第10話 特別になりつつあるから困るんだよ
ようやく夢から覚めた。覚めるまでに三日もかかった。別に三日間ずっと眠り続けていたわけではない。あの日から空っぽな頭の中に巣くう、ギャルの純真な姿が離れようとしなかっただけだ。本当にそれだけだ。
今時のという言い方は好きじゃないので使わないが、このご時世にそんな清い心を持った少女がいるか? いや少なくとも俺は彼女しか知らない。そう、今日も俺の家で献立を考えてる彼女だ。ついでに二歳児も居るがやっぱ可愛ええのう。
「最近あんま買い物行ってないっしょー?
食材少なくて大したもの作れないよ?」
「すまん。確かにサボってたわ。なんか必要な物あれば、今から調達に行ってくるぞ?」
「んー、今日は暑いし、冷やし中華と
「なんの不満もござらん。どうせ美味いし」
「いや、出来合いとほとんど味付け変わらないんだけどこれ」
特に変わった様子は見せないが、俺の心中は大きく揺れ動いていた。
でも今朝ようやく大事な事を思い出す。それは面倒事に巻き込まれたくないという、俺にとって捻じ曲げようのないアイデンティティだ。
「おったん、あっこ! あっこってー!」
「おー、抱っこか。よーし、してやるぞぉ」
「すっかりオッサンになっちゃったね」
「いやまだ二十七歳前だって!」
「そだねー。お兄さんですねー」
「なんで俺が菜摘にあやされてんだよ」
「だってコントやってるみたいで面白いじゃん。それ狙ってたんじゃないの?」
エプロン姿で振り返った彼女が、眩し過ぎて直視出来ない。辛く苦しい思いをしてたはずなのに、どうしてそんなにいい笑顔を見せるんだよ。お兄さんには理解が及びません。
「もうできるから、そろそろゆうちゃんを座らせてくれる?」
「おー、手際が良いな!」
「本当に簡単なのしか作ってないし」
「わー、ピッタリじゃん!
ゆうちゃんよかったねー!」
「おー! こえ、ぱんだ?」
「パンダじゃないよー。イスだよー、イス」
「おー? こえいす、おったん?」
「そうそう!
オッサンが買ってくれたんだよー。
ありがとーしようねぇ!」
「おー! おったん、あいあとぉ!」
父親が違ってもやっぱりこの二人は姉弟だな。しっかり心が通じ合っている。
こんな光景、俺の人生には無縁だと思っていたのに。
「君達が喜んでくれるなら、買った甲斐が有るってもんさ。本当に良い買い物をしたよ」
「へへー、大事に使うね」
「なんで菜摘の方が嬉しそうなんだよ」
「だって嬉しいんだもーん。
胸が痛む。彼女は自分より弟の幸せを喜んでいるのに、俺ときたら自身の安寧を優先するばかり。こんな奴が近くに居たら、彼女まで毒されてしまうのではないだろうか。
今日の夕食は簡単な物だと言っていたが、しっかり工夫が凝らされていてやっぱり美味い。
出来合いをそのまま調理するのがどれほど手抜き行為なのかを、改めて実感するなこれは。
「ごちそうさまー。
ある物で簡単にの定義がさっぱり分からん。
棒々鶏ってこんなに美味い料理だったのな」
「だいぶ好みも分かってきたからねー」
「そうなの? それでまた隠し味とか?」
「うーん、それ以上に愛情かな?」
「はい!!? 愛情!?」
「なーんちゃって! ドキッとした?」
ドキッとしたどころか、心臓止まるかと思ったんだが。
なんで俺、こんなに脈が速くなってんだ?
十歳以上年下のギャルにからかわれて、情けないぞ本当に。冷静になれ!
「まぁびっくりはしたよ。一瞬だけね」
「そっかー。びっくりだったかー」
「あんまり大人をからかっちゃあかんよ?」
「それよりさ、なんで玖我さんは彼女とか作らないの? こんなすごい家があったら、寄ってくる人も多いんじゃない?」
いきなり話題がすっ飛んだな。しかも俺のトラウマをほじくり返す内容だし。
「……それが嫌なんだよ」
「それがって? 財産目当てがってこと?」
「二回失敗してる。経済力に寄り付いた女なんて、反りが合わなくてぶつかるんだよ」
「そうだったんだー。じゃあ三度目の正直は愛を求めてるってわけだ!」
「そんなものが存在するならな」
結局俺みたいに保守的な奴は、女性以外から見ても面白くなんてない。転びそうな場所は歩かないし、疲れてきたら無理せず休む。そんなリスクを回避してばかりの生き方なんて、本人は満足出来ても周りからの期待や信頼は無くす。だから俺は一人で気楽にやりたいんだ。
「愛なんて探さないと見付からないって言うけど、案外近くにだってあるじゃんってあたしは思うよ? 意識してないだけでさ」
「ほーう? 女子高生の感じる愛とは?」
「だってさ、誰かの為にって思って動いて、それを受けた人がすんごく嬉しくなったら、それってもう愛じゃん? やった人もやられた人も幸せになるって、愛情以外あるの?」
分からなくはないけど、愛の定義ってそんなに単純なのだろうか。深く掘り下げればいくらでも出てくるけど、入り口付近はそんな感じかもしれない。難しい議題だけど、何よりそれを語る嬉しそうな表情が気になる。
「それも確かに愛の形として正しいかもな」
「でしょー! だからこの椅子も、玖我さんからゆうちゃんへの愛だね!」
「あー、そう言われてしっくりきたわ」
悠太の椅子に関してはそれこそ念入りに考えた。安全性とかメーカーも調べたし、レビューなんかも見て決めている。何が俺をそこまでさせたかって、結局悠太への愛情だよな。
「よし! なんかあたしもスッキリした!」
「なにかモヤモヤしてたの?」
「べつにー?」
「おー? 女子高生の恋バナでも聞かせてくれるのか? おじさん興味津々だぞ?」
「なにそれ? そんなん無いけど」
いきなり表情が消えると結構威圧感あるなこの子。ギャルってよりヤンキーっぽい。
散らかったままのテーブルを片付け、そろそろいい頃合いなので帰宅を促した。
さすがに幼児連れた女子を、玄関から見送るほど薄情ではない。
「そうだ! あたしもうすぐ夏休みなんだ」
「夏休みかぁ。俺の生活に変化は無いな」
「じゃあさ、どっか遊びに行こうよ!」
「えー、お外あつーい。おうち好きー」
「んー、なら映画とか? 涼しいっしょ?」
「まぁ映画館には久しく行ってないな。
だけどそれってデートっぽくないか?」
「一応デートに誘ったつもりなんだけど?」
真夏の熱帯夜の住宅街で、俺は気候を無視して一人凍り付くのであった。
さらば俺の平穏な日々。
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