第18話 安全速度

 午後の授業を終えた小熊は、アライ・クラシックのジェットヘルメットを被り、昨日ボックスと前カゴを付けたカブに跨った。

 帰り道が逆方向の礼子は、ハスラーのチャンバー・マフラーから白煙を吹きながら騒々しく走り去って行った。

 小熊は県道を帰り道に向けてゆっくり走り出す。

 今までヘルメットバッグに入れて持ち歩いてたヘルメットを、カブのスチールボックスに入れておけるのは面倒くさくなくていい。それまで背負ってたディバッグをカゴに入れ、荷物を何も身につけてない状態で走れるのは気持ちいい。

 昨日までより身軽になった小熊は、県道が甲州街道と交差する信号を左折した。

 今日もショッピングセンターに行こうと思った。特に何か買う物があったわけでも無いが、1km少々の寄り道はさほど時間の無駄にならないし、実際に行ってみれば何か買う物が見つかるかもしれない。

 それに、新しい装備をつけたカブを乗り回したい。

 小熊は甲州街道を東へと向かった。

 

 平日午後で混んでるような空いてるような幹線道路。小熊のカブを他の車やバイクが追い抜いていく。

 このカブを買って以来、スピードメーターの針は60kmまでの目盛りの頂点である40km前後までしか動かない。

 それでも今まで乗っていた自転車の全力漕ぎよりまだ速いし、小熊の用を果たすにはそれで充分だったが、自分一人だけが走っているわけではない公道に最適な速度では無い気がした。

 他の車と充分な距離を取りつつ、速度を合わせて流れに乗ったほうが安全だということは走っていればわかるし、小熊も後ろから車が来たら道の端に寄って追い抜かれるのが上手くなったが、それでもイヤがらせのように至近距離を掠めてく車は居る。

 原付一種の制限速度が30kmだという道交法は、山梨の田舎ではほとんど守られてなくて、地元の住民が乗る原付が他の車と同じくらいの速度で走ってても、取り締まられているところを見かけることはほぼ無い。

 小熊がこのカブで理想的な速度に達するには、このスピードメーターを頂点から右へと傾けなくてはならない。カブにはそれが出来る実力がある。小熊は前後に車が居ないのを確認して、カブのスロットルを回した。

 

 エンジン音と風切り音が変わる。赤い速度警告灯が点滅する。カブは安定して速度を上げつつあったが、小熊はスロットルを戻した。

 今まで出したことの無いスピードへの不安や恐怖はあまり無かったが、顔を覆う透明なシールドの無いヘルメット。風が顔に当たって目が痛くなる。

 小熊はスピードを40km前後に戻した。交差点から1km先のショッピングセンターにはすぐに着いたが、スーパーマーケットに入って店内を見回し、すぐにカブを停めた駐輪場に戻った。

 月一度の奨学金支給日を前にして、財布の中身が寂しいということもあったが、小熊にはお買い物より先に確かめたいことがあった。

 カブに乗ってヘルメットを被り、いつもより丁寧にストラップを締めてグローブを嵌める。紺スカートにブラウス、紺ベストの田舎臭い夏制服の襟を整え、ボタンをきちんと留める。

 カブのエンジンをかけた小熊は国道に出てすぐにカブを加速させた。


 いつもの最高速である40kmに達したカブのスピードメーターは右へと傾いていく。

 中古で買ったカブながら不調らしい不調も無く、まだ余力を残していることは小熊にもわかる。

 自分自身のスピードへの順応を慎重に確かめた。

 制服が風でバタつくのが気になるけど、自分自身の動態視力や三半規管が速度に比例して増す入力情報を受け入れていることは確信した。

 自宅アパートの方向に曲がる牧原の交差点に達したけど、直進してもう少し走った。

 やっぱり、今の小熊には40kmくらいの速度しか出せない。

 充分な性能を備えたカブ。速度に適応しつつある小熊。

 でも、顔に当たり目が痛くなる。この風を何とかしないことには、これ以上の速度は出せない。

 小熊は国道をUターンしてアパートに帰った。この問題を解決しないといけない。

 ガス欠、荷物箱と来て次は風の対策。買って以来続けざまに小熊に課題を与えるカブ。

 小熊は不思議とそれを苦行や負担だとは思ってなかった。

 少なくとも、カブに乗り始めてから、小熊は退屈していない。

 

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