第42話 一応決着が着いたんですかね
「ごめんねマサくん。あたしの寝相悪くて」
「うーん、やっぱセミダブルでもダメか。
ダブルベッドかキングサイズにするかな」
就寝前の予想を裏切らず、朝起きた時の俺はフローリングで丸くなっていた。決して自分で落下したのではなく、一人で寝る分にはこうはならない。
落とされたはずなのに目が覚めず、そのまま眠り続けるのもどうかと思うが。
「ねぇ、やっぱりあたしも一緒に行くよ」
「いや、
俺はこの後銀行に向かい、金を持ってあの男との縁を切りに行く。ギャルは制服姿で朝食まで用意し、いつでも登校出来る状態なのに、未だに渋っていた。
不安な気持ちも分からなくはないが、彼女が同行したところで
「それよりさ、思い入れの深い家具とかはあるのか? どれだけ回収出来るか不明だからさ」
「え? 洋服とかあれば一応平気だけど、引越し先の部屋に冷蔵庫とかあるの?」
「足りない分はついでに調達しに行くよ。
余計に争うより、新調した方が気楽だし」
「これ以上お金使う気!?
どんだけお人好しなのさ!?」
「お人好しなんじゃない。君の為だからだ」
こちらの発言を聞き、菜摘が黙り込んでしまったまさにそのタイミングで、息子を抱えた母親がやって来た。
相変わらず下着と見分けがつかない恰好だけど、そんなラフさにも見慣れてしまった自分がいる。とは思いつつ、刺激の強さに目線が落ち着かないが。
「おはよーふたりとも。朝から仲良しねぇ」
「……ママ。あたしの彼氏の前なんだけど」
「あら、マサくんは私にも欲情しちゃう?」
「しませんよ!!」
「ちょっとエロい目で見てたクセに」
「菜摘までそんなこと言ってくれるなよ……」
ペースを乱されながらも、なんとか今日の予定を説明した。聞きながら食事をする麗奈さんは、申し訳なさそうにも見えるが、心做しか嬉しそうにしている。
一方娘は溜め息を漏らし、明らかに乗り気でない雰囲気だった。
「マサくんたら、本当に過保護ねぇー」
「自分でもびっくりしてますよ」
「ママ、もうそんなレベルじゃないよ?」
「でもマサくんは決めちゃったんでしょ?」
「はい。俺がそうしたいんです」
「それなら私達は恩に報いる為、精一杯幸せにならないとねぇー!」
その一言は、思いの外俺らにとって大きく響き渡る。幸せにしたい俺の想いと、貰うばかりで気まずい菜摘に対して、シンプルにお互いが寄り添える良いキッカケになった。
「ありがとうマサくん。あたし学校行って、ハルちゃんにも元気な姿見せてくるね!」
「あぁ。そうしてやってくれ」
こうしてギャルの出発を見送り、準備を終えた俺達も自家用車に乗って家を出る。
まず麗奈さんと
奴はどんな顔をして待ち構えているのだろうか。
高まる緊張感に息を飲み、インターホンのボタンを押した。
「……ふん。逃げずにやって来たか」
ムスッとした顔で出てきた男は、俺よりも元妻の様子を伺うように、視線をちょいちょいそちらに泳がす。ついでに抱えられる息子も見ていたが、ほとんど相手にされていない。
玄関から部屋に通されてすぐに、アタッシュケースを正面に掲げて、本題を切り出した。
「ここに約束の金額が入ってる。確認しな」
眉間にシワを寄せながら受け取った男は、恐る恐るケースの蓋を開け、中の札束を数え始める。百万の塊が二十五束ある事を確かめた奴は、満足そうにニヤけて話し出した。
「いいだろう。これで契約完了だ。
お前達には二度と関わらないと誓ってやる」
「んじゃ、この誓約書に一筆頼むわ」
「ちっ。意外と用心深い奴だ」
金を渡す条件として、先日の秘密遵守の件を、不可侵条約のように記した書類である。
念の為用意しておいたので、奴の目の前に突きつけ、渋々ではあるがサインと印鑑を押させた。麗奈さんの睨みが聞いていたのだろう。
ここまですんなり進むとは思わなかったが、お互い一枚ずつ誓約書を取得したところで、引っ越しの準備へと取り掛かった。
「ねぇ、何を置いていけばいーい?」
「俺の物と生活必需品は置いていけ。
それ以外はどうでもいい」
「ならそうするわ。マサくん、このタンス運ぶの手伝ってくれるー?」
「はい。これを車に積んだらすぐに」
離婚届はまだ役所に提出していないから、厳密に言えば元ではないのだが、頬杖をつきながら元妻を眺める男の視線は、酷く粘着質で気味が悪い。もちろん手を貸そうとはしないが、忙しなく動き回る俺達から、目を離そうともしなかった。
荷物自体はそんなに多くなく、小さめの乗用車に詰め込んでも余裕がある。いよいよこの家ともおさらばとなった。
「さぁ早く出ていけ。いい加減目障りだ」
「言われなくても出ていきますよーだ」
「おー? ばいばーい」
「くっ! 悠太、お前までその態度か」
「おったん! ぶーぶ! ぶーぶー!」
「息子にとってはあんたとの別れより、車に乗る方が重要らしいな」
「黙れ! ガキは所詮ガキだ!」
最後のやり取りは、息子に何か淡い期待をしていたようにも思える。だが一年近く父親と会っていなかった二歳児には、最早親子という認識すら皆無に近かっただろう。躊躇無く手を振り、機嫌良く車に乗り込んだ悠太を見ると、それなりに円満に終われた気もしてくる。
やっと解放する事が出来た。菜摘に苦しい思いをさせ、大人としてあるまじき裏切り行為まで働いた奴を、彼女達から遠ざける事が出来た。
札束を投げ付けてやったに過ぎないが、この達成感は中々に感慨深い。
これから先のギャルの人生を想像すると、こちらまで浮き足立ちそうな気分だった。
「マサくんとっても嬉しそうね!」
「えぇ。菜摘の笑顔を思い浮かべただけで、顔の筋肉がとろけてきそうです」
「じゃあ私はそんな二人を眺めながら、幸せをおすそ分けしてもらうねー」
「そんなんで良ければ、いつでも分けますよ」
荷物を下ろした新居はファミリー向けに造られたビルなので、俺の部屋より一回り広い。三人家族で暮らすには十分過ぎるスペースで、むしろ持って来た家具や衣類がポツンとしていた。
予め備え付けなのはエアコンのみだし、まともな居住感ある空間に変わるには、しばらく時間が必要になりそうだな。
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