スーパーカブ

第7話 礼子

　小熊の原付通学初日。

　家庭科の時間にヘルメットバッグを作ったことで、小熊がバイクという、彼女のクラス内でのイメージに似合わぬものに乗っていることがクラスの皆に知られることとなった。

　乗っているのがスーパーカブと聞いた同じクラスの女子たちは興味を失くしたが、家庭科の授業が終わる頃、一人の女子生徒が小熊の席に近づいてきた。

　小熊は気付かない振りをしながら、地味な生成り色の巾着袋を手に取り、ひっくりかえしたりして縫い目を確かめていた。

　後は家庭科の先生に作品を提出して、よほどの未完成品でない限り合格点をつけてくれる先生からハンコを貰えば授業は終わり。

　それでも小熊はまだ作業が残っている振りをした。

　小熊は、課題を早々に終わらせ自分に向かって歩いて来る女子が苦手だった。

　小熊の机の前に立ったのは、同じクラスの女子生徒、礼子。

　長身で長髪、近寄りがたい美形、小熊と同じくクラスの他の女子とはあまり仲良く喋らないタイプだが、小熊とは違う種類の人間。

　成績は上位でスポーツも優秀、女子同士の噂話を伝え聞いたところによると、実家は東京で会社を経営していて、礼子は北杜市北部にある実家の別荘で一人暮らししているという。

　望む物を何でも持っている女の子、友達と言える存在はクラスの中を見る限り居なかったが、彼女は望んで一人になっている。

　親も無くお金も無く成績は並、クラスの中で何となく一人になってしまった小熊とは対照的な存在。

　だからこそ小熊は礼子が苦手だった。

　礼子は迷いの無い足取りで小熊の横まで来て、気付かない振りをしている小熊に話しかけた。

「あなたはバイクに乗ってるの？」

　よく通る声。礼子の直裁な言葉に圧された小熊は、目線を手に持っているヘルメットバッグに落としながら答えた。

「カブだけど」

　小熊の返答とキッチリ同じ時間の沈黙、無表情な礼子。

　小熊が小さな声で発した言葉を一つ残らず取り入れているようにも見える。

礼子はもう一度小熊に話しかけた。

「後で見せてくれるかしら？」

　小熊は自分の背が丸まっていくのを感じた。まだ笑われたほうが気が楽だった。

　クラスの女子たちに注目されるのは嫌いだったが、最も困る相手から存在を認識されてしまった。

「授業、終わった後なら」

　そう答えるのがやっとだった。

　五時間目の授業が終わり、出来れば終わって欲しくないホームルームが終わった後、小熊はディバッグを手に取った。

　このまま急いで帰ってしまおうか？礼子には明日の朝、うっかり忘れたとでも言い訳すれば、もう話しかけてくることは無くなるだろう。小熊は小走りに教室を出た。

　せっかくの原付通学一日目なのに、今日は後味の悪い終わり方をしてしまった。

収穫といえるものは家庭科の時間に作ったヘルメットバッグくらい。

　そこで小熊は、今日作った巾着のヘルメットバッグを教室に置き忘れたことに気付いた。

　自分が焦って教室から逃げ出してきたことを半ば忘れ、廊下を引き返そうとした小熊は後ろを振り返る。

「はいこれ、忘れ物よ」

　小熊のすぐ後ろには、生成りのヘルメットバッグを持った礼子が立っていた。

　もう逃げられない、諦めた小熊は礼子と並んで歩く。

　特に会話らしきものも無いまま、二人は昇降口経由でバイク駐輪場に着いた。

「これ」

　駐輪場に着いた小熊は、停めてある自分のカブを指した。

　もし礼子に自分のカブを見せなくてはいけない、それが断れないなら、最小限の接触と会話で済ませようと思った。

　それまで何も言わず、少し早めの小熊の歩調に合わせるように隣を歩いていた礼子は、カブを見た途端饒舌になる。

「へーキャブ式カブの極上品じゃない！走行５００ｋｍちょっとでタイヤもまだまっさらね、やっぱ旧式カブはカッコいいわ、ヘルメットはアライのクラシックかぁ、わたしも欲しかったのよこれ」

　今までに見たこと無いテンションの礼子。

圧倒される小熊を余所に礼子は、まるで子猫でも撫でるようにカブのあちこちを触りまくる。

　ひとしきりカブを見て満足したらしき礼子は、髪をかきあげながら言う。

「わたしもバイクで通学してるんだ、見る？」

　小熊はバイクなんて見せられてもよくわからないし、正直見たくもなかったが、礼子が見て見て！って目で小熊の顔を覗き込んでくるので、ついコクリと頷いてしまった。

　礼子は駐輪場の裏手に回り、停めてあったバイクを押して歩いてくる。

　座って乗るスクーターやカブではなく、跨って乗るオートバイ。

　オフロード車らしきボコボコしたタイヤ、黄色い車体のあちこちに傷がついている。

「スズキのハスラー５０、わたしのバイク」

　小熊は一応付き合いのような感じで礼子のバイクをあちこち見たが、汚いバイクだとした思えなかった。

　礼子はハスラーの後部に固定された緑色のボックスを開けた。中から取り出したヘルメットを被りグローブを装着する。

　小熊にはバイクよりそっちのほうが興味があった。

　礼子はキックレバーを踏み下ろした、背が高いとサマになる。

ハスラーという黄色いバイクは白い煙を上げ、小熊のカブよりもだいぶうるさい音とともに始動する。

　顔を覆うモトクロスタイプのヘルメットを被った礼子は、小熊に顔を寄せる。

「わたしばっかり喋っちゃって悪かったわね、同じバイク乗りと知り合えて嬉しいわ」

　礼子はそれだけ言うと、うるさいバイクで白煙を撒き散らしながら走り去った。

　しばらく駐輪場で人疲れしたように突っ立ってた小熊は、カブのエンジンをかけてヘルメットを被り、スタンドを下ろしたカブを駐輪場の外まで押していって跨る、ゆっくりと走り出した。

　帰路の途中で、あの礼子という同級生と明日教室で会ったら何を話そうかと考えていた。

何を話さなくてはいけないか、いや、きっと今日バイクを見せたことで用は終わり、明日からは話すことも、こんな疲れる思いをさせられることも無いだろうと安心した。

でも、もし、もしも礼子のほうから話しかけてきたら、私からも少しは何か喋るくらいはしてもいいだろう、と少し思った。