第47話 原付二種

 夏休みが明け、小熊と礼子は揃って高二の二学期を迎えた

 始業式が終わり一般授業が始まった教室で、小熊は一学期の自分と何か変わったところがあったのかと考えた。

 ずっとバイトしてた夏休みと同じ時間に起きて、同じようにカブに乗って学校に行く。午前中の礼子は相変わらず話しかけても無愛想なまま。今朝は自動車整備の雑誌を読んでいる。

 変わったところがあるとすれば、原付の免許しか持ってなかった小熊が、礼子と一緒に自動二輪の免許を取ったことぐらい。

 バイトの給料で一学期より懐の暖かい二学期を迎えたかったところだが、この小さなカードを手に入れるためにほとんど使ってしまった。

 カブを買った時も奨学金の積み立てをはたいてしまった気がする。バイクというものは乗る人間に散財させる呪いを宿した機械なんだろうか、と思った。それが不快ではないのが自分でも空恐ろしくて笑ってしまう。

 昼休み。今までと同じように礼子が昼食のお誘いに来る。

 小熊は自分の手を取る礼子の腕を見て、もうひとつ変わったところに気付いた。

 手首に残る褐色の痕。バイクに乗っていると必ずつくグローブとジャケットの境目につく日焼け。

 夏の間ずっと原付に乗っていた小熊と礼子が共有する日焼けのブレスレット。

 妙に気恥ずかしくなった小熊は、次の週末に甲府の中古バイク用品店に行って、手首をしっかりガードするライディングジャケットを探そうと思った。

 またしても散財の誘惑を耳に囁かれた小熊はブルンと首を振り、昼食の定位置に落ち着いた。駐輪場に停めたカブのシート。

 小熊は弁当箱一杯のご飯にレトルトの八宝菜をかける。昼食まで代わり映えしないのは、贅沢が許されない奨学金暮らしだから。そしてもう一つ、自分の食べる物を切り詰めなくてはいけない理由がある。

 小熊はハスラーのシートに横座りし、サンドイッチを取り出す礼子に話しかけた。

 「やっぱりボアアップしなきゃダメかな」

  

 小熊がバイトで得た貯金の使い道として決めたのは、原付の法的な不自由からの脱却。

 そのために夏休みの最終週を免許取得に費やしたが、肝心のバイクを原付から進化させないことにはどうにもならない。

 とはいえ原付二種のスーパーカブ110や中古のカブ90に買い換える金などあるわけも無い。

 教習所に通いながらも用を作っては学校に行き、図書室のPCを借りてネットで調べた小熊は、カブは排気量を拡大させるボアアップキットが豊富に発売されていることを知った。

 最も廉価なキットなら小熊が教習所に使った金の残金で買えなくもなかったが、小熊はそういうものを付ける気にはならなかった。

 バイクのエンジンを自分で分解し部品交換するなんて出来るわけないし、かといって業者に頼めば費用は更に上乗せされる。それに、小熊はいわゆるチューンアップパーツというものを付けたくは無かった。

 カブを他のバイクと比較したことの無い小熊も、調べていくうちにカブが丈夫で壊れにくい原付であることを知ったが、その原付を作ったメーカーの関知しない部品を安易に付けると、壊れないカブはそこから壊れるんじゃないかと思った。

 ネットのショッピングサイトには、純正品と変わらぬ耐久性という宣伝文句も出てたが、そんなうまい話があるわけない。

 どうにかして今の部品を取り替えることなくカブを原付二種として登録したい。そこで小熊よりバイクに詳しい礼子に聞いてみることにした。 

 礼子は一度125ccに取替え、それから50ccに戻したという自分のハスラーのエンジンを撫でながら答える。

「ちょっと前までは自己申告でパーツ変えたって役所に言えば良かったんだけどね、今は現車確認があるし、シリンダーの図面も提出しなくちゃいけないみたいね」

 原付二種の登録については各自治体で基準が異なっているが、小熊と礼子の暮らす北杜市は厳しいほうに入るらしい。

「でも、一つ方法があるわ」

 小熊は弁当を頬張りながら礼子の話を聞いた。

 

 それはブロック修正というものらしい。

 スーパーカブだけでなく、量産される市販車のエンジンは、長寿命と信頼性を重視するなら工場で作られたまま、いじらないのが最善だけど、その中でも例外とも言える加工。

 鉄のエンジンブロックは鋳造の過程で、冷えて固まった後も形を変えようとする内部応力というものが残り、エンジン内部のシリンダーはゆっくりと時間をかけて変形していく。

 金属鋳造の世界では歪み戻りと言われる変形が終わり、鋳鉄が落ち着いた頃に、メーカーの製造ラインで使われている加工機械より高精度な機材で、シリンダーを真円に削り直す。

 それからメーカーが供給しているオーバーサイズのピストンを使ってエンジンを組み直すと、長寿命化と排気量アップが同時に出来る。

 カブより大型ながら鋳鉄が主流のアメリカンV8エンジンで競技車を作る時は、まずエンジンブロックを屋外に1年間放置して、それから錆の塊になったエンジンを組み直して業務用トラック等に搭載し一万kmほど走り回り、内部応力を完全に取り去った後にチューニングを行うらしい。

 小熊には礼子の話す内容が半分くらいしかわからなかったが、とりあえず今のカブの形と使用感を変えることなく、原付の不自由から脱却することが出来るという部分だけは理解した。


 興味は持ったが、当然自分では出来ない作業。どこに頼めばいいのかわからない。それも礼子に聞いてみようと思ったけど、その前に自分なりに調べ、探してみることにした。

 とりあえず小熊は学校帰りに、このカブを買い、オイル交換等で世話になった中古バイク屋に寄ってみた。

 何か参考になる話でも聞ければと思い、ブロック修正とオーバーサイズピストンによる排気量アップについて尋ねてみたところ、店主はあっさり答える。

「あぁいいよ。エンジンは加工屋に出すから何日か預かりになるけど、代車出すから」

 さっそく小熊のカブを入庫させようとする店主に、小熊は慌てて費用について聞いてみた。

 店主は価格表の類を見ることもせず電卓を叩き、小熊に概ねの予算を伝える。

 金額は市販のボアアップキットの一番安い奴と同じくらい。新規に買い足すパーツはピストンとガスケット類くらいで、目に見える性能アップも無いとなればそんなものなのかもしれない。

 小熊は店主にカブのブロック修正を正式に依頼した。

 代車だという青いカブを押してきた店主に、一つ聞いてみた。

「私のカブが人を三人殺してるって、ウソだったみたいですね」

 礼子から伝え聞いた内容の話を聞いた店主は目を丸くして小熊が一万円で買ったカブを見つめ、禿頭をピシャンと叩いた。

「参った。何の曰くも無いカブだったら、あと十万円乗せても売れてた」

 それからもう一度頭を叩き、口数少なかった店主にしては珍しくお喋りを始めた。

「カブってのはほんとにバイク屋泣かせでな。買ったら壊れない、壊れてもパーツが安価だから儲けられない、そのくせ乗ってる人間は仕事で使うからって作業を急かす」

 小熊は愚痴る店主からキーを受け取り、代車のカブに乗って帰った。


 プレスカブという新聞配達専用のカブだという代車は、走行距離計を見ると四万kmを超えていて、変速ギアの感触が固かったり3速のランプが点かなかったり、小熊のカブに比して多走行による劣化部分はあったが、エンジンはよく回り、普通のカブより一回り大きなブレーキは良く効く。丈夫な前カゴの前部につけられた大径のヘッドライトは夜でも明るかった。

 何より小熊のカブにはついていない透明な大型の風防が気に入った。残暑の今は風に吹かれたほうが気持ちいいけど、寒くなり始めたらこれは役に立ちそうだ。 

 プレスカブで走り回り、遊んでるうちに数日が過ぎ、小熊のカブはブロック修正を終えて帰って来た。

 当初の概算より少し安かった支払いを終え、原付の登録を管轄する北杜の役所で登録を済ませて黄色いナンバーを受け取った小熊は、さっそく役所の駐輪場で新しいナンバーをカブに装着した。

 子供の頃、友達と車のナンバーを見て何色なら幸運なことが起きる。何色を何枚見れば不幸になるという遊びをした記憶がある。

 その時に黄色いナンバーは三枚見たら不幸になるというのがローカルルールで、小熊は自分のカブに黄色いナンバーをつけるのには少し抵抗があった。

 実際に付けてみると、それまでの白ナンバーよりカッコよくなったように見える。普通に走るだけで警察に捕まるような法制から脱し、自由になった証。

 小熊は幼い頃の自分に向けるような気持ちで、独り言を呟いた。

 「不幸じゃ、ないね」

 だってカブはこんなに面白く、これからもっと面白くなるに違いないから。

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