第10話 寄り道
礼子は小熊の腕を取り、教室から連れ出した。
小熊は自分の牛丼弁当を片手に、半ば引っ張られるように礼子について行く
今日の昼ご飯は友達と食べる。そう言ってクラスメイトからの昼食の誘いを断った礼子が小熊と一緒にどこかに行こうとしている。
小熊は思った。もしかして礼子は私のことを友達として見ているのか?もしそうだとしたらそれは迷惑な話。そういう人間関係の負担を避けていたのに、礼子は人の都合も聞かず一方的に私の腕を引く。
小熊はこの手をふりほどいて教室に駆け戻ろうかと思ったが、もし今そうすればクラスの中に友達よりも面倒くさい敵を作ってしまうことになるかもしれない。
あれこれと迷ってる間に、小熊は校舎の裏手にある駐輪場に連れていかれた。
小熊の腕を離した礼子は、教室の他のクラスメイトの前では見ないような笑顔を見せながら言う。
「じゃあお昼ご飯食べようか?友達と一緒にね」
礼子は駐輪場に停めてある自分のハスラー50のシートを叩いた。
横には小熊のスーパーカブ、友達の居ない小熊の、友達でも何でもない生活道具で、ただの移動手段。
バイクが友達だなんて高校生にもなって言うことなのか?と小熊は思ったが、自然に頬が緩んでいた。
礼子の子供のような笑顔に釣られたわけでも、その行動が可笑しかったわけでもなく、自分にとって想定外の出来事を前にして、ただ笑うしか無かったから。
礼子はサイドスタンドで傾けて停めたハスラーのシートに横座りで腰掛け、自分の弁当を広げる。
いただきます、の声と共に一本丸ごとのバゲットにハムや野菜を詰めた昼食にかぶりついている礼子、小熊に座るよう勧めるでもなく、自分のバイクを見下ろしてはニヤニヤしながらバゲットを齧っている。
小熊はしょうがなく自分のカブのシートに座った。礼子のようにカッコよくはない。跨るような格好。正直、止まってる原付は不安定で、物を食べるには不向き。
小熊が自分の牛丼弁当を食べ始めると、もうバゲットを半分ほど食べた礼子が一方的に話しかけてくる。
「こうやってバイクに乗ってると、自分がどこにでも、どこまででも行けるっていうのを確認出来るのよ」
1980年代、バイク雑誌最大手の月刊オートバイで二輪冒険家の賀曽利隆によるハスラー50での世界一周の記録が紹介された。
礼子がこの原付を手に入れたのは、本好きだけど小説よりノンフィクションをよく読んでいた小学生の時、書籍化された賀曽利氏の世界一周記を読んだことがきっかけだった
弁当を食べていた小熊は礼子と目を合わさず、自分のカブを見下ろしながら答えた。
「まだ遠くに行ったこと無いから」
遠くまで行けるバイクというのは、礼子が乗っているオフロードバイクみたいなものだと思った。
礼子の傷だらけのハスラーには、後部に荷物がたくさん入れられそうなボックスが装着されていて、小熊のカブは大きな荷台がついている割に、ヘルメットを固定する事にすら苦労する。
礼子は自分のハスラーを見て、それから小熊のカブを見てから答えた。
「どこにでも行けるわよ。だってカブだもん」
礼子に感銘を与えたハスラー50による世界一周、同じ時期の月刊オートバイ誌では、無名の読者投稿者によるスーパーカブ日本一周が連載されていた。
そんなことを知らない小熊は、配達や出前、農家の人の足代わりに使われてるようなカブで遠出をすることなんて思いもしなかった。
結局、礼子に振り回された感じの昼食と、午後の授業が終わり放課後になった。
昼休みには小熊を強引に誘ってきた礼子はといえば、ホームルームが終わると小熊のほうを一瞥もせず教室を出て行った。
小熊は少し遅れて下校し、駐輪場まで行ったが、礼子のハスラー50はもう見当たらない。
小熊はカブのエンジンをかけ、学校を出た。ここから家までの道順は県道をただまっすぐ走るだけ。
途中、県道は牧原の交差点で甲州街道と交わっている、左に曲がれば諏訪、松本、右に曲がれば甲府、東京。
直進し家に帰る積もりで交差点にさしかかった小熊は、カブのウインカーを点け、甲州街道を右に曲がった。
礼子の言葉に影響を受けたわけではない。
ただ、買い置きのレトルト食品が切れかかっているのを思い出し、スーパーまで買いに行かなくてはいけないと思ったから。
小熊の寄り道が始まった。
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