第45話 山小屋の夜

「バカみたい」

 自分の夏休みについて話した礼子を、小熊は一言で断じた。

 礼子は吹き出しながら、小熊が作ってくれたお好み焼きを摘む。

「まぁ確かにそうね、自分でも思うわ、何でこんなバカなことしたのかな?って」

 焼きながら食べるのは苦手な小熊がフライパンで何枚もまとめて焼いたお好み焼き。礼子が満足そうに頬張るのを見た小熊は箸を伸ばす。

 猫舌気味の小熊にはまだ少し熱かったらしく、小熊は一切れのお好み焼きをハフハフと口の中で冷ましながら飲み下し、冷たい無糖の炭酸水に口をつけてから言った。

「バイクで富士山を登るなんてバカみたい」


 礼子が暮らす北杜市北部の別荘地にあるログハウス。

 夏休み最終週の夕暮れ。今日は小熊が来ていた。

 バイクで富士登山するための山小屋バイトが明け、北杜に帰って来た礼子は、同じく北杜ー甲府間の書類配送バイトを終えた小熊を半ば強引に自分の家に誘った。

 顔見知りで学校では良く喋ったが、放課後に会うことがほぼ無い、友達と言えるかどうかわからない関係。

 礼子も小熊がコミュニケーションをさほど求めていない人間だということくらい知っている。今日も断られると思いきや、小熊はあっさり礼子の家までカブに乗って来た。

 

 二人でお好み焼きを食べ、炭酸水を飲みながら、山小屋での会話は普段より弾んだ。

 小熊は自分の乗っている中古カブが以前に三人の人間を殺しているという話を、気にするでもしないでも無いといった感じで覚えていたが、礼子にそのことを聞いたところ、どうやら同じ噂話を聞いたことがあるらしき礼子が色々教えてくれた。

 小熊が中古バイク屋から聞いた話によると、このカブを小熊より前に買った持ち主が三人立て続けに急死したらしいが、その死者の名前を聞いた礼子は目を見開き、それから腹を抱えて大笑いする。

「最初に買った蕎麦屋の爺さんはカブとか関係無く酒の飲みすぎでおっ死んだのよ、次に買った本屋の二代目は死んだんじゃなく借金抱えて夜逃げしたんだし、三人目の神父は単に免停で手放しただけ」

 小熊は自分のカブがそんなに縁起の悪いものじゃないらしいと知って、ささやかな不安が解けた思いだった。歴代のオーナーはことごとくロクでも無い奴らしいが。

 まぁ世の中に呪いなんて物は存在せず、もしあったとしてもそうそう出会えない物だということだけはわかった。

 ファラオの呪いもホープダイヤモンドも、触れると死ぬという伝承は後に調べてみたところ、高齢で天寿を全うした人はともかく不自然な突然死の多くが、当時のゴシップメディアによる誇張や創作だったらしい。

 

 夕飯のお好み焼きを食べた後も礼子と話し込んでいるうちに、すっかり夜になってしまった。

 そろそろ帰ろうとして立ち上がる小熊を礼子は引き止める。

「泊まっていきなさい。ここら辺は街灯が無いから夜は真っ暗よ」

 小熊は誘いに乗ることにした。田舎の山道の暗さと怖さぐらいは知っている。カブの小さなヘッドライトだけを便りに帰るのはあまり気が進まない。

 礼子は室内に持ち込んだハスラーの横に放り出されていた寝袋を小熊に投げ渡す。

 無造作な気遣いが小熊にはありがたかった。お客さま扱いして部屋に一つのベッドを譲られるのも居心地が悪いし、夕食中から小熊が寝袋をチラチラ見てたのはバレてたらしい。

 キャンプ経験の無い小熊は寝袋で寝たことが無かったが、カブに関する調べごとをするたび目に入るのは、ネットでよく見かけるカブによるツーリング体験記。

 泊りがけでバイク旅行なんてしようとは思わないけど、将来はそうとも限らない。キャンプなんて事もしたがるようになるかもしれない。

 あるいは、今の不安定な暮らしがほんの少しの躓きで傾くことでもあれば、アパートを追い出されて野宿生活をさせられことも。

 風呂とパジャマ、歯ブラシまで借りた小熊は、礼子のベッドの隣に敷いたマミー型の寝袋に横たわり、体を包むようにジッパーを締める。

 二人並んで寝床についた小熊と礼子。礼子はベッドの上から、部屋の隅で修復中のハスラーを見ながら言った。

「やっぱり、バカなことしちゃったのかな」

 小熊は最初に富士登山の話を聞いた時と同じ反応を返した。

「うん、バカ」

 部屋の隅、礼子のハスラーに並べるように停めてあるカブを見てから言い足す。

「途中で落っこちるなんて、カブなら頂上まで登れてた」

 礼子はベッドの上で足をバタバタさせて笑い出した。

「無理よそんな、出来るわけないじゃない」

「やっぱりそうかな」

 薄暗い山小屋の中。礼子のハスラーと小熊のカブ。行儀良く並ぶ二台のバイクは、互いの親がわが子を自慢しあうのを困った顔で眺めているようにも見えた。


 一九六三年八月

 スーパーカブは山梨県在住の登山、バイク愛好家によって、ほぼノーマルのまま富士宮口からの登頂に成功した。

 同年、上野動物園の園長が、カブ、モンキーの混成チームで富士登山を達成している。

 

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