第58話 到着

 湘南の海沿いを通る国道一三四号は、まるで道そのものがアミューズメントパークみたいだった。

 波の音を聞きながら走る道。道路の海側は防風林と砂浜、陸側には装飾過剰な建物が連なっている。

 白い石造りのカフェレストランや水色の木で作られたサーフボードショップ。どの建物も居住するという実用的目的だけでなく、湘南で暮らすという住人の自負のために精一杯のお洒落をしているように見える。

 そうでも無ければ海風で機械は錆び、災害リスクも高い海辺で暮らすことなど出来ないのかもしれない。小熊は地元の北杜市に多数あるログハウスの別荘を思い出した。

 日本の気候には必ずしも合っているとはいえず、プレハブの住宅より値段も手入れコストもかかる丸太小屋にあえて住んでいる人は多い。山に住んでいるという実感のために相応の対価を払ってる。

 そうやって暮らしを装飾することには縁の無い小熊は、湘南に並ぶ建物を見ても馬鹿げているとは思えなかった。

 自分もいつかここに住みたいと思える場所を見つけたなら、その暮らしを演出するくらいのことはするかもしれない。たとえばこの湘南の家々みたいに。 

 物理的な機能の無い白壁や使うことの無いガーデンポーチも、それがあることで家に帰ることが楽しみになれば、支払った出費もお釣りつきで回収できる。

 機能的極まりないカブに乗り、装飾の街を駆け抜けていた小熊は、湘南大橋を過ぎ、七里ガ浜にさしかかったあたりでカブを停めた。

 休憩はさっき取ったばかりで、時計を見る限りこのまま走れば早くも遅くも無い時間に目的地に着けそうだけど、何となくこんな綺麗な場所でカブを眺めたくなった。


 道端に寄せたカブを歩道に乗り入れ、海水浴場入り口近くの疎らに自転車や原付が停まってるあたりにカブを停車させた。スタンドをかけたカブのシートに横座りする。

 ヘルメットを外すと海風がおかっぱ頭の髪を揺らす。生臭いような海の匂いがする。下の地面がジャリジャリするので見てみたら砂浜の砂が舗装道路にうっすら積もってた。

 もう海水浴のシーズンは終わっていたが、海を見るとウェットスーツ姿のサーファーを結構見かける。周りに停まっている自転車のうちの何台かにはサーフボードを積むキャリアが取り付けられていた。

 カブの右ひざあたりにブラ下げられていたペットボトルのお茶を飲みながら、小熊はしばらく海を眺めていたが、代わり映えしない自然の風景を見て癒される感受性は無かったらしく退屈になってくる。

 振り返って海沿いの道路を見た。走ってるのは地元のごく普通の車だけど、オープントップの車を見かける頻度が他の道路より多く、旧い外車とか趣味性の高い車もよく走ってる気がした。

 真っ黒に日焼けした少年や少女がサーフボードを積んだ自転車を漕いで小熊の前を通り過ぎる、遠くに江ノ電の線路と海のまん前にある高校の校舎が見えた。

 こんなとこで高校生活を送ってたら自分はどうなってたのかと考えたが、やっぱりカブに乗っていただろうと思った。

 時計を見た小熊は、修学旅行のしおりに書いてあったバスの到着時間がもうすぐだということに気付き、ヘルメットを被ってカブのエンジンをかけた。


 カブで国道に出て、寄せる波の音を聞きながら七里ガ浜沿いを走る。

 潮風を吸い、相変わらず洒落た建物と祭りの晴れ着みたいウエットスーツやアロハシャツを着た通行人を眺めながら腰越の漁港を越え、一度岩の切り通しで閉ざされた視界が開けてまた始まった砂浜を終わりまで走ったところで左に折れる。

 海からまっすぐ伸びる道路を2kmほど走るともう鎌倉。地図を見た時の記憶に従って鶴岡八幡宮の突き当たりで左折し、坂道をちょっと登った先。目的の旅館はあっさり目の前に現れる。

 小熊がウインカーを点けて旅館の敷地に入ると、道の反対側から来た観光バスが小熊についてくるように右折して旅館の前庭に入ってくる。

 バスの中の乗客たちが小熊とカブを指差してるのが見える。小熊が邪魔にならないよう前庭の端に寄ると、数台連なって入ってきたバスが旅館の正面玄関前で停車する。

 バスのドアが開き、中から制服姿に長い髪の乗客が出てきた。まっすぐ小熊のところに駆け寄ってくる。小熊は軽く手を上げて挨拶した。

「よくここまで来たわね」

「うん」

 礼子はねぎらうように小熊の肩を叩き、それからカブの車体をそっと撫でた。


 カブで旅館までやってきた小熊の修学旅行への途中参加は、礼子の取り成しもあって認められ、小熊は旅館の部屋に落ち着くことが出来た。

 無茶ともいえる行動をした小熊は教師から通り一遍の説教を受け、修学旅行中はカブを旅館に預かって貰うこと、帰りはカブを陸送便で送ってバスに乗ることを申し付けた。

 小熊は「ハイ!」と良い返事をした。

 だからって、大人しく従うとは限らない。

 小熊は礼子と視線を交わし、密やかな笑みを交わした。

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