第9話 ギャルの苦悩は百万程度じゃ消えやしない

 途中参戦してきた菜摘なつみ達の母親を含め、三人と幼児一人で食卓を囲んでいると、それはそれでなんだか楽しく思えていた。

 なんでも母親はスナックに勤めているらしく、ひたすら喋っているだけでお金が貰えるところが天職なのだとか。通りでマシンガントークが止まないわけだ。

 

「二人は普段なんて呼びあってるのー?」

玖我くがのオッサン!」

「おい! 最近では普通に玖我さんって呼んでただろ。なんでわざとらしく戻るんだよ!

 あー、俺は菜摘とかギャルとかですかね」

「あんただっていつまでもギャルって言ってるじゃん! ちゃんと名前にしてよ!」

 

 言ってることめちゃくちゃだなこいつ。もっと言えば、一番多いのはあんたってワードなんだけどな。名前どころか特徴ですらない。

 

「うふふ、仲良しなのねー。

 私のことは麗奈れいなちゃんって呼んで下さいね」

「は、はぁ……。記憶には入れておきます」

「ちょっとママ! 何言ってんのマジで!?

 あんたもさ、もしママを名前で呼んだりしたら、心の底からドン引きするからね!?」

「いや呼ばないけど。

 菜摘のお母さんでいいですか? 

 麗奈ちゃんはやっぱ厳しいんで」

「あーん、マサくんもつれないのねー」


「「マサくんって誰だよ!!?」」

 

 意図せず菜摘とハモってしまった。セリフもタイミングも寸分違わず揃ってたし。

 それにしても水商売やってるだけあって、フレンドリーと言うか馴れ馴れしいと言うか、懐にグイグイ入ってくる人だな。娘も強引なところは目立つけど、こんなに露骨ではない。

 

「息ぴったりねー。さすが、なっちゃんをここまでデレさせた人ですね」

「え、この子デレるんですか?」

「またまたー。今もデレてるじゃないですかぁ。こんなに恥ずかしがっちゃって」

 

 俺には怒りに震えているようにしか見えないんだが。主にお母さん、あなたに対して。

 確かに時折ツンデレ感あるデレ方をする素振りも見るが、そりゃ大の男に言われれば恥ずかしいよなって思う程度で、このお母さんの思ってるニュアンスとは違う気がする。

 

「いい加減にしてよママ! 変なことばっか言わないで! あたしが気まずいから!!」

「あらごめんね。そんなつもりじゃなかったのよ。お詫びにこれでアイス買ってくる?」

「………うん」

 

 母親から五百円玉を渡されたギャルは、そそくさと玄関から出て行った。たぶんすぐ目の前にあるコンビニでも行くのだろう。

 というか女子高生ってそれで機嫌取れるんだ!

 めっちゃチョロいじゃねーかあの子!

 その内もっと酷い騙され方しないだろうな?


 唖然としつつも、心のざわめきが拭えずにいた俺は、ふと隣から漂う良い香りに落ち着きを取り戻す。甘い香水の匂いだろうか。そちらに視線を向けて最初に目に入ってしまったのは、またもざわつきを思い出させる、豊満でいかにも強調されたような胸元である。

 

「ちょ、麗奈さん! はだけてますから!」

「あらごめんなさい。接客の癖が出ました」

 

 心臓に悪い癖だなまったく。ご褒美だけど。

 そんな緊迫感の欠けらも無いと思っていた空気の中、突然母親が深々と頭を下げ始めた。

 

「この度は菜摘を助けて頂き、本当にありがとうございました。この御恩をお返しする為でしたら、私もなんだってしますから」

「頭を上げて下さいお母さん。恩なんてもう充分返して貰ってますし、お気になさらず」

「そうはいきません。お金だけではなく、あの子の心もあなたが救ってくれたんです」

「心……ですか……?」

 

 土下座する勢いでそう話しているが、俺はそこまで大層な事なんてしていない。

 そう思っていたのだが、続けられた真実によって、少しだけ俺が取ってる行動の重要性が見えてきた。

 

「菜摘を売ろうとした人は、あの子にとって本当の父親ではないんです」

「どういうことですか?」

「六年前に再婚した、悠太ゆうたにだけ血を分けた父親です。それでも菜摘は高校に上がる少し前まで、あの人を父親として慕っていました。あの子は裏切られたんです」

 

 そう語る母親の目元は、涙で化粧が滲んでいる。パートナーとして選んだ相手が、愛する娘を苦しめていたなんて、自分自身も許せなかっただろう。そんな悔しさが溢れていた。


 どうやら実の父親とは菜摘が三歳の頃に別れたらしく、働き方も知らなかった母親は、手っ取り早く稼げる方法として夜の仕事を選んだと言う。

 しかし娘が十歳になった後に客だった今の旦那と再婚し、菜摘にとっても初めての父親みたいなもので喜んでいたそうだ。

 

「でも菜摘が中学生になり、悠太を身篭った頃から、あの人は変わってしまいました。色々とお金もかかり大変だったのでしょう」

「なんで血の繋がった子でもないのに……とか、思っていたんですかね?」

「それもよく言ってました。あと成長した菜摘に対し、強く当たるようになったんです」

「まさか手を出したんですか!?」

 

 思わずちゃぶ台を叩きながら立ち上がりそうになった。なんでギャルに対してこんなに肩入れしてるんだ俺は。いや理由なんて知れている。いつだって一生懸命に生きている彼女を、傷付けられるのが腹立たしいんだ。

 

「私の見ている前では怒鳴るくらいでした。

 きっと菜摘は我慢してたんだと思います」

「彼女は叩かれてたとしても言わないでしょうね。自分の苦痛を表に出さないので」

「はい。なので旦那を問い詰めたら、去年の冬にこの家から出ていきました」

 

 なんだよそれ。自分に都合が悪くなったら逃げ出して、今度は菜摘を都合良く餌に使おうとしやがって。その男はクズ野郎の代表格じゃないか。親だと思ってた菜摘にとって、これ以上の裏切りはない。許せないだろ。


 そんな憎悪の念に身震いしていると、居間の扉が少しだけ開いている事に気が付く。

 

「……もう話し終わった?」

「ごめんねなっちゃん。

 やっぱり察してくれたのよねー」

「当たり前じゃん。この歳になって五百円で釣られるわけないし!」

 

 そのむくれながらも元気な姿が目に入って、俺は息が詰まり言葉が出てこなかった。

 

「はぁ!? あんたなんで泣いてんの!?」

「な、泣いてねーし! お前がいい子過ぎるから他人の百万倍幸せになって欲しいとか、全然そんなこと思ってねぇし!!」

「めっちゃ具体的に言ってんじゃん……。

 てかあたし、今でも充分幸せだよ?」

「何寝惚けたこと言ってんだ!! 君の幸せなんてなぁ、まだまだこれからなんだよ!」

「はいはい……。ありがとね、玖我さん」

 

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