第27話 こんな日常も悪くないかも

 素顔を枕で隠したままの菜摘なつみは、一向にベッドから降りようとしない。金髪の隙間から見える頬や耳が、なぜか赤みがかっているのだが、熱でも出したりしてないだろうな?

 小さな机の上に運んできた夕食を置き、ギャルの反応を確かめることにした。

 

「菜摘、傷付ける事を言って悪かった」

 

 彼女はピクリともせず、返事も返ってこない。

 今はそっとしておくべきだろうと思い、その場を去るために立ち上がると、伏せていた顔が急にこちらへと向けられる。その目は真っ赤に腫れていて、つい今しがたまで泣いていたのが分かった。


 ……そんなに傷付けるくらいなら、別のやり方を考えれば良かった。

 

「ごめん!! 本当にごめん菜摘!」

 

 深く下げた頭を恐る恐る戻してみれば、彼女は細い指で、こちらに来いと合図を送っているらしい。

 慎重に枕元へ近付くと、か細い声を出しているのは分かったが、繊細過ぎてよく聞き取れない。

 右耳を寄せて確認しようとしたその時、頬にあたたかくて柔らかな感触が一瞬触れた。

 その行動はあまりにも照れ臭いもので、俺は咄嗟に彼女の方へと振り向く。


 拗ねていたはずのギャルが、どうして微笑んでいるんだ……?

 

「大好き」

「えっと……どういうこと?」

「大好きって言ってたんだよ」

「いや、そうじゃなくて……」

 

 状況が理解出来ない。

 さっき右頬に触れたのは、明らかに上半身だけ起こしている菜摘の唇だ。

 潤んだ眼差しは決して冷ややかではなく、むしろ俺に向けられる好意そのものに見える。

 何が彼女の心境を、短時間にここまで変化させたのだろう。

 

「あたしのためだったんだね……」

「な、なにが?」

「さっき話してるの、部屋の外で聞いてた」

 

 そういうことだったのか。麗奈れいなさんや五影いつかげとの会話を聞いて、俺の意図に納得してくれたんだ。

 もしかして目を腫らしてるのも、悲しくて泣いてたわけじゃないのかも知れない。

 

「そっか。結局気を遣わせたわけだ」

「気なんか遣ってないよ!? 嬉しくってガチ泣きして、そんでほっぺにちゅーした!

 ……イヤだった?」

「い、嫌なわけないだろ。時と場合を考えてくれれば、やぶさかではないと言うか……」

「じゃあ嬉しかった?」

「……すげぇ嬉しかったよ」

 

 首を掻きながら感想を言い終えた俺の口は、甘く瑞々しい唇によって塞がれる。優しく触れるような軽い口付けだが、彼女の愛情はとても深いところまで伝わった。

 

「へへ、あたしのファーストキス!」

「そんな貴重なもんもらってしまったのか」

「ちがうし!

 あたしがマサくんにマーキングしたの!」

「あえて動物みたいな表現しなくても……」

「絶対ハルちゃんを助けてね」

「せっかくできた君の友達だからな」

「うん! 

 そんでマサくんはあたしの恋人ね!」

「この歳で女子高生が彼女とはなぁ」

 

 落ち込んでいたギャルはそこにはおらず、ありったけの笑みを向ける、愛しい彼女を見つめていた。この子を幸せにする為なら、俺はなんだってしたい。ただ安定を求める日々が終わるとしても、リスクの先にあるのが菜摘の笑顔なら、喜んで踏み出していける。

 百万円で買ったギャルは、その百倍以上の金額の取り引きよりも、俺にやる気を与えてくれた。

 

「うわっ、これめっちゃうんまー!」

「五影さんも料理上手いよな」

「うん! 今度教えてもらおー」

「えぇー……?」

「ん? なんで複雑な顔してんの?」

「だって菜摘の飯のが美味いし……」

「ちがうっしょ! マサくんの為に作ってるから、美味しいんだって!」

「な、なるほど。深いな……」

 

 すっかり機嫌を良くしたギャルは、五影の用意した和食の数々をじっくりと味わっている。満足げな表情に、俺の決意も一層強く固まった。


 翌日には五影のスマホに、父親からお怒りの着信が入る。五影は見合い相手と直接話し合うと宣言し、彼女自身でその場を切り抜けていた。だいぶ怯えた様子ではあったが。


 そして更に二日後。ついに俺の出番が来てしまった。お嬢様の恋人役として振る舞える自信は無いが、これを切り抜ければとりあえず平穏が戻るはず。

 久しぶりにフォーマルな服装に身を包み、渋々ネクタイも締める。動きにくいし暑苦しくて、あまり好きではない。

 

「ヤバぁ!! マサくんカッコイイじゃん!」

「そうか? 似合わなくね?」

「いや超お似合いだって!! ラフなのもありだけど、スーツだとオトナの魅力パない!」

「菜摘がそう言うなら堂々としとくか」

 

 休日なので菜摘と悠太ゆうたに留守番を頼み、五影に連れ添って目的地へと向かう。俺も緊張しているが、少女はもっと強張っていた。

 

「相手は二十五歳だっけ?」

「はい、山内さんと言います。なんでも大学卒業後、父親の跡取りとして入社したとか」

「親の会社なんて継ぎたくなかったけどなぁ」

玖我くがさんのお父様も、社長さんでしたもんね。二世としても、成功の道は様々なんですね」

「俺は成功したとは思ってないけどな。企業管理より、マンション管理の方が気楽なだけだし」

「それで生計を立てているんですから、十分に成功だと思いますよ」

 

 くだらない世間話をしながら、相手方の前情報を拾っていると、電車はあっという間に予定の駅へと到着した。そこから歩いて数分の喫茶店で会うと言うのだから、社長の二代目達の密会にしては、案外一般的というか庶民的である。俺には重苦しくなくていいけど。

 

「あ、玖我さん。あのお店です」

「ほー、個人経営の店か。静かそうだな」

「先方は一足早く到着したそうです」

「マジか。少し急いだ方がいいな」

 

 足早に向かい、雰囲気の良い喫茶店の前まで来ると、やはり緊張感が高まる。重めの手動扉を押して、息を飲みながら中に入った。

 客はカウンターにも二人居るが、唯一テーブル席で落ち着くグレーのスーツ姿の男が、待ち合わせの相手だとすぐに気が付いてしまう。

 

「なんだ、見合い相手の山内ってお前かよ」

「………え? 玖我先輩!? え、えぇ!?」

「お二人はお知り合いだったんですか?」

 

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