第38話 傷を抉りに来た男
日が傾き始めた静かな住宅街で、俺の耳に入ってくるのは、少女の小さくて悲しげな呻き声のみ。玄関の向こう側に居る彼女は、今まさに深い悲しみを抱えて、泣いているに違いない。
それに寄り添う事さえ拒まれてしまった俺は、扉に手を当てて、無力感に打ちひしがれていた。
「……あたしだって、マサくんのことが大好きだし」
不意にポツリと聞こえてきた声は、悔しさが滲み出ている。俺を突き放そうとした原因は、やはり簡単なものではないのだろう。
「
「……でももっと困らせちゃうからムリ」
「馬鹿を言うな。ここで君を見捨てるくらいなら、有り金全部捨てる方がまだ楽だよ」
数秒間の間を置いて、ガチャっという音と共に玄関が開く。中から顔を見せたギャルは、さっきの冷たい雰囲気とは一変して、可愛い顔をぐしゃぐしゃにしながら涙を零していた。
そして飛び付く勢いで懐に入り込み、細い腕で俺の体に強くしがみついてくる。
あまりにも辛そうな姿に、優しく金髪を撫でて慰める事しか出来なかった。
「マザぐんじゅぎ!! だいずぎぃ!!」
「そんなに泣きながら言うなよ。
周りに聞かれたら心配されるだろ?」
「だっでぇぇえ!」
「わかったよ。俺も菜摘が好きだからさ」
鼻水をズルズルさせながら、ただ純粋に好意をぶつけてくる彼女は、本当に愛らしい。
「とりあえず、何があったか教えてくれ」
「……うん」
少しだけ落ち着きを取り戻した菜摘は、家の中に通してくれた。
「実は……クソ親父が帰って来たんだ……」
「君を売ったクズ野郎か。よく戻れたな」
「なんかあの時のことも、実際は一週間だけ娘を好きにしていいって話だったみたい」
一週間? 五十万で娘を売るとか、リスクのデカいやり方してるとは思ってたけど、期日を設けていたのか。
それにしてもふざけている。本人の意思に関係無く、親の金儲けの道具として娘を使うなんて。
今すぐぶん殴りたい。
「それでもただの犯罪者だぞ、あいつらは」
「……うん。でもマサくんのことも知ってた」
「俺を知ってる? どういう意味だ?」
「あたしらを見てたみたい。
どっかで見掛けた日から、見張りまでつけて」
世の中には、ストーカー気質な人間が多いのだろうか。子どもとしてではなく、どうせ商売道具として監視してたのだろうけど、その親父は危な過ぎる。どう排除してくれよう。
「俺らの弱みでも探してたのかな。
そんで、そいつは今どこに?」
「昨日も今日も、仕事だって言って朝から出掛けてるよ。家出する前に、前の職場辞めてたから、今はなにしてるのか知らないけど」
「わかった。
「え? なんで?」
「家で留守番してくれてるんだよ。遅くなりそうだから、先に帰っててくれって伝える」
「待って! パパに会うつもりなの!?」
素になると呼び方もそうなるのか。とんでもない奴でも、十年以上も父親として見てきたんだし当然ではある。かなり胸糞悪いけど。
「菜摘を苦しめる奴を、俺が放置するはずないだろ。もう絶対に近寄らせないよ」
「でもヤバいって!!
何されるか分かんないんだよ!?」
「もうされてるんだよこっちは。
大切な人をこんなに傷付けられたんだ」
「マサくん……」
カッコつけてはみたものの、特に策があるわけでもなく、内心ハラハラしていた。しかし菜摘を裏切った上に、今もこんなに不安を持たせるような、害悪である事に変わりない。
苛立ちを隠せないまま対処法を考えていると、おもむろに部屋のドアが開かれた。侵入してきた男は恐らく父親だが、年齢は俺より一回りは上だろうか。パッと見ドラマに出る俳優かと思ってしまうほど、顔もスタイルも抜群に整っていた。服装もカジュアル系のジャケットを着こなし、風貌には惹き付けられる。
「見慣れない男物の靴があるかと思えば、学校をサボって男遊びか菜摘?」
高い身長から吐かれた声は、低く響きながらも寒気を感じさせる。視線も冷たく、俺など眼中に無いと言いたげに、娘だけを鋭く睨んでいた。
向けられた敵意には強気の対応を示すギャルも、この時ばかりは顔面蒼白し、口を閉じながらも怯えているのが分かる。
「あんたが菜摘の親父か?」
「……勝手に他人の家に上がり込んで、口の利き方も知らないらしいな」
「自分から出ていったクセに、よく言うわ」
「それがお前に関係あるのか?
この部屋の契約は俺の名義なんだぞ?」
「そうかい。なら今度は菜摘の親権でも主張して、自分の行いを正当化するのか?」
「何を聞いたのかは知らんが、職を失った俺の代わりにバイトを頼んだだけだ。家族の問題に、これ以上関わらないでもらおうか」
平然とした態度を崩さないところを見ると、向こうも考え無しに来たわけではないらしい。娘への悪巧みから、もっと頭の悪そうな人物を想像していたけど、これは中々に厄介だ。
「じゃあ率直に言わせてもらうけど、これ以上菜摘達に危害を加えるな。彼女が訴えれば、あんたの有罪は確定的だぞ?」
「未成年の娘をたぶらかしておいて、どの口が言うんだ? お前こそ訴えられるぞ?」
「残念だったな。相手が女子高生でも、互いの真剣交際が認められれば、罪には問われないんだよ。あんたみたいに不純な動機は無い」
父親の眉がピクリと動いた。今の指摘は多少精神を乱れさせたらしい。
俺を横目にしか見ていなかった奴は、こちらを正面に見据え、少しずつ距離を詰めてくる。
「それならお前の秘密をバラしてやろうか」
この男が何を言っているのか理解出来ず、見下してくるその顔を睨み返したが、どうやら菜摘は何か知っているらしい。急に目を見開いて、慌ただしく立ち上がった。
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