第48話 パンク
シリンダーブロックの修正と登録変更を行い、小熊のカブは原付二種になった。
オーバーサイズピストンの組み込みによって小熊のカブは49ccから52ccになったというが、正直走ってみても以前までのカブとの違いはわからなかった。
5%少々の排気量アップ。礼子の話によれば、それくらいの変動は気温や路面状態、タンク内のガソリンの量でも変わるらしい。
小熊のカブはキャブ式カブ最終型の中で当たりのエンジンらしく、路面のいい平地で全開にすれば60kmのメーターを振り切って目盛りの無い部分まで進んだ針が、存在しない70kmの位置近くまで達する。
そっちはほんの少し上乗せされた気がした。ブラシーボ効果という奴かもしれない。
それより小熊にとって法的な自由度の変化のほうが大きかった。
今までは道路を問わず30km制限だった最高速が他の車と同じものになり、流れに乗って走ってる限りパトカーを見て慌ててアクセルを戻す必要も無い。
幹線道路の大きな交差点でも、あの不可解な二段階右折というものをしなくてよくなった。
二学期になってから今までより自由になったカブで、小熊はあちこちに出かけるようになった。
地元の山梨の大きな街や主要幹線道路のほとんどを走り、隣県の長野にある諏訪や松本に行ってみたりもした。
つい数ヶ月前にドキドキしながら遠出した韮崎の街が、今では家の近所まで戻ってきた目印になっている。
時々出先でお弁当を食べるピクニックの真似事をするぐらいで、何かを買いに行ったり、何かを見に行くという目的のない走りが楽しかった。
急き立てられるように走り回ってたのは、残暑が落ち着き、走ると気持ちいい気候になってきた秋のせいか、バイクの行動が制限される冬が近づいているからかもしれない。
その日も、小熊はいつもより早起きして、学校に行く前に少し近隣の道路を走り回った。
朝のジョギング替わりのカブ散歩を終えた小熊が学校に行くと、廊下で小熊の姿を見かけた礼子が走り寄ってきた。
「大丈夫だった?」
もうすう朝の予鈴が鳴る時間。教室に行こうとする小熊の腕を引き、礼子は駐輪場に向かう。
何事かと聞いてみたら、礼子は唐突に聞いてきた。
「パンクしてない?」
覚えてる限りタイヤの様子がおかしかった記憶は無い。小熊が首を振ると礼子は説明してくれた。
礼子の話によると、小熊が今朝の散歩先である白州方面から、学校まで行く道の中途にある蕎麦屋の主人が警察に捕まったらしい。
罪状は道路に釘を置いて通行する車をパンクさせたという内容。アスファルトの路面にドリルで穴を開けて釘を差しこみ、接着剤で固定するという念の入れよう。
小熊は聞いたこと無く、礼子も今朝警察沙汰になって初めて知ったが、以前からこの道を通るとパンクするという噂話はあって、当初警察は取り合わなかったが、あまりにも事例が多く、しまいには子供の乗った自転車がパンクさせられた上に釘の踏み抜きで大怪我したとあって、遂に釘を置いていた人間が逮捕された。
最初は夜中にうるさい音をたてて通り過ぎるバイクをパンクさせるという目的だったらしいが、だんだん通行する車やバイク、自転車がパンクして困る様を見て楽しくなってしまい、道路に釘を置く行為を続けていたとか。
その蕎麦屋なら今朝いつもと違う通学ルートを使った小熊も通ってきた。まさかパンクさせられたのかと思い、小熊と礼子の二人は急いでカブのタイヤをチェックする。
前輪を見ていた小熊には特に変わったところは見つけられなかった。指で押しても空気圧は正常。
後輪を点検していた礼子が「あっ」と声を上げた。小熊も後輪を見てみる。潰れている様子は無い。
礼子はタイヤの路面と接触するトレッド面の一箇所を指でつつきながら言った。
「カブに感謝しなきゃならないわね」
礼子が指差した部分には釘が刺さり、銀色の頭を覗かせていた。
小熊が思わず釘を引き抜こうとすると礼子に止められる。
「このまま釘を抜かずにバイク屋に持ち込んだほうがいいわ」
タイヤの空気圧は少し低くなってるけど正常な範囲。
礼子の話では、カブは比較的パンクに弱いチューブタイヤだけど、カブに標準装備されているタフアップチューブは、内部にパンクを自己修復する硫化ゴムの液体が封入されていて、うまくそれで穴が塞がっている状態だと言う。
「運が良かったわね、タフアップチューブでもダメな時はダメだし、普通のバイクなら数百mも走ったところで走行不能になってるわ」
放課後。礼子の言う通り、釘の刺さったタイヤで不安な思いをしつつカブを買った中古バイク屋に持ち込んだ。店主はすぐに作業にかかってくれる。
小熊は作業を眺めながら言った。
「パンクも自分で直せたほうがいいんでしょうね」
小熊に自分でオイル交換することを推奨した店主は、作業をしながら答える。
「やめたほうがい。カブのタイヤは難しい。レバーでチューブを破ってしまうんだ。カブはどこでも修理してくれるから、そこに任せたほうがいい」
カブのチューブは大概のバイク屋に在庫があるし、日本中どこだろうと、近くの新聞屋や蕎麦屋の面倒を見てるような自転車屋ならカブのパンク修理も受け付けてくれるらしい。
小熊は了承の返事をしたが、自転車のパンクくらい自分で直してたし、これからも起こりうるパンクの修理を人任せにするのはあまり気が進まない。
小熊の反応に気付いたのか、店主は立ち上がり、店の作業場の隅からバイクの車輪を拾い上げた。
見る限り小熊の乗っているカブと同じものらしく、古びて汚れたメッキの車輪に、もう丸坊主になったタイヤが着いている。
「それで練習する。タイヤを外してチューブを外して、元通り嵌めて空気を入れる。チューブが破れて空気が抜けてたら。チューブにパッチ貼ってやり直す」
店主はパンク修理作業が終わり、新品のタフアップチューブを組み付けたカブの前カゴに、車輪つき古タイヤと、使い古した小さなシャモジみたいなタイヤレバーを入れる。
「サービスだ」
小熊は礼を言って、パンク修理の代金を払い中古バイク屋を出る
修理料金は三千円。チューブそのものが結構高いらしい。手痛い出費だけど、だからこそパンク修理くらい自分で出来るようになって節約しなくてはいけない。
家に帰った小熊は、古タイヤを部屋に持ち込み、ダンボールを敷いた上にタイヤレバーや以前買った千円の工具セット、自転車用の空気入れを並べてタイヤとチューブを交換する練習を始めた。
中古バイク屋の店主が言う通り5~6回続けてチューブを破ってしまい、自転車用のパッチを使い切ってしまったが、翌日もパッチを買い足して学校終わりに練習をする。
数十回目にやっとチューブを破らずタイヤ交換できるようになった。
それから数日。小熊はそういう悪運に取り付かれたように続けざまにパンクに見舞われた。
そのたび通販でまとめ買いしたタフアップタイプじゃない廉価なチューブを組み、数回目には穴が幾つも開いたタイヤ自体の強度が気になったので、まだ山は残ってるけど新品に換えた。高価なハイグリップタイヤじゃなくカブ純正のタイヤなら一本千数百円。
何度かのパンクを経て、小熊はもし出先でパンクしたら無理に直さず、潰れたタイヤのままそっと走って家に帰り、チューブはパッチ等で補修せず割り切って新品交換したほうがいいと知った。
とりあえず、自力で戻れぬほど遠方でパンクした時に備え、後部ボックスに予備のチューブと、ボンベ式の瞬間パンク修理材を入れておくことにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます