、100パーセントの確率で、強制的に連れていかれる。


 しかし顔を出すために戻るだけであり、その施設でもう一度教育を受けるわけではない。ただ顔を出すだけ。特に何もしない。僕がしたくない。


 小鳥遊さんは少し不満だった。納得はしていそうだが、自分の思い通りにはならなくて、頬を膨らませている。


「僕と遊びたかった?」

「うん……」

「ごめんね。こればっかりは、僕にもどうしようもないのさ」

「うん……分かってるけど……」

「それに、ほとんどの夏休みは実家で過ごすだろうし、多分あんまり遊べない。本当にごめんね」

「んぅ……。いいよ……」


 僕は彼女の頭を撫でてあげた。不満そうな顔は変わっていないが、機嫌が良くなっていることは分かる。なんかそういうオーラを出しているし、分かりやすい。


「それじゃあ……また二学期で……」

「うん、バイバイ……」


 校門に付けている黒い車に乗り込んで、綺麗な黒色のシートに腰をかける。外も中も、いかにも高級そうな車。運転をしているのは黒山だった。なぜ黒山?


「曇さま。なんでお前が運転してるんだよ、と思いましたね?」

「あ、ああ。思ったけど?」

「先生からの命令ですよ、これも」

「そうかよ」


 車は前に動き出した。よし、それじゃあ、今から個人的に地獄だと思う場所へと向かう。


 かたっ苦しそうで、見るからに偉い大人たちに、何を言われてもいい。僕は僕なのだから、この制服を着ている理由を、自分の考えと意思を、伝えようじゃないか。


 実家に帰る。三司高等教育施設に戻る。地獄に足を踏み入れる。


 ついに、僕の夏休みが始まる。

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