第52話 穏やかな朝は待ち望んだ今日

 黒髪少女を悩ませた親子問題が解消され、迎えた文化祭当日の土曜日。明け方まで仕事をしていた麗奈れいなさんは家で寝ているらしく、いつもより登校時間の遅いギャルは、弟を抱えて朝から我が家に来ていた。

 俺の為だけに朝食の準備をする姿に、もう今すぐ嫁に迎えたいとさえ思えてくる。そのぐらい文化祭を楽しみにしている彼女は、鼻歌混じりに浮かれた様子だった。眠気も自然と覚めてくるな。

 

「あ、マサくん。明希乃あきのさん来たよー」

「マジか。ずいぶんと早いな」

「早くて悪かったわね。菜摘なつみちゃんが朝食作っててくれるって言うから、お腹空かせて来たのよ。とってもいい匂いねー」

 

 なんだ、俺だけの為じゃなかったのか。まだ時間あるし、もう少し寝直そうかな。

 

「ちょっとマサくん、拗ねないでよ。ご飯冷めないうちに食べて欲しいんだけど」

「お姫様は王子様の口付けで目覚めると、相場が決まってるんだぞ」

「なにそれ。フツーに逆じゃん今の状況」

「俺は今お姫様になりたい気分なの」

 

 寝ぼけ半分とは言え、意味不明な駄々っ子発言を繰り出すオッサンは、本人的にも痛々しい。

 しかし清い心を持ったギャルは呆れる事もなく、ソファーに転がって不貞腐れる俺に、優しく慰めるようなキスをしてくれた。

 

「菜摘……君という奴は……」

「これで目を覚ましてくれた?」

「目の前のギャルが愛おし過ぎて、このまま天にも昇りそうだよ」

「あのさ、明希乃さんが待ってるから、早くテーブルに着いてくれる?」

「はい、すみません」

 

 半ギレ状態の彼女に手を引かれ、目を擦りながら食卓の椅子に腰を下ろす。

 やはり菜摘の味噌汁は最高だとしみじみ浸っていると、側面に座る悪友も目を瞑って味わっていた。

 

「明希乃、お前なんか老けたな」

「あのさぁ、目の前に鏡置いてあげよっか?

 君もお爺さんみたいな顔してたよ?」

「鏡なんてなくても想像出来るわ。この朝食で得られる安らぎには、頬もたるんでしまう」

「まぁその気持ちは分かるわぁー」

 

 最早三十路手前同士のやり取りとは思えない。隠居中の老夫婦が、孫の手料理に感動しているみたいだった。正面に座る若者だけが頬杖をついて、理解に苦しむといった様子だが。

 

「二人とも、あたしと一回りも離れてないんだよね?」

「そうだぞぉ。君も十年後にはこうなるさ」

「えぇー。なんかすんごいヤダ」

「ヤダとか言うな! 明希乃が泣くぞ?」

玖我くがくんだいぶ浮かれてるみたいね。まだ出発まで時間あるし、少し落ち着いたら?」

「明希乃さん、あたしそろそろ出るんで、マサくんのことお願いします」

 

 溜め息混じりに立ち上がった菜摘を見ると、なんだか切なくなる。色んな不安要素がひと段落ついて、変なテンションだったのは否定しないけど、こんな事で印象を悪くしたくはない。

 居ても立ってもいられず、玄関まで見送りに行くと、彼女は苦笑いを浮かべていた。

 

「ご飯食べてていいのに」

「まぁ、ちょっとな……。あとで見に行くから、気を付けて学校行けよ?」

「うん! 楽しみに待ってるからね!」

「おう、いってらっしゃい」

「いってきー!」

 

 無事に笑顔で送り出す事が出来て、ホッとしながらダイニングに戻ると、ニヤけた視線を向けられ無性に腹が立ってくる。

 

「本当に仲良しなのねぇー」

「そうだよ。文句あるか?」

「ううん、玖我くんは変われたんだなぁって。

 見てるだけで私も嬉しくなるよ」

「なんだよそれ。らしくねーな」

「そうかもねー。さて、私はそろそろ食べ終わるし、弟くんと遊んでようかな」

 

 明希乃に続いて朝食を済ませ、悩みながらも出掛ける準備を済ませた。なにしろ高校の文化祭なんて十年近く行ってないし、母校以外は初体験である。どんな服装をすべきか、必要な所持品はあるのか、色々と考えてしまった。

 最終的には明希乃や悠太ゆうたの恰好を見て、かしこまり過ぎない程度に落ち着いたのだが。


 悪友が幼児の面倒を見てくれてる間に洗い物を済ませ、いつでも出られる状態にはなったものの、何度も鏡を確認してしまう。どうも普段とは違う種類の緊張感が走り、ソワソワする気持ちが抑えられないのだ。

 そんな俺を見兼ねたのか、明希乃が悠太を抱いてこちらに来た。

 

「ほらゆうちゃん見てごらん。

 オッサンが自分の姿に見惚れてるよー」

「おー、おったん! かっきいぃー」

「悠太ぁー、お前は本当にいい子だなぁ。

 明希乃もこの素直さを、少しは見習えば?」

「私は充分、自分に正直に生きてると思うけど」

「ある意味そうかも知れんな。

 取り繕わずに遠慮無く毒吐くし」

「でしょー? まぁその服で菜摘ちゃんが恥かいたりはしないから、安心しなよ」

「わざわざそれを言いに来てくれたのか?」

「こっちが見てて恥ずかしだけよ」

 

 なんとなくだが、今日の明希乃はトゲトゲしさが薄れている気がする。もっと懐にずかずかと踏み込んで、平気で傷を抉るような奴だったのに。

 昔から面倒見の良さは持ち合わせていたが、こんなに穏やかだったかな?


 その後も悠太と遊びながら時間を潰し、文化祭の開催時刻を見計らって駅に向かった。

 菜摘達の高校までは三十分足らずで到着し、最寄り駅からは賑わう人集りも目立ち始める。

 悠太も大人しく手を繋いで歩いているけど、いつでも抱きかかえられる準備はしておいた。

 

「すげーな。これが公立高校か」

「それって何についての関心なの?」

「ん? なんか門も校舎も、中学校みたいにシンプルな造りだなぁって」

「この学校は割と一般的だと思うよ。

 築年数もそんなに古くなさそうだし」

 

 中学から私立に通っていた俺としては、敷地に入った瞬間に、周辺の飾り気の無さから違和感を感じたが、立ち並ぶ出店には活気が溢れている。地元の盆踊り大会を思わせる雰囲気は、決して嫌いではない。

 エネルギッシュな高校生達の声と熱気を潜り抜け、菜摘達の下に辿り着くだけでも大変そうだな。

 

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