第40話 富士山

 礼子は傷だらけのハスラーに乗って五合目の山小屋に戻った。

 ハスラーは礼子本人ほど傷ついていない様子で、外装とミラーが壊れ、レバー類が曲がった程度。

 帰ってくるなり頂上まで資材を運び上げる履帯車へ荷物の積み込む仕事を始める礼子を見た店主は、傷だらけのハスラーに触れながら聞いた

「何でそんなことをするんだ?」 


 礼子が原付バイクで富士山を登ろうとしたのは、ある二輪冒険家の著書がきっかけだった

 その本によると、現在より環境保護や登山マナーが大らかだった時代、バイクでの富士山登頂は以前盛んに行われていて、現在高名なオフロードレーサーや評論家となっている人間のうちの何人かは、週末にバイクで富士山ブルドーザ登山道を登ったらしい。

 五合目から徒歩で数時間かかる頂上まで20分ほどで登り、降りるのには5分と掛からない

 険しい瓦礫の急傾斜を登れるのは一部の高性能オフロードバイク。軽量なモトクロス車では絶対的なパワーが足りず、石礫にタイヤを取られて立ち往生。あるいは転倒する。


 それらの体験記をきっかけに、礼子はネットや古いオフロード誌を漁り始めた。出入りしているショップでも、ベテランのオフロードライダーに結構多いという実際に登ったことのある経験者から話を聞く。

 それらの情報を集めた結果、礼子はもしかしたら自分にも出来るかもしれないとも思った。

 それが確信に変わったのは、礼子が乗っているバイク、スズキ・ハスラー50に装着できる125ccエンジンを手に入れた時だった。

 軽く非力なバイクでは富士山は登れない、しかし重く大きいバイクは、乗り慣れたハスラーのように自在に扱えるかどうかわからない、ならばこのハスラー50の車体にハイパワーなエンジンを載せればいい。

 ハスラーは50ccだけでなく125cc、250ccも出ていたが、フレームそのものが50ccより一回り大きい。

 礼子は以前、ハスラー125の事故車から手に入れたエンジンにチューンを施し、自分のハスラーに積むことを考えた。

 言うは易しの作業はエンジンマウントを自作したり、チェーンラインを調整したりの大変な作業だったが、トルクの塊みたいな特製ハスラーが完成した時、礼子はこれで富士山を登ることを決めた


 バイクが出来上がったところで、もう一つの問題である許可関係についても道は開かれる。

 富士山須走五合目にある山小屋での荷積みバイト。登山経験がほぼ無い礼子は、大学登山部の人間が希望者の多くを占める採用面接で、かつては登山家だった店主に率直に伝えた、富士山をバイクで登りたいと。

 凍傷で足の指を全て失い登山家を引退したという老いた店主は、比較的多かった希望者の中から礼子を採用し、走路確認という仕事までデッチ上げてくれた。

 早朝でまだ登山者が居ない時間、荷物運びや急病人の移送を行う履帯車を走らせる前にバイクで天候やブルドーザ登山道の状態をチェックする仕事。六合目まで走れば仕事は終わりだが、荷物運びに支障の無い範囲なら、多少の変更をしても構わないという、例えばチェック範囲の拡大など。

 採用が決まってから礼子はハスラーを急いで組み上げ、同じ山梨県内の須走から始まる富士吉田登山道で働き始める。女子高生の体には少々過酷な荷積みを行い、それから毎朝ハスラーで富士山を登る


 礼子は自分に何故そんな事をするのかと問いかけた店主に答えた

「私は知りたいだけ。私が自分の周りにある物に呑まれる人間なのか」

 北杜の高校に通っていても目に入ってくる、日本一高い山は、今朝も礼子を呑みこむように聳え立っていた。 


 

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