第9話 昼休み

 原付通学二日目の朝を迎えた小熊は、現在暮らしている日野春駅近くのアパートで目覚めた。

 目覚まし時計のセット時間は自転車通学していた頃と同じ。起きなきゃいけない時間は変わらない。

 パジャマのTシャツとショートパンツを脱いで洗濯カゴに放り出し、シャワーを浴びた小熊は、ブレザーもスカートも紺一色の田舎っぽい制服を身につけ、夕べ洗ったタッパーの弁当箱に炊飯器のご飯を詰めた。

 焼かない食パンにバターとジャムを塗った朝食を、美味しいドリンクというよりビタミン補給剤だと思ってるオレンジジュースで流しこんだ後で、慌しく今日の準備を始める。

 ディバッグに教科書とノート、ペンケースと携帯や財布の入った小さなポーチ、白いご飯だけのお弁当とレトルトの牛丼、麦茶の入った水筒を放り込んだ。

 出費と手間を考えると一番効率的なレトルトと白飯の弁当。冷蔵庫の上に積んであるレトルトも買い置きが少なくなってきたことに気付く。


 バッグのジッパーを閉じようとした小熊は畳んだ布団の横まで行って、昨日寝る前に読んでいたカブの使用説明書を拾い上げてディバッグに入れる。 

 学校指定の黒革ローファー靴を履き、玄関横のヘルメットバッグを手に取った小熊は、ドアを開けて外に出た。

 自転車通学の時より荷物や手間は増えた、でも、それが面倒だとは思わなかった。

 アパートの駐輪場に停めてあったカブにキーを挿しこんでキックレバーを踏み下ろす。

 エンジンは始動した、やっぱり昨日説明書で読んだチョークレバーとかいうものは必要ないらしい。

 一応位置だけは確認し、指でチョークを引いてみる、静かなアイドリングをしていたカブのエンジンが止まる、チョークを戻してもう一回キック始動をやり直しながら、興味本位でいじらないほうがいいみたいだということがわかった。

 説明書通りの暖気運転をしながら、ヘルメットバッグから取り出したヘルメットとグローブを着けた小熊は、キルティングのヘルメットバッグをディバッグの外ポケットにしまった。

 ディバッグを背負った小熊はカブに跨る。ギアを一速に踏み下ろし、アクセルを捻って走り出した。

 

 昨日よりスムーズに走れたような気がすると思いながら、小熊は高校の駐輪場にカブを停めた。

 まだスピードメーターは頂点の40km前後から右傾することが無いが、ミラーで後ろに気を配り、追いついてきた車に追い抜かれるのは上手くなった気がした。

 スクータータイプの原付が多いバイク駐輪場には、昨日小熊と話したクラスメイトの礼子が乗るスズキ・ハスラー50が停めてある。

 一応小熊の取った原付免許でも乗れるオフロード・バイク。ちょっとハンドルに触れてみる。

 小熊のカブより広く高いハンドル、中背より少し低い小熊が跨がると地面に足が着かなそうなシート、小熊には乗れる気がしなかった。

 あの礼子という背の高い女の子には似合うのかな、と思いながらカブをハンドルロックし、ヘルメットとグローブを巾着のヘルメットバッグに入れた。

 バックミラーで髪を少し直した小熊は、ヘルメットバッグを肩から下げて教室に向かう。

 一度振り返り、並んで停められたカブとハスラーを見た。それは小熊にはとても不似合いな組み合わせに見えたが、だからといって隣に停めたくないとも思わなかった。

  

 教室に入った小熊は自分の机に向かう。特に挨拶をする友達も居ないし、授業の前に教科書とノートくらい見ておかなくてはいけない。

 真ん中やや後ろ寄りの席につく前に、ある席の横を通りがかった。前のほうの窓際にある礼子の席。

 礼子は席に座り、文庫本を読んでいた。小熊は一応昨日喋った相手だから、無視するのも無愛想だと思って、片手をそっと上げた。

 「お、おはよう」 

 「ん?うん」

 礼子はそれだけ言って文庫本に視線を戻す、表紙を盗み見してみると、旅行記のようだった。

 小熊は礼子の素っ気無い返事に反応せず、自分の席に座った。

 昨日のことでこの礼子というクラスメイトとお喋りなんてものをする仲になったと思い、それを負担に感じていたが、勘違いのようだったことに気付く。


 小熊は安心していた。昨日のは単に同じ原付通学者としての確認だっただけで、礼子にとって小熊はもう話すことも知り合うことも無いクラスメイトの一人に戻ったに違いない。

 きっと礼子が興味あったのは、私ではなく乗っている原付だったんだろう。それももう昨日で終わり、特に珍くも何ともないカブ、小熊は一安心してディバックを開いた。

 ホームルームが始まるまでの5分ほどの時間、何の教科の予習をしようか、ディバッグに手を突っ込みながら少し迷った小熊は、教科書と一緒に持ってきたカブの説明書を取り出し、担任の先生が来るまで読んで過ごした。

 小熊の席から背中の見える礼子は、文庫本の旅行記を読みふけっていた。


 午前の授業が終わり、小熊はいつも通りの弁当を取り出した。

 白飯の詰まったタッパーの弁当箱を開け、今日も何人もの生徒が並んでる電子レンジの列をチラっと見てから、冷えたままのレトルト牛丼の封を切った。

 牛丼を弁当箱の中に開けながら、礼子の席をチラっと見た。同級生から一緒に昼食を食べようと声をかけられている。成績優秀で見た目もいい礼子が何度も誘われ、そのたびに用があるからと断っていることを小熊は知っていた。

 小熊はといえばこの高校に入学してすぐの頃に何度か話しかけられたが、気後れして遠慮していたらそのうち誰も誘ってこなくなった。

 昔からそうだし、これからもそう、意識を牛丼の弁当に集中していた小熊の耳に、礼子の声が聞こえてきた。

 「ごめんなさい、今日のお昼ご飯は友達と食べる予定なの」

 礼子が自分の弁当を持って席を立ち、こちらを振り返る。小熊は慌てて自分の弁当に視線を落とした。

 こちらに向かってくる迷い無い足音、小熊の前に立った礼子は言う

 「じゃ、食べに行こうか?」

 突然の言葉に困惑する小熊の腕を取る礼子。慌てて自分の弁当と箸を持った小熊を、礼子は教室の外に連れてった。

  

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