第40話 母はギャルよりも強し
保育園から
まずあの家を出て、俺の持ちビルに引っ越して欲しいこと。新居までの距離は、俺の自宅から徒歩三分程度。
次に
そして最後に、これまで通りの関係でいて欲しいこと。菜摘とはもちろん、母親や弟ともだ。
「離婚届はもう書いてあるけど、私には高い家賃を払うお金無いよぉー?」
「それは心配しないで下さい。
俺のワガママなんで、家賃は要りません」
「そこまでお世話になるわけにも……」
「もし麗奈さんが良い人見付けたら、また考えましょう。それよりもお願いがあります」
「なーにー?」
「菜摘にバイトを辞めてもらいたいんです」
俺の話しを聞いたギャルは、またもやあたふたし始める。母親は不思議そうにしていた。
「なんであたしがバイトしちゃダメなの?」
「やりたいならいいんだ。ただ俺が君と一緒に居る時間を、もっと増やしたいだけだし」
「そ、それならあたしも嬉しいけど……」
「私は構わないわよー? なっちゃんはお家のこともやってくれてるからねぇー」
気の良いギャルは自分一人で抱え込みかねないし、バイト中や帰り道に、あの男が接触してこないとも限らない。なるべく目の届く所に居て欲しい。そう考えての提案だった。
思いのほか話はすんなりと纏まり、あとはクソ親父と縁を切るだけ。離婚で揉めなければ良いのだが。
そんな不安を拭えないまま、彼女らのアパートに到着した。さすがに少しは緊張する。
「なんだ? なんで麗奈まで居るんだ?」
「私も全部知ってるんだから。
もうあなたとは生きていけません!」
俺から対応する前に、先に美魔女が動いた。いつになく凛とした姿勢で、旦那に詰め寄っている。どうもこの夫婦、妻の方が立場が強いらしい。男は渋い顔で
「お、俺だってもううんざりだ! 金にもならないなら、全員この家から出て行け!」
「言われなくてもそうします! 荷物は明日にでも取りに来るから、絶対に触らないで!」
「あぁ好きにしろ! それよりも金だ!」
先程までとは打って変わって、ガキ臭く取り乱す中年は、見ていてすごく愉快になる。
「まぁ慌てるなよ。銀行の窓口がこの時間に開いてない事くらい、あんたも知ってるだろ?」
「おい、そう言って逃げ出すつもりか!?」
「そう来ると思って、頭金を用意した。
この百万を先に渡すから、残りは明日の朝だ」
ギャルを買った時と同じ要領で、封筒に入れて保管しておいた現金を手渡す。まさかこんな展開が、二度も繰り返されるとはな。
「ちっ! 誠意を示す気概はあるらしいな」
「あとの二千五百万も、明日の午前中にこの家まで持って来る。だから必ずここに居ろ」
歯を食いしばりながら睨んでくる男を見て、なんだか勝ち誇った気分だった。
すぐに追い討ちをかけるように、麗奈さんは記入済みの離婚届を突き付けた。
本当にいい気味である。
「金も手に入るし、一人で自由に生きられるなら、俺もせいせいするわ!」
捨て台詞として吐かれた男の言葉は、価値観が更新された俺にとって、泣き言にしか聞こえない。あえて聞かなかったフリをしつつ、菜摘達の一晩分の宿泊荷物を纏めていた。
「ではさようなら!
あなたの顔は二度と見たくありません!」
「言われるまでもない! 二度と会うか!」
去り際までバチバチやっている二人は、妻の逆鱗が圧倒したまま幕を閉じる。
俺の家までの道半ば、ギャルは深い溜め息を漏らした。
「あのクソ親父、全然反省してないし……」
「反省したところで、俺は許さないけどな」
「マサくん激おこじゃん。珍しいね」
「当然だろ。奴は俺の誇りを
「誇り? どういう意味?」
「君みたいな素敵な女性に好かれたのは、俺の人生最大の誇りだ。誰にも譲ってやらん」
「す、ステキな女性……」
こんな事を真顔で言っても、これっぽっちも羞恥心が湧いてこない。彼女との出逢いが、俺の内面をどんどん変化させていると、改めて実感した。隣を歩くギャルは、暗がりでもはっきり分かるぐらい真っ赤になっているが。
家に着いて客間を貸した後、菜摘は何事も無かったかのように夕食の支度を始める。対する母親は疲れた顔でソファーに座り、その様子をぽかんと見ている幼児が気の毒になった。
「ごめんな悠太。
お前にはとんだとばっちりだよな」
「おー? おったん! あとんで!」
「割と元気だな。なにして遊ぶ?」
「たかいたかーい! って!」
「いいけど、最近重たいんだよなぁ」
「あって! たあいたかーい!」
二歳児を天井に向けて放りながら、少し複雑な気持ちになる。菜摘の為にと必死だったけど、巻き込んだ母と弟には、これで良かったのだろうか。三人の人生に責任を持てる程、俺に器用な生き方なんて出来ない。かと言って、菜摘だけに関わる問題でもない。
声を出して喜ぶ幼児は、とても無邪気に笑っていた。
「また、助けられちゃいましたね」
「麗奈さん、身勝手なやり方ですみません」
「そんな事ないですよ。
マサくんは私達にとって恩人です」
「そう言って頂けると、気が軽くなります」
「なっちゃんの事、末永くお願いしますね」
「はい。菜摘は必ず幸せにしてみせます」
なんの躊躇いもなく出た言葉に、自分でも驚きを隠せない。ついさっきまで不安さえ感じていたのに、ギャルに関してはもう決定事項になっている。すでに今更感はあるけど、ここまでリスクにズカズカ踏み込むとは。人間いくつになっても、変われるものなんだな。
「おったん! ねねしゅきー?」
「んー? オッサンはねーねが大好きだぞ」
「ゆうたんは? ゆうたんふき?」
「あぁ、悠太のことも大好きだ」
「ゆうたん、おったんすき!」
とりあえず今はこれでいい気がしてきた。と言うか、これ以上の幸せなんてあるのか?
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