第60話 私のカブ

 女子としては長身な礼子を後ろに乗せたカブは、走り出しこそ遅かったがスピードが乗ると意外と順調だった。

 早朝に新聞配達しているカブはもっと重そうな新聞の束を毎朝乗せて走り回っている。女の子一人乗せるくらいカブには何ともないんだろう。

 二人で目的や行き先を決めることはしなかったが、小熊は来た道とは逆に、鎌倉の山に向かって走り出した。

 カブで旅館を出てからずっと無口な礼子。小熊も何も言わず海沿いを走る。礼子を言い淀ませている障壁を取り除くには、互いの声が聞きとれて、カブの声が聞こえる場所のほうがいい。

 ここに来るまでに見た湘南の海は綺麗だったけど、小熊も礼子も北杜の山の中で育った。やっぱり森と木々の音に包まれているほうが落ち着く。

 鎌倉北部の朝比奈峠をトコトコと走るカブ。小熊の背に掴まり、カブの音に耳を傾けていた礼子が口を開く、小熊の耳元で言った。

「わたしのハスラー、もう終わりみたい」

 礼子が乗っている原付オフロードバイクのハスラー50。夏休みに富士山に挑んで以来、礼子が通学以外でハスラーに乗る機会が減っていたことは小熊も知っていた。

「エンジン、フレーム、電装もダメになっててね、補修部品も欠品だっていうの」

 それは言い訳だろう、礼子の家にある設備なら原付の一台くらい組み直せる。パーツだって国内外のオークションでかき集められる。それでも礼子が終わりだと言うのは、ハスラーに向けていた気持ちが終わったから。

「それで、カブを買おうと思うの。知り合いのショップがCTの出物があるって言うから」


 一転して弾んだ声の礼子。バイク乗りが何度も体験するという、新しい出会いの瞬間。それは小熊も経験あること。数ヶ月前、あの中古バイク屋の店先で。

「CTってハンターカブのことでしょ?赤くてタイヤがボコボコした」

「そう、遂に製造中止して新車在庫もお終い。今でも海外じゃ需要あるのに」

 小熊もカブに乗るようになって以来、カブが出てくる読み物は自然と目で追うようになっていた。

 CT110という輸出用のオフロードカブが、ファームバイクと言われる農業、牧畜業バイクとして各国で活躍し、僻地の郵便関係者や山岳レンジャー、地雷除去隊にも愛用されていることは知っていた。

 数年前にカブが90が海外生産の新型110に更新され、続いて50も車体を新しくしたことで、旧型車体のハンターカブも製造が中止された。

「新しいクロスカブってのが出てる」

「あんなレジャー用のバイクにCTの後継が勤まると思う?終わるのよ、カブが最高のファームバイクだった時代が」

 礼子は小熊より経験もスキルもあるバイク乗りだけど、バイクを感傷的に捉えすぎるところがあると思った。

 カブのことを大事に愛でるぬいぐるみじゃなく、毎日気兼ねなく使う道具だと思っている小熊とは違う。

 その違いは、これから変わっていくのかもしれない。小熊も礼子も。


 とりあえず小熊は、これから自分の立場や心境がどんなに変わっても、変わらない、変わりたくないと思うことだけを口にした。

「自分のカブを大切にすればいい」

 後ろから笑い声が聞こえた。礼子が小熊のカブを掌でバンバン叩く。

「そりゃそうね!だってカブだもん、きっとあと十年経っても部品には困らない。ずっと走り続けるわ」

「そうかな?」

 小熊には、五十年後、百年後の世界でもスーパーカブは変わることなく街を走り、新聞や郵便、出前を配り、営業社員や警官、農家、あるいは若者を乗せて走っているんじゃないかと思った。

「ハンターカブ、買ったら私にも乗せて」

「慣らしが終わってからね、届いたらまずは私がじっくり乗るんだから」

 小熊のカブは礼子を乗せて走り続けた。

 きっとこれからも、小熊と小熊の大切な物を乗せて、望む場所まで連れてってくれる。


 ホンダ・スーパーカブ

 1958年に発売されて以来、傑出した性能を持つ小型オートバイとして世界中で活躍し、その総生産台数は一億台に達しようとしている。

 小熊の青春は、そんなスーパーカブの生み出した100000000の物語のうちの一つ


 終

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スーパーカブ トネ コーケン @akaza

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