第19話 思春期ギャルの心は複雑で暖かい
朝食を済ませた
「おったん、こえ、ちょーらい」
「ん? 俺のおかずも食べたいのかー?
可愛い欲張りボーズめ」
二歳児から無邪気におねだりされ、箸で摘んだおかずを小さな口に運ぼうとしたのだが、途端に姉が慌て始めた。
「あ、それ待って!
ほらゆうちゃん、こっちにしようねー」
菜摘が食べさせてるのは、悠太の分として用意された皿の料理。見た目的には何も変わらないし、悠太も喜んで食べているが、なぜ俺は止められたのだろうか。
もしかしてキモいとか思われたのでは?
「なんか、俺があげちゃまずかった?」
「そーじゃないって。
ゆうちゃんは塩分とか気を付けなきゃだから、あたしらのより薄味に作ってるの」
「え、いつもそうしてたの!?」
「そーだよ。別のお皿に分けてたっしょ?」
驚いた。同じに見える料理でも、味付けは変えていたなんて。
小さい子には健康面において、食事内容も気を遣う必要があるだろうけど、悠太本人に違和感無く準備をするのは、きっと手間もかかるはず。めっちゃマメやん。
「どこまでも優しいお姉ちゃんだな」
「えー? このぐらい普通っしょ?」
「その普通の積み重ねが、周りから見れば苦労と思いやりで出来てるんだよ」
「そーなの? 楽しいけどなぁ」
「楽しめるとか主婦の鑑だろ。ホント、いつお母さんになっても大丈夫だな菜摘は」
また出たよ心の声。もう自分でも慣れてきたし、諦め始めたわ。
俺のセクハラ紛いな発言を聞いた菜摘は、目を丸くして硬直している。涼しい顔が維持されてるところを見ると、今回は恥じらいとは違う感情らしい。
「おーい、菜摘さーん?」
「ねーね? ねねー!」
呼び掛けに応答しない。彼女の時間が完全に停止してしまっている。これはマズイ。
「なっちゃーん?」
「………な、なっちゃん!?」
「あ、起きた」
眼をぱちくりさせ始めたギャルは、状況を確認する為か辺りを見回している。そして俺と視線がぶつかった瞬間、逃げるようにそっぽを向いた。
胸に手を当てて深呼吸までしているが、さっきのセリフをどう解釈したのだろう。
「すまん、また口を滑らせたわ」
「ちょっと待って。今話しかけないで」
「お、おう……」
無言で食事を再開し、残り少なかったこともありすぐに平らげた。しかし未だに横を向き俯いている彼女が、少し心配になってくる。
「ごちそうさま。美味しかったよ」
「う、うん。よかった」
「えーっと、大丈夫か?」
「ダメかも……」
「マジで!? てか何がダメなんだ!?」
「ちょっと待ってて!!」
突然立ち上がり、食べ掛けのままバタバタと隣の部屋に向かう彼女の背中を、悠太と俺はポカーンとしたまま見送った。
今の彼女の心理状態がさっぱり分からんのだが、だいぶ混乱しているみたいだ。なんか申し訳ないな。
「これ! 見て!!」
「ん? なにそれ?」
慌ただしく戻って来た菜摘の腕には、何冊かのノートやファイルが抱えられている。渡されたそれらを開いてみると、たくさんの数式やレポートがぎっしり書かれていた。
「もしかしてこれ、夏休みの課題か?」
「そう! 全部やった!」
「マジか。まだ二週間以上残ってるのに」
「昨日までの一週間、ずっと宿題してた」
なるほど。怒らせてしまったあの日から、俺の面倒に割いてた時間を使って、ずっと勉強してたのか。これギャルの所業じゃないわ。
「大した意欲だな。成績も良いのか?」
「平均くらいかな?
テストとかそんなに点取れないし」
「そうなんだ。でもこの姿勢はすごいと思うぞ」
「頑張った! だからほめてほめてー!」
「菜摘は真面目で頑張り屋さんの、本当に素晴らしい子だ。俺まで誇らしい気分だよ」
素直に褒めろと言われると難しい。ありきたりな言葉しか思い浮かばん。
褒められた本人は人差し指を顎に当てて、首を傾げている。
「んー、足りない!」
「なにぃ? 金でもせびろうってかぁ?」
「ちがうちがう。……ほいっ」
急に距離を詰めた菜摘は、俺の目の前ににこやかな顔を寄せ始めた。なんのつもりか理解出来ずに一瞬仰け反るが、変な意味ではない表情をしている。おかしな妄想をしたのは俺だ。
「頭撫でてー」
「……そういうことか。よしよし」
「えへへー」
「もしかして、子どもとして接して欲しかったのか?」
金髪を撫でながら尋ねた質問に、彼女は細い眉を八の字にして困り気味な様子だ。
「だって、急に大人としてだけ見られてると、それはそれで落ち着かないんだもん」
「つまり、子どもみたいに可愛がられるのも心地良いと。複雑な思春期の心情だな」
「そーなん? 高校生ってこんな感じ?」
「大人になりたくても、子どもとしての自分も捨てられない。みんなそういう時期を乗り越えて大人になってるんだよ」
「ふーん。じゃあ大人になったら変わる?」
「改めて言われると大差無いかもな。大人だって甘やかされたい時もある」
そう語っていた最中、不意に顔全体がふにっとした柔らかさと、ふんわり漂ういい香りの中に包まれる。後頭部に回された腕のぬくもりも、頭頂部に乗る頬の感触も、全てが優しい包容力で満たされるようだった。というか、めっちゃ抱擁されてるんですけどギャルに。
「ど、ど、どうしたのかななっちゃん!?」
「この間は色々ごめんね。所有物だとか言って友達困らせて、マサくんまで嫌な気持ちにさせちゃったよね」
「そ、それはもういいって! それより胸とか、もう完全に当たっちゃってるから!」
「あたしの胸の音、聞こえる?」
彼女の鼓動は声色に反して、激しいリズムで打ち鳴らされている。俺の心臓まで呼応するかのように、バクバクいってるけど。
「すっごく緊張するけど、大人もこうされると嬉しいって思うんでしょ?」
「はい。色んな意味で嬉しいです」
「素直でよろしい。触ってもいいよ?」
「はひっ!!? な、ぬぁにを!?」
「ドキッとした? ねぇ、ドキッとした?」
そんな可愛げのある話ではない。今や君の脈の速度を遥かに上回り、こっちの心拍数は大混乱してるわ。こうして行き場を失った血液が、鼻を通して外に出たりするのだろうか。
「お、大人をからかうんじゃありません!」
「えー、ドキドキしなかったのー?」
「これ以上やられたら、全身の穴という穴から血が吹き出して大惨事になるぞ?」
「なにそれ? どーいう意味?」
敢えて説明はしなかった。だが今のは結構ヤバい。それでなくても意識し始めたばかりなのに、相手が女子高生ギャルでもこれは止まらなくなってしまう。何か対抗手段を探さなくては。なぜ対抗したいかは分からないが。
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