第25話 アルバイト

 小熊がカブに乗り始めた夏。

 期末試験は特に波風も無く終わった。

 具体的な進路の展望があるわけでもない高二の一学期。補習が必要になるような赤点さえ取らなきゃいいと思って、教科書とノートを見返す程度の勉強をして受けた試験は、予想通り各教科共に平均点より少し上の点を頂戴した。

 明日の一般授業を終えれば、終業式の日を挟んで夏休みと繋がった試験休みが始まる。

 試験終了後。ホームルームの時間を終えて他の生徒たちが帰り始める頃、小熊は学校の教務課に居た。

 誘い合って期末試験の打ち上げに行くような友達の居ない小熊が、教務課のある職員室に居たのは、数日前に小熊が問い合わせた件についての呼び出し。


 小熊はバイトをしようと思った。

 今の奨学金暮らしでも食べていくには困らないが、カブを買ってから何かと金が必要になることが増えた。

 カブ自体が要求するのはガソリンとオイル、少々の追加装備くらいだけど、カブで走り回ることで行動範囲の広がった小熊は、世の色んな物々が目に入るようになって、欲しいものも色々と出てきた。

 奨学金を貰うようになる前。失踪した母と一緒に暮らしていた時から、小熊は物欲に乏しい少女だった。

 同い年の子供が真新しいオモチャで遊んでいても、小熊は偶然手に入ったり母が気まぐれに買い与えてくれた旧いオモチャ以外のものを欲しがらなかったし、玩具では無く家にある生活道具で遊ぶことが多かった。

 今もアパートには机とベッドと少々の家具、炊事道具しか無く、娯楽をもたらす物といえばラジオくらい。特にそれで不足や不遇を感じたことは無かった。 

 思えば子供の頃から、欲しい物より必要な物を手に入れるのに精一杯で、自分が何を必要としているかはわかってても、何を欲しいかについて考えることは無かった気がする。

 それを変えたのは一台の原付バイク。

 自転車で充分な行動範囲の中で暮らし。趣味らしい物を持たず暮らしていた小熊は、奨学金の蓄えをはたいてスーパーカブを買った。

 

 カブに乗るようになって以来、リアキャリアにつける荷物箱や目を守るゴーグルなど、必要な物を買い足すことはあったが、とりあえず走るための装備が一通り揃うと、今度は必要かどうか、まだわからないものまで気になるようになってくる。

 通学用のローファーでカブを走らせていると、時々踝がエンジンのサイドケースに当たって熱い思いをさせられることがある。

 それは気をつければ回避できるけど、転倒した時のことを考えると足首と踝が剥き出しになっているより、それがガードされてるような靴が欲しくなる。

 小熊が今使ってる腕時計は百円ショップで買ったデジタル時計で、バックルが緩んでてよく外れるので、着けずに部屋にほったらかしてることのほうが多い。

 時間は携帯で見るし、それで困ることは無かったけど、カブに乗っている時に携帯で時間を見ることは出来ない。新しい腕時計が欲しい。

 他にも、走ってて襟がバタつかないよう制服の上に着るジャケットがあればいいなと思ったり、カブのキーと学校の鍵、荷物箱の鍵を一まとめにするキーホルダーが欲しくなったり、色々と気になる物が出てくる。

 思えばそれらの欲しい物は全てカブに関係している。カブは今まで慎ましく生きてきた小熊の中に物欲を植えつける存在なのか。それとも、カブによって今まで見えなかった物が見えるようになったのか。

 どちらにせよ、欲しい物を手に入れるにはお金が要ると思った小熊は、学校の教務課にバイトの問い合わせをしていた。

 大きな街からは遠く求人も少ない山梨の田舎。コンビニに行けばバイト情報誌の甲信越版くらい置いてるが、いいバイトを見つけるには手広く探したほうがいいと思い、少数ながら学生のバイトやボランティアを斡旋する教務課にも声をかけておいた。

 そして小熊は、試験を終えた放課後に教務課に呼び出されている。

 総務を受け持つ担当教師は、小熊の夏休みバイトにちょうどいい仕事だと言って、一通の求人票を出した。

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