第17話 機能

 いつもの時間に眠った小熊は、いつもより少し早めに起きた。

 シャワーを浴びて制服を身につけた小熊は、いつもと変わりない白飯とレトルト天津丼の弁当を作り、いつもと同じ食パンとフルーツジュースの朝食を摂る。

 でも、きっとそれはこれから少しずつ変わっていく。

 小熊はディバッグとヘルメット、グローブを手に取り、靴を履いて玄関を開けた。

 アパートの外に出るとすぐに見える敷地内の駐輪場には、昨日までとは姿を変えた小熊のカブがあった。

 昨日、同じ原付通学仲間の礼子の協力で、百円ちょっとの袋菓子二つと引き換えに手に入れた黒いスチール製の荷物箱と、学校の教頭先生から貰った前カゴ。

 カブに乗りなれていくうちに不便に感じるようになった、荷物が積めないという問題。それが解決された、積載量を大幅に増したカブ。

 何も改造していないカブに、銀行や農協の営業回りをするカブで見かけるような黒い鉄箱と新聞配達で使うような前カゴ。

 カブを仕事で使うための装備を付け足したような、あるいは純正オプションで最初から付いているような、どこにでもある姿のままのカブ。


 荷物を入れる箱を付けるに当たっての問題点。ホームセンターで売っているレジャー用ボックスが高価くて買えないという事と、人目を引く箱をつけてると自分の居場所が不用意に目だってしまうという事態は、ほぼ理想的な形で回避できた。

 きっとこの駐輪場の前を通る人たちは、昨日までがそうであったように、今日もまた普通のカブが停まっているとしか認識しないだろう。

 小熊はその匿名性を気に入っていた。個性も人からの注目も苦手だけど、バイクが注目を浴びるのはもっと苦手、機械に頼った個性なんて自分が何も無い人間だと認めるようなもの。個性を望んだ時は自分で出す。

 とりあえず学校の教科書が詰まったバッグを背負わずに放り込めるのはいい。荷物は持つより積むほうが楽だということは、自転車で通学も買い物もこなしていた頃からの経験で知っている。

 今日からはこのカブで何でも買いに行ける。奨学金暮らしで財布の中身は豊かとは言えないが、今日も学校帰りにあのホームセンターとスーパーマーケットが一緒になったショッピングセンターに行ってみようと思った。

 小熊はいつもの通学路を、昨日までとは少し変わったカブで走る。後ろの荷台に固定したスチールボックスが背もたれにも使えることを知る。

 ゆったりと背を預けるには固くて平たくて、おまけに遠かったが、背に当てて昨日の買い物が正解だったことを確かめられるだけで充分。


 学校に着いた小熊は、後ろのボックスを開けてヘルメットとグローブを入れ、ボックスの鍵をかける。それから前カゴのディバッグを取り出した。

 このカゴは不用品をタダでくれた教頭先生への義理立てみたいな形で付けたが、ボックスと前カゴの両方を付けて正解だったみたいだ。

 少なくとも外したヘルメットをバッグに入れて教室に持ち込んでた頃よりはずっと短い時間と手間で済む。

 教室に入った小熊は、すでに学校に来ていた礼子の席まで行った。

「あの、昨日はありがとう」

「あぁ、うん」

 今朝も読書をしている礼子はいつも通り無愛想な返事。内容はバイクでの旅行記。そういえば礼子は夏休みに彼女が乗っているハスラー50で遠出すると言っていた。小熊は自分がここまで他人に興味を持つのが初めてだということに気付く。

 どうやら、カブが小熊にもたらしたのは荷物を積む能力だけでは無いらしい。

 

 今日も礼子は昼休みになると小熊の机までやってきて、小熊を駐輪場でのお弁当に誘う。 

 小熊も礼子が席を立つと同時に立ち上がり、自分の弁当を持って礼子の横に歩み寄る。

 最初は同じく原付で通学してるからってだけの理由で強引に昼ごはんに誘ってくる礼子が苦手だったが、礼子のおかげでカブのボックスを入手したことで、小熊は礼子に好感を抱きつつあった。

 とりあえず、昨日も見せた箱つきのカブをまた見て欲しい、いや、見たいのは授業中カブと引き離されていた私のほう。

 駐輪場で礼子と二人。原付のシートに座って弁当を広げる。小熊はボックスの蓋がテーブル替わりになることに気付いた。

 信金で用済みになった廃棄品だという箱。それなりに使いこまれているが、強度の高いエポキシ塗装の表面には内部の鉄板まで届くような傷は無い。

「顔、ニヤケてるわよ」

 礼子に言われて慌てて顔をそむける。これじゃ新しいオモチャを買って貰った子供と一緒だ。


 尻を預けてたハスラーのシートから立ち上がった礼子は、少し離れた位置で小熊のカブを見て、笑い出す。

「なんか学校に銀行の人が来てるみたいね」

 小熊はスチールの箱を撫でながら答える。

「やっぱり、かっこ悪いかな」

 礼子は胚芽パンにコールスローを挟んだ自分の弁当を食べながら問い返す。

「カッコ悪いと思う?」

 小熊は立ち上がり、自分のカブを離れた位置で見ながら答えた。

「この箱とカゴは便利」

 カッコいいか悪いかの答えにはなってないし。何がかっこいいかなんて小熊にはわからない。でも、小熊の目に映るのは何でも積めてどこまでも行ける、小熊のカブ。

「ルイス・サリバンが言ってたわね。デザインは機能に従う」

 小熊は礼子の言葉が受け売りだということは知っていた。同じ教室で受けた授業で教わった言葉だから。

 現代史の成績も中の上程度の小熊は、きっとその高名な建築家の名前は次のテストが終わったら忘れるだろうと思ったが、少なくともその言葉については嘘ではないと思った。

 小熊にとって今のカブは機能的で、それは愛着や憧れ、美しさを覚える類の物だった。

 かっこいい、という状態にとても近いんじゃないかと思った。

 


 2006年に開催されたモンゴル・ラリーレイドに愛媛の銀行職員がカブで出場したことがあった。

 彼は輸出用CT110型カブの部品で各部を強化されたカブに、銀行員の象徴たる黒い箱を装着して完走した。

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