第34話 ピクニック
カブでアパートを出てすぐ気付いたのは、行き先を決めずに走るというのはやらない方がいいという事だった。
夏休みバイトの休日にカブで出かけることに決めた小熊は、家を出て5分少々の日野春駅前でカブを停めた。
走りながら行き先を考えていると、交差点の手前で直進するか曲がるか迷ったり、直線の道路でもこのまま走っていいのか疑いながら走ったり、走りがフラフラと不安定になる。
徒歩や自転車ならそれでもいいんだろうけど、車と同じ速度で走るカブでそれをやると道路の流れを不必要に乱すことになる。
どこでもいいから走りに行って、どこかでお弁当でも食べようと思っていた小熊は、とりあえず行き先だけでも決めるべく駅前の案内板を見た。
遠出には縁が無くアパートの近くにありながらあまり利用していない中央本線の日野春駅。
カブに乗るようになってからは一度も行ってない。
駅前も旧い商店が幾つかあるだけで、小熊の日常に必要な物を買いに行くような場所じゃない。
数少ない利用経験の中でも、見ること無く素通りしていた観光マップの看板を見てみると、この日野春駅近辺にも行楽地と言える場所が幾つかあるらしい。
神代桜の名所である実装寺、駅を渡ってすぐの場所にあるオオムラサキ自然公園、いつも通ってる高校の近くに民俗資料館。キャンプ場も数箇所ある。
どこも小熊の興味を惹く場所では無かった。学校の行事で行ったことがあるし、特に見たい物はあるわけでもない。
少し足を伸ばせばサントリー白州工場があって、学校のクラスでも無料で見学と試飲が出来て、タダで遊べる場所として知られているけど、せっかくの休日に学校の授業の延長みたいな講釈を聞かされるのも、工場で生産される南アルプス天然水の試飲も特に魅力的には思えない。
山梨の無人駅で、都会から来た観光客みたいに観光地図を見ていた小熊は、ある地名を見かけた。
清里高原
小熊の暮らす日野春駅近辺と同じ北杜市にありながら、観光地として有名な場所。小熊が北杜市に来てからまだ行ったことの無かった清里は、地図で見てみるとそんなに遠くない。
カブに跨った小熊は、キックレバーを踏み下ろしてカブのエンジンをかけた。目的地は決まった。清里に行こう。
普段の仕事で行き慣れつつあった甲府や韮崎の街とは違った物が見られるかもしれない。
初めて行く清里の駅近辺には、30分ほどで着いてしまった。
日野春駅から線路沿いにしばらく走り、交差する国道を北に折れてまっすぐ進むだけの単純な道。距離は20km弱。
普段往復している甲府よりも近い場所にある清里は、小熊が今まで見たことの無い類の街だった。
白い鉄筋コンクリートの駅舎を中心に欧風の建物が並んでいる。こっちも白とパステルカラーが多い。
小熊が抱いた第一印象は、浮かれた街という感想。カフェやビストロ、ペンション、教会、土産物屋。
都会人の想像する南アルプスのリゾートにあるべき物が取り揃えられている。
遠目には作業着みたいに見えるデニム上下でカブに乗っている小熊は、自分が場違いなんじゃないかと思った。
夏休み期間中の日曜で人の出はそれなりに多く、親子連れやカップルが小奇麗に装飾された駅前を歩いている。
とりあえずカブを停められそうな場所を見つけた小熊は、カブのシートに腰を下ろしたまま、後部のボックスから取り出したおにぎりを食べ始めた。
目の前を通る人たちは小熊に目もくれない。後部に黒いスチール製ボックスをつけた何の変哲も無いカブと、デニム上下の地味な少女。
観光地に行楽を楽しみに来たというより、建設会社かオフィス器具リースの社員が仕事をサボってるようにも見える姿。あるいはベトナムあたりのゲリラにでも見えるのかもしれない。
特に空気が美味しいとも、街や行きかう人々が興味深いとも思うことなくおにぎりを食べ終えた小熊は、ペットボトルのお茶を飲んでから、カブのエンジンをかける。
地元の人間ではなく余所から来た人のために作られたような商店街を少しカブで走った小熊は、自分が街に気圧されているのが妙に悔しくなり、途中でカブを停めてソフトクリームを買った。
店先のベンチに座り、せっかく持ってきたラジオを聴いてなかったことを思い出した小熊は、ボックスから出したラジオとイヤホンを繋ぎ、家に居る時と同じようなFMを聞きながらソフトクリームを食べる。
勝沼の葡萄で作ったというソフトクリームは、小熊が普段食べているレトルト昼食が2つほど買える値段。それだけの価値がある物なのかはわからなかったが、少なくともこの街を味わう、休日を楽しんでると思い込んでると損した気分にはならない。
ソフトクリームを食べ終わった小熊はカブに乗り、他に何かを見ることもなく帰路についた。
自宅アパートまで戻った小熊は距離計を見た。往復で50km弱。カブのガソリン代で計算すると百円くらい、あとソフトクリーム一つ。
充実したようなしなかったような休日のお出かけ。それでも小熊は帰り道でずっと考えてた。
次の休みはどこに行こうかな。
バイク便のライダーや競技レーサー、メーカーのテストライダー等、一日中バイクに乗る職業の人間で、休日に何をしてるのかと聞かれた時、バイク乗ってることが多いかな?と答える奴は多い。
小熊がそれらの人たちと同種の人間なのかはわからないが、彼女は休日をカブと過ごすことを選び、これからもそうするだろうと思っていた。
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