第53話 危ないこと

 カブに旅荷物を積んで、小熊は昼前に日野春駅近くの自宅アパートを出た

 修学旅行バッグと地図、雨具は後部の黒いスチールボックスに収まった。前カゴは空っぽ。

 服装がデニム上下に学校ジャージという格好でなければ、銀行員が集金か営業に行くような姿。

 遠出といっても日本を縦断をするわけでも無い隣県までのお出かけ、これくらいで充分。

 県道を1kmほど走った小熊は、日野春駅前入り口の牧原交差点で左折して、国道二十号線を東へと向かう。

 小熊が通学ややバイト、買い物、あるいは目的無く走り回る遊びで何度となく通った道。

 二十号線に入ってすぐの、普段からよく使うセルフ式のガソリンスタンドに入った小熊は、カブのガソリンタンクを満タンにした。

 ガソリンの残量にはまだ余裕があったけど、これから小熊はカブのガソリンタンクの中身をほぼ使い切るほどの距離を走る。

 知らない場所でガソリンスタンドを探し回るより、今から給油を済ませておこうと思った。

 支払いを終えるとレシートが出てくる。日付も時間も表示されているレシートは、日記をつけない小熊にとっていい記録になる。

 次の給油は鎌倉近辺で行う、もし無事に到着したならの話。


 平日午前で小熊以外に客の居ない無人のセルフスタンドで、小熊はスタンド備え付けのエアタンクを借りてタイヤの空気圧をチェックした。

 空気圧は前後とも正常。少し前に最初にパンクをして以来、続けざまにパンクに見舞われたが、それで厄が落ちたらしく最近はパンクしていない。

 もし出先でパンクしたとしても、換えのチューブと瞬間パンク修理材を入れてるので何とかなるだろう。

 続いてオイルを点検する。こっちも最近交換したこともあって量、粘度ともに良好。

 慎重すぎるほどのチェックは、これからの走りに恐れを抱き、緊張しているからだろうか?と思った小熊の頭に、カブの状態とは別の不安要素が思い浮かんだ。

 これからの走りを誰にも報告していない。

 書類配送バイトの時は、送る側も受け取る側も小熊がカブで運んでいることを承知していたから、遅くなった時には心配して貰った。

 これから修学旅行の宿泊先までカブで行き、合流して旅館の食事にありつこうという計画は、学校側に伝えておいたほうがいいんだろうか。


 小熊はヘルメットとイヤホンを外し、たすき掛けにしたウエストポーチから携帯電話を取り出したが、連絡はやめとこうと思った。

 熱が出て体調を崩して休んだのに、後になって原付で修学旅行バスを追いかけてくるなんて、やめなさい家で静養してなさいと言われるに決まってる。

 一度出した携帯をバッグに戻そうとした小熊は、最近聞いた言葉を思い出した。

 バイクに乗っていると、大人は危ないからやめなさいと言うばかり。危ないからこそやめられないというのに。

 小熊がその言葉を聞いた時にはそうだとも違うとも思ったが、少なくとも言葉の主はこれから小熊がやることを止めようとはしないはず。

 小熊は携帯のボタンを押し、数少ないメモリーの中に入ってる通話先にコールした。


「危ないからやめといたほうがいいわよ」

 礼子は開口一番そう言った。

「やっぱり危ないかな?」

 小熊の言葉に、礼子はほんの少し考えてから答えた。

「やめろって言われたらやめる?」

 礼子より長めの沈黙。電話口からバスの音と同級生の話し声らしきノイズが聞こえる。

「うーん、次からやめるかな」

 礼子の笑い声が聞こえる。近くの座席に居るらしき同級生が誰との電話か尋ねる声が聞こえるが、礼子は適当にあしらってる。

「あんたもバイク乗りっぽい思考になってきたわね!わかったわ、先生には言わないでおくけど、着いたら私からも頼んであげる。気をつけてね、何かあったら迷わず止まる、引き返す」

 

 小熊の中にあった長距離走行への恐れが消えていく。とりあえず現地で飯を食いっぱぐれる事は無さそうだ。小熊の不安は事故か何かが起きる事だけでなく、この行動が無為に終わることに対して抱いたものでもあったんだろう。

「ありがとう、礼子」 

 それだけ言って携帯を切り、バッグにしまった。

 ラジオのイヤホンをつけ、ヘルメットを被り直す。

 FMラジオからはシェリル・クロウのEveryday is a Winding Roadが流れてくる。

 バイクは危険。走るだけで危ない。そんなこと言われてもただ歩いてるだけで、部屋の中に居てさえ世の中は危険なものだらけ。

 こっちは奨学金とバイト便りで日常からして危ない。それでも対処を考え。行動を取捨選択して乗り切ってきた。カブで遠くに行くくらいなんてこと無い

 

 給油を終えたカブで走り出した小熊の心に、また不安の影が過ぎってくる。

 もしも修学旅行の宿泊先に行った小熊の途中参加が認められなかったら。旅館の夕食にありつく積もりが、自分の膳さえ用意して貰えなかったら。

 ガソリンが空になったカブでとぼとぼと帰る自分の姿が思い浮かび、思わず何もかもやめて引き返し、家に帰ろうかと思ってしまう。

 道中への不安もある。今までカブに乗っていて、転倒事故や大掛かりな故障に縁がなかったのは運が良かったから。その幸運もいつ尽きるかわからない。

 小熊は考えた。もしもそうなったらどうするかと途方に暮れるより、そうなったらどうするかを考えれば道は拓ける。

 事故なり故障なりでカブでの移動が出来なくなったら、カブを買った中古バイク屋にトラックで引き上げて貰い、自分は電車で帰れば済む。カブの修理についてはその後で考えればいい。

 もしも現地でお前の飯は無いからと言われたら、その時は旅館の飯なんて頼まれてもいらない、わたしは鎌倉の美味しい料理を食べに来たとでも強がって席を蹴り、どこか良さそうなレストランにでも行けばいい。

 その時は、礼子も道連れにしてやろう。

 不安はどうあっても無くならない。ならばバイクに乗る時に、楽しさと一緒に味わう、ほんのちょっとの苦味として楽しんだほうがいい。

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