第29話 迷いなき少女は輝きを増す
見合いの約束を破談させて二日目。まだ誰一人として、俺の自宅から出て行っていない。
五人での暮らしにも慣れ始めてしまったが、それぞれ生活リズムが違う事もあって、ほとんど家で過ごす俺はあまり休めていなかった。
「おったん、こえ、して! こえ!」
「このクルマで遊んで欲しいのか?」
「ぶぶ! ぶーぶ!」
「ぶーぶおもしろいなー」
二歳児と遊ぶ時間は割と癒しで、退屈にもならないしそんなに疲れない。ワガママを言う子でもないから、そう思えるのだろう。
子守りをしている俺のところに、様子を見に
「
「あー、これは一時の気の迷いかな」
「気の迷い!?」
黒髪少女は、意味不明だと言いたげな顔をしている。本当にそのままの意味なんだけど。
「
途端に口を押さえる蓮琉は、漏れる笑い声を止められないといった様子だ。つられて笑い出す悠太の姿に、俺まで微笑んでしまう。
「ごめんなさい。……なんか、玖我さんらしいなぁって、思ってしまいまして」
「俺らしい? 俺ってどういうイメージ?」
「変な人です」
十七歳の女の子に、面と向かって変な人とか言われたら、さすがの俺でも傷付くぞ。というか結構ダメージデカくて、もう挫けそう。
「変な人……かぁ……」
「でも、私の好きな変な人です」
綺麗な半月型の眼で、優しい笑顔を向けられていた。蓮琉がこんな表情を見せるのは初めてだったし、不覚にも鼓動が激しくなる。
さっきの発言は、深読みしない方がいいのだろうか。
「だいぶ吹っ切れたみたいだな」
「はい。玖我さんに救われましたから」
「偶然が重なっただけだよ。
俺は本当に大した事してないし」
「ではそういう事にしておきます。
お昼ご飯つくりますね」
そそくさと台所に向かう少女の後ろ姿を、無意識に目で追っていた。さっきの笑顔は眩し過ぎて、当分まぶたの裏に残りそう。
昼食の支度を始めた彼女は、やはり手際が良く、染み付いた手順を体が再現しているみたいだった。動作に一切迷いが感じられない。
大きめの鍋から漂ってくるのは、和食の定番を思わせる香りだ。
「玖我さん、お味見して頂けますか?」
差し出された小さな皿に、ゆっくりと口を近付ける。薄く茶色味がかったそのスープは、優しく滑らかな風味で、とても香ばしい。
「カツオ出汁か? 味はさっぱりしてるな」
「鰹と昆布の合わせ出汁です。悠太くん用なので、塩分を加えていないんですよ」
「そういう事か。それならいいと思う。
香りはしっかり感じるし」
「良かったです。では仕上げてきますね」
当然の様に幼児向けを作り分けていて、その順応性の高さに感服した。彼女が自分の道を拓ける環境に居れば、今頃すごい人物になっていたのではないだろうか。
すぐに料理が完成して食卓に呼ばれ、悠太と共に席に着く。
「なるほど。蕎麦のかけつゆだったのか」
「はい。冷蔵庫に生麺がたくさんあったので、使わせて頂きました」
具がたっぷり入ったかけ蕎麦は、見た目も香りも専門店と遜色無い。と言うかそれ以上かも。
二歳児は迷うこと無く食べ始め、俺も慎重に口へと運ぶ。左からじっと見られているみたいで、少し食べにくいが。
「美味い……。本当に美味いよこれ」
自分でも驚きだった。ここ三ヶ月、菜摘の料理以外では満足出来なかったのに、蓮琉の作った蕎麦を本心から美味だと思えている。これまでもきっと味は良かったのだろうが、また別の何かが加わって、より深みが出ている気がした。
「お好みに合ってたみたいで、嬉しいです。
たくさん食べて下さいね」
幸せそうな視線を浴びつつ、俺と悠太は競うように食べ続けている。箸を止めたい気分にならなかった。悠太はフォークだけど。
「そう言えばさ、ひとつ疑問があったんだ」
「なんですか?」
「蓮琉ちゃんの家は制限が厳しいのに、どうやってストーキングしてたの?」
彼女の精神状態も安定しているみたいだし、食事をしながら思い切って質問してみた。
少し苦笑を浮かべた蓮琉は、それを可能にした要因を詳しく話し始める。
「家から駅までの間に、あのスーパーがあるんです。家庭教師の先生を見送る時だけ、駅前までの外出が許されてました。外に出たくて、半ば強引でしたけど」
「その時間だけで監視してたの?」
「基本的にはそうです。遅くなっても、使用人が区間内に迎えに来るだけでしたので。一度偶然見掛けてから、通る度に何十分も眺めていました」
聞くだけでも肩が凝りそうな話だ。娘の自由を奪って、なにが楽しいのか分からん。彼女の執念も凄まじいけど。
「よく探し出せたよな。俺らのこと」
「家出しようと飛び出した日に、玖我さんを目撃しました。あの日から私、ずっと憧れて探していたんです。正義のヒーローみたいでした」
ギャルを買った日も、家出未遂の真っ最中だったのか。
「買い被り過ぎだよ。単なる気まぐれだし」
「気まぐれでも正義感でも、別の誰かの為だったとしても、救われた側の感動は変わらないと思います。玖我さんはヒーローです!」
「
「そうですね。名前の通り素敵な人です」
冗談すら通じない蓮琉を見ていると、菜摘からの忠告を思い返してしまう。この少女との距離感は、俺だけでどうにか出来ない状態へと向かっているのかも知れない。
だとしても、菜摘を裏切る気なんてさらさら無いけど。
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