第27話 装備

 明日から始まる試験休み。小熊は人生で初めてのアルバイトというものをすることとなった。

 高校の教務課から紹介された仕事の内容は、休みの期間中、小熊の高校から20kmほど離れた甲府市街の提携校に書類を届け、向こうで受け取った書類を持ち帰ってくる。外交クーリエか運び屋のようなバイト。

 バイトの開始を翌日に控えた小熊は、学校から家に帰る前に寄り道をする。何度か行ったことのあるホームセンター。

 明日からバイトで毎日カブに乗ることになる。二往復で少なくとも約80kmの距離を走るなら、それなりの準備というものがある。 

 少し迷いつつ幾つかの買い物を済ませた小熊は、ついでにスタンドでガソリンを満タンにしてアパートに戻った。

 夏の夕暮れまでにはまだ時間のある昼下がり。部屋に戻ってシャワーで汗を流した小熊は、昨日アパートの先住者が置いていった洗濯機で洗った洗濯物を取り出した。

 湯上りの下着姿のまま、畳まなくてはいけない服を手早く畳んでタンス替わりの引き出しボックスに仕舞った小熊は、洗濯物の幾つかを選り分けてベッドに放り出した。それから今日の買い物を袋から開ける。

 

 小熊がベッドの上に広げたのは、高校の体育ジャージ。制服と同じく田舎臭い紺一色の上下。

 明日からのバイトは学校業務の一環という扱いなので、制服で来るように言われたが、小熊は控えめながら反論を述べた。

「制服では少し危ない」

 自転車程度の速さではでは気にならないが、幹線道路を50~60kmの巡航速度で走るとブラウスの襟やベストの裾、そしてスカートが途端に走行風で暴れ出す。

 バタついた服がどこかに引っかかったり、手足の動きを阻害したら事故に直結するのはもちろんの事、こんなので毎日走ったのでは制服も消耗するだろうと思っての言葉だったが、危ないという言葉を違った解釈で捉えたのか、教師はあっさりと体操着でもいいと言った。

 他校を訪問するなら制服を着るのがマナーだけど、学校のジャージ姿で居ても教師たちは部活の関係で来ているんだろうとでも思ってくれると言うが、小熊にしてみればどうせ人目を引くなら地味な格好のほうがいい。

 

 都心は夏日でも冷房いらずと言われる山梨北部。夕方が近くなってくると南アルプスの風が涼しい

 小熊は明日から着る予定の体育シャツとジャージに袖を通した。ジッパーを締めて相変わらず野暮ったい紺のジャージを見下ろした小熊は、ベッドの上に置いた今日の買い物を開け始める。

 一つは靴。以前からカブのエンジンに足が触れても熱い思いをしない踝まで覆う靴が欲しかったが、ホームセンターでちょうどよさそうなハイカットスニーカーが安く出ていたので買ってしまった。

 千円のプロケッズの布製バスケットシューズ。コンバースが自社のオールスターのパテント切れを控え、現在各社から出ているオールスター型シューズを意匠侵害として訴訟すると宣言して以来、ハイカットの布製バッシュは販売差し止め前の投売りがされている。

 もう一つは時計。携帯やベルトの壊れた百均時計ではなく、カブに乗っている間も正確な時間が見られる腕時計を買おうと思っていた小熊は、ホームセンターの時計コーナーで見つけたカシオF-91Wのデジタル時計を思い切って買ってしまった。

 こっちも千円。時計の針に感傷や空想を抱かない小熊は、ただ正確な時間だけを常に教えてくれるデジタル時計のほうが好きだった。

 小熊は知らなかったが、並んでる時計の中で安くて見栄えがよさそうだと思って買ったカシオF-91Wは、堅牢にして正確、何より世界中どこでも5~6ドルで買える入手性の高さで国内外から評価を受けている、まるで小熊の乗るスーパーカブのような腕時計だった。

 かつて湾岸戦争の時に兵士の間で流行していたGショックと入れ替わるように、敵味方問わず誰でも付けていて。オサマ・ビン=ラディンも愛用者の一人として知られている。アルカイダの爆発物担当者は全員にこの時計が支給されるという。

 

 ジャージ姿のまま買ったばかりのバッシュに紐を通して履き、腕時計を着けた小熊は、姿見など無い部屋の洗面台にある鏡で自分の姿を映してみた。

 おかっぱ頭に見慣れた地味な顔。紺一色のジャージはどう見ても田舎高校生。それでも明日から、これが小熊の仕事着になる。

 スーツと時計と靴。小熊は新人サラリーマンと同じように、真新しい鎧と剣で心細さを埋め合わせようとしていた。

 少なくとも、明日キチンと働いて日払いの給料を受け取らないことには、今日の散財で財布をほぼ空っぽにした小熊は飢えて干からびてしまう。

 そんなことを思ってたら腹が鳴ってきた。小熊は買い置きの食料の中から少し奮発して卵とレトルトハンバーグの夕飯を食べ、ジャージとスニーカー、腕時計を身につけたまま早寝した。

 眠ろうと思ってると緊張して眠れない。眠らなくてはいけないと思って体を強引に眠りの中に押し込んだ。

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