第32話 盗難

「すみません、すぐ移動します」

 小熊は意識的に大きな声を出しながら自分のカブに近づいた。

 昼は人通りの少ない歓楽街の路地で、小熊のカブを見ていた作業着姿の男性は、小熊の姿を見て顔を隠すように歩き去った。


 北杜から甲府までカブで往復する夏休みバイトの帰り。

 甲府からの返送便が無く直帰の日だったので、帰りに買い物でも済まそうと、k熊は甲府の繁華街近くの路地にカブを停めた。

 バイトを始めて行動範囲が広くなってから、小熊は食料品や生活雑貨の買い物を韮崎の大型ショッピングモールで済ませていた。

 今日は数日溜め込んでた夏休みの宿題をやる予定で、早く帰る必要のあった小熊は、寄り道の距離を短くするため、帰り道で見かけた甲府市街のスーパーに立ち寄ったが、夕方時で駐輪場が満車だったため、近くの路地にカブを停めていた。

 買い物袋をカブの後部ボックスに入れながら、小熊はさっきの不審な男性のことについて考えた。

 バイク好きで小熊のカブに興味を持ったという説は考えにくい。どこにでもある平凡なカブで、付いているパーツも純正のスチールボックスと前カゴだけ。

 カブを停めた雑居ビルの関係者のようにも見えなかった。と、なると最も可能性が高いのは、カブをどこかに持って行こうとするバイク泥棒。

 

 小熊はそれまで走るために必要な物を揃えることに夢中で、防犯用品というものを買っていなかった。

 自転車に乗っていた頃に使ってた、百均で買ったようなチェーン式のナンバーロックを後部ボックスに積んでるが、短くて前輪に回すのが精一杯。それにダイヤルの磨耗具合ですぐナンバーがわかる代物。強度も低くて強く引っ張ったら切れそう。

 小熊と同じく原付で高校に通う縁で喋るようになった礼子という同級生からも言われてた。カブは盗難リスクが最も高いと。

 礼子に聞いた話では、都内や神奈川に住んでると、空き巣やひったくりの発生を伝える自治体からの治安情報メールで、カブはしばしば他のバイクや原付とは別格の名指しで盗難の頻発が警告されるらしい。

 数年前の東関東大震災による帰宅難民の大量発生と、その後のガソリン供給停滞の時にもカブはしばしば盗まれたという。

 善良な社会人だった人たちが、家族のため職場のためという免罪符の元で「昔やってたヤンチャ」みたいな気分でカブを「ちょっと借りた」当然、ロックを壊され乗り捨てられたカブが持ち主の元に戻る可能性は極めて低い。

 盗難保険もかけてない小熊のカブ。もし盗まれたら生活の手段を失ってしまう。奨学金の蓄えをはたいて買ったカブを失った時にどれほど精神的なダメージを受けるかわからない。


 夏の遅い夕暮れの少し前。小熊は甲州街道を西へと走る帰り道を途中で右に折れる。

 結局、韮崎への寄り道をすることになった。宿題はもう一日溜めて明日まとめてやることに決める。やらなくても死にはしない物よりも優先しなくてはいけない事がある。

 韮崎駅近くの大型ショッピングモール。小熊は駐輪場にカブを停めた。

 ここなら盗難の危険性も低いだろうと思った。絶えず人目があって警備員も頻繁に巡回している。

 食品スーパーとホームセンター、それ以外にも靴屋や百円ショップなど多数のテナントが集まった複合商業施設。向かいには業務スーパーもある。

 フードコートやファッション関連の店には縁が無かったが、この辺で一番大きなホームセンターがあるため小熊は最近よくここに来ていた。

 隣町の北杜にある高校の同級生がよく会話の中で、韮崎に行ったと言う時は大概このショッピングモールの事。同級生は親や年上の知り合いの車で行くが、小熊は自分で行く。

 ゴーグル付きヘルメットを外すのが面倒なので被ったまま店に入り、ホームセンターのバイク、自転車用品コーナーで防犯グッズを端から見る。

 高校ジャージでショッピングセンターに行くのは少し気恥ずかしいが、ホームセンターみたいに半分以上の客が仕事着の場所では居心地がいい。高校では体育の時間に着せられるジャージだけど、今は社会の一端に加わっている証。


 バイク用防犯グッズは色々出ていて、ある程度の出費は安全のためと割り切る積もりだったけど、振動を感知してブザーが鳴ったりGPS連動で携帯電話に盗難を知らせる装置は選考から外すことにした。カブに付けられるかどうかもわからない。

 それよりシンプルで確実な、と思って手に取った丈夫そうなU字ロックも、本格的な切断器具を使ったり台車に乗せてトラックで持ってったりするという窃盗団には役に立たないだろう。

 そう考えるとどの防犯グッズも意味が無いような気がして頭が混乱する。礼子の言葉を思い出した。バイクを盗られないようにする方法は簡単。部屋の中に大事にしまっといて外には出さない事。

 事実、小熊のカブの兄弟車種だというホンダ・モンキーをカスタマイズしているオーナーの中にはそうなってしまう人間も数多く居るらしい。

 それじゃ意味無いと思った小熊は、もう一つの単純な盗難対策を思いついた。

 自分ならどうするか。


 確かにハンドルロックしか無いカブは最良の獲物だろう。盗んでも儲けは高級バイクほどじゃないが、小熊なら盗難数を稼いで埋め合わせしようと思うだろうし、スクーターより数が多く足がつきにくく、現金化も容易なカブを選ぶ。

 そうやって効率的に盗もうとする人間が最もイヤがるのは、やっぱり仕事が増えること。ロックを切断する工具だってニッパーと電動の切断器具では作業時間が違う。捕まるリスクも跳ね上がるだろう。

 結局、小熊が選んだのは、盗む側になった時に一番イヤな物、太くて見た目も派手なワイヤーロックと、細く長いケーブルロック。

 普段停めている時はこの太いロックを使って盗難対策をしている事をアピールし、停める場所の危険性が大きいと判断した時は長いケーブルロックで道路の柵や手すりと繋ぐ、いわゆる地球ロックをする。


 目的は盗難出来なくすることじゃない。盗難者に面倒な仕事だと思わせて他のバイクに行って貰うこと。それで小熊のカブの替わりに他のバイクが盗まれたところで、相応の盗難対策をしていなかった人間が悪い。

 意外と大きな出費となったセキュリティロック類を持って駐輪場に戻った小熊は、今日も無事に誰からも盗まれることなく小熊を待っていてくれたカブに、お土産を見せるようにロックを掲げる。

 自分の仕草に少し照れくさくなった小熊は後部のボックスにロック類をしまいながら、売り場から目が届き警備員も居る駐輪場を見て思った。

 盗難対策で最も重要なのは、停める場所に気をつけることかもしれない。

 バイクは誰かに奪われそうになっても、抗うことも自分で家に帰ることも出来ない。だから乗る人間が面倒を見る。


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