第58話 もう会いたくなかった相手だけど
「この駅に来たのは久しぶりだな」
前日に約束した待ち合わせ場所は、親父の会社からの最寄り駅。
五分ほどそこで待っていると、上品な長い茶髪に、眼鏡を掛けた女性が近付いてきた。
「
お久しぶりですね」
「え、七種さん!?
ちょっと印象が変わりましたね」
「もう三年くらい経ちますから。前はコンタクトでしたけど、目が疲れてしまうので、今は度付きのPC用眼鏡が使い易いんです」
眼鏡もそうだけど、前は髪が黒かったし、もう少しキリッとした女性だったと思う。こんなにふんわりした雰囲気じゃなくて、出来る秘書みたいな印象だった。しかし声や話し方は相変わらずで、自然と肩に力が入ってしまう。
気まずさを隠す為、こちらから提案を出す。
「立ち話もなんですし、どこか入りますか」
「あ、近くにお気に入りのカフェがあるので、そこにしませんか?」
「七種さんにお任せします」
案内された場所は、彼女と出会った初期の頃に何度か訪れている、懐かしの喫茶店だった。昼間だし酒にも誘われないと余裕でいたが、本当になんの害もない所を選ばれたな。
「思い出しませんか? ここで私達、連絡先とか交換したんですよね」
「そうでしたね。まだ俺が大学生の頃でした」
窓際の静かな席に通されると、よりハッキリと当時の記憶が蘇ってくる。
あの頃から思っていたけれど、本性さえ知らなければ、すごく美人なお姉さんなんだよなこの人は。今目の前でメニューを見ている姿も、うっかり見惚れてしまいそうになる。いかんいかん。
「正義さんはアイスコーヒーですか?」
「あ、はい。よく分かりましたね」
「夏でも冬でもアイスが好きだったじゃないですか。ちゃんと覚えてますよ」
口元に手をやり微笑む姿はとても品があり、ここに来る前の警戒心が薄れてしまう。彼女とカフェに入るのも一度や二度じゃないし、好みを把握されていても不思議じゃない。だがなんとなく嬉しく思ってしまうのは何故だろう。
飲み物を待ちながら軽く近況を報告し合い、待ち合わせの駅は単に馴染みがあるからだと分かった。彼女の家や職場はここから離れていたけど、何故か家同士は割と近い。俺がマンションを購入したのは今年に入ってからだし、ただの偶然であると願いたかったが、この人の行動にはやはり裏があった。
「正義さんはマンションを二棟購入されてますよね? 部屋探ししている際に、オーナー名で出てきたので、びっくりしましたよ」
「……そうきましたか。じゃあもう住んでる場所もバレてる感じですか?」
「ご実家も売り払われてましたし、そのマンションで暮らしてるんでよね」
一瞬和らいでいた気持ちに悪寒が走り、届いたコーヒーを飲んで無理やり落ち着ける。
やはり七種相手に油断などしてはならない。ここは牽制を入れて距離を取らねば。
「ないとは思いますが、また押し掛けようとしたら、エントランスで追い返しますよ」
「友達として遊びに行くのもダメですか?」
「恋人もいるので、過去に関係を持ってしまった女性を招くわけにいきませんよ」
「あら、
「それをあなたにお伝えする義務はありません。明希乃とは友人として親しくしてます」
あえて突っ撥ねる言い方をして遠ざけたつもりだが、少し考え込む様子を見せた七種は、不敵な笑みを浮かべながら会話を再開した。
「そうですか。正義さんのそういうところ、以前から全く変わっていないんですね」
「どういう意味ですか? あなたに接する態度なら、そう簡単には変わりませんよ?」
「違いますよ。あなたは今でも優しさという刃で、無自覚に周りの人を傷付けているんだなぁと思いまして」
「………何が言いたいんですか?」
「わからないのであれば結構です。第三者視点からの、軽い忠告だと思って頂ければ」
また何か企んで揺さぶりを掛けているのか、はたまた本当に俺がやらかしているのか。彼女はそれ以上深掘りしようとせず、その後二十分程度世間話をして解散した。
用事があるからと駅から反対方向に歩いていく背中に、俺は違和感しか感じられない。別れ際まで妙にあっさりし過ぎて、自意識過剰だったのかとさえ思えてきた。恋人がいるからと諦めたのだろうか。相手の情報も探らず、食い下がる素振りも見せずにか?
俺の頭だけで考えたところで答えは出ず、かと言って問題が起こったわけでもなかったので、一旦忘れる事にした。ややこしくなるのも面倒なので、七種と会った事は明希乃にしか話していない。
それから二週間が経過しても、七種からの音沙汰は無く、胸騒ぎだけが消えずに残っていた。用件も無く呼び出し、顔を見ただけで終わるだなんて、到底考えられない。
不審に思いながら時計を見ると、夕方の六時を過ぎていた。
「あれ?
普段なら四時頃にメッセが届いた後、一時間程で帰宅する。しかし放課後以降連絡も無しに二時間掛かっているのは、さすがに心配だ。
俺から菜摘にメッセを入れ、既読が付かないのでそのまま
「二人して反応無しとはおかしいな。
事故にでも遭ってなければいいけど」
最悪の事態まで考え、慌てて部屋を飛び出す。エレベーターで下まで降りている間、俺の心臓はずっとバクバクしっ放しだった。どこかで道草食ってるだけなら、笑い話で済ませるけど。
一階に到着し、ハラハラしながら見回したエントランスの外では、信じられない光景が俺を待ち受けていたのだった。
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