第18話 夢の様で夢ではない夢みたいな朝

 眩しい……。

 カーテンなんて閉めた覚えもないが、開けたまま眠ってしまったのだろうか。ベッドの感触が妙に硬いし、心做こころなしか腹の減る匂いまでしてくる。

 そうか、これは夢か。

 

「だー! おったん、おあよー!」

「おぉ、悠太ゆうたじゃないか。ついに夢の中にまで出てきてくれるようになったのか!」

「んー? こえ、ぱんだ!」

「この前買ったパンダのぬいぐるみまであるじゃん。ずいぶんとリアルな夢だなぁ」

 

 可愛らしい顔で覗き込む悠太の頬を、寝ながら伸ばした手でそっと撫でてみる。現実世界と相違無く、とても柔らかくてモチモチの肌だ。

 薄目を開けながらそんな事を考えていると、真上からもう一つ覗き込む人影が見える。頭の上にしゃがみ込んだこの気配は、近付くにつれてはっきりしていき、誰だか判明した。

 

「マサくぅーん、朝ですよぉー」

「ちょ、なんで菜摘なつみのお母さんが!?」

 

 慌てて布団から飛び起きるよそりゃ。夢の中に出てくるなら、せめてもう少し親しみのある人物だと思うじゃん。菜摘にしては髪が長いし茶色いなぁとは思ったけど、こんな至近距離に入る女性なんて、あのギャルちゃんくらいしか想像出来ないよ。

 ともあれ、ベッドですらなく布団だったし。しかも麗奈れいなさんの服装、ほとんど下着と変わらなくないか? 

 

「なんでって、ここ、私のお家だもーん」

「なん……ですと!?」

「ちょっとママ! その恰好なんとかしてよ!

 着替えないなら隣の部屋行って!」

「えー、ママもうねむーい」

「朝ごはんできたし、先に食べていいから」

「わーい! ママ一番乗りで食べてるねー」

 

 だんだん状況が飲み込めてきた。

 今居る場所は四十崎あいさき家で、なぜかここで一夜を明かしている。もう朝だから、悠太と麗奈さんが起こしに来てくれたのだろう。

 そして菜摘はエプロン姿から察するに、朝食作りを終えたばかりだ。

 なんで俺はこの家に来てるんだ?

 

「おったん、ごあん!」

「あー、うん。ごはんだねー」

「おはよ。昨夜のこと覚えてないの?」

「あぁ、おはよう菜摘。えーっと……」

 

 昨夜? 俺は確か明希乃あきのと飲みに行って、その帰りに菜摘とバッタリ会った気がする。そんで謝ったら仲直りも出来て、その後は……

 

「もしかして俺、路上で寝てた?」

「……めっちゃあたしに寄っかかって、突然寝始めたんですけど?」

「マジか! それでここまで運んだの!?」

「あんたの家行くより近いもん」

「ごめん、手間かけたみたいだな」

「別にいいけど。

 あんまり覚えてないみたいだし……」

 

 いや言えるわけねぇ! 酔った勢いとはいえ、告白もすっ飛ばして何度もプロポーズしてたとか、口が裂けても言えねぇ!! 

 すぐに意識が飛んで爆睡してたのだろうが、放り出さずに運んでくれてたとは、なんて面倒見の良い子なんだ。

 それにしてもよくこの体格差で移動出来たな。菜摘は割と小柄だし、俺は成人男性として標準くらいはあるのに。体重差なんて二十キロ近いんじゃないか?

 

「ありがとな。帰り道、重かっただろ」

「肩貸したら自分で歩けてたし、平気だよ」

「そうだったのか。

 妙なこと口走ったりしなかったよな?」

「え!? 覚えてるの!?」

「仲直りできたところまでは残ってるんだが、その後の記憶がほぼ抜け落ちてて……」

 

 途端に真っ赤になり、下を向いてしまうエプロンギャル。やっぱりあの結婚を連呼した記憶は、現実で確定だな。これからどないしょ……

 

「べ、別に迷惑なこと言ってたとかじゃないし、無理に思い出さなくてもいいと思うよ!?」

「迷惑じゃないのか……?」

「なに!? 思い出しちゃったの!?」

「あー、違う違う。なんでもないんだ」

「そ、そっか。とりあえず顔洗ってきて、一緒に朝ごはん食べようよ、マ、マサくん……」

「マサくん?」

「だって! なんかズルいじゃん!

 ママだけあだ名で呼んでんじゃん!」

 

 一瞬キョトンとしてしまったが、彼女にそう言われるのは普通に嬉しいな。プロポーズに関しても蒸し返す気は無いみたいだし、やっぱ気遣いが凄まじいわ。本当によく出来た子だ。

 

「好きに呼んでくれ、菜摘」

「う、うん……」

 

 洗面所を借り、だらしなくたるんだ顔と寝癖を引き締め、朝食の待つ居間へと向かう。

 すでに麗奈さんは食べ終わる寸前で、仕事柄の夜型人間だからか、まぶたが半分閉じていた。

 

「大丈夫っすか? 麗奈さん」

「うーん、昨日はお休みだったのにねー。

 午前中はどーしても眠たくなっちゃうのー」


 当然の様によそわれた味噌汁の匂いに釣られ、ギャルと美魔女の間に腰を下ろす。お椀を持ってひと口すすると、久しく忘れていた食事の美味さに、本気で生き甲斐を感じた。

 

「美味い。こんな味噌汁が存在したとは」

「でしょー! なっちゃんの作る出来立てを味わう為に、毎朝頑張って起きてるのー!」

「これは頑張りたくもなりますね! 毎朝この味噌汁飲めるとか、麗奈さん幸せですよ」

「そーなのよー! 私幸せ者よぉー」

「もう、こっちが恥ずかしいっての!

 それにスープとかの日もあるし!」

「なおさら良いじゃねぇか! 

 この完璧妻め!」

 

 ノリで言ったつもりなのだが、真面目に受け取り過ぎたギャルは、またもギャルらしからぬ純情さを見せる。と言うかこの子のギャルっぽさって見た目だけなんだけどね。

 真っ赤になって口をつぐんだ菜摘は、母親からの微笑ましい視線の下、箸を置いて肩を震わせていた。黙々とスプーンを口に運ぶのは幼児だけだ。

 

「あーん。ねね、あーん!」

「ゆ、ゆうちゃんごめんね。

 ご飯中なのに、ねーね悪い子してたね!」

「君はめちゃくちゃ良い子だろうが!」

「うっさい! 少し口閉じろ!!」

「断る!! 俺はようやく美味い飯にありつけたんだ! 死ぬまで閉じない!!」

「だったら毎朝来ればいいじゃん!!

 いつでも作ってあげるし!!」

「上等だ!! 君の飯を毎日三食食えるなら、嬉し過ぎて死にたくなるわ!」

「し、死んじゃうなら作るの辞めるし!」

「幸せそうなケンカねぇー」

 

 母親目線から出たひと言は、俺にまでとんでもない気恥ずかしさを実感させるのだった。

 なんだこのバカップルの痴話喧嘩状態……

 

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