第36話 バイトの終了

 夏休みを一週間ほど残して小熊のバイトは終わった。

 小熊の通ってる北杜市の高校と提携している甲府の高校との間で行われていた共同研修が終了したため、必然的に小熊の仕事も無くなった。

 試験休みも含めると四十日ほどの日々を、週一日の休日を挟んで毎日北杜から20kmほどの甲府までの道をカブで二往復する生活が、小熊自身の操縦技術の向上に役立ったのかはわからないが、道の走り方くらいはわかった気がした。

 それまで自転車やバスで行ったことのある範囲しか走れなかった小熊が、やがてその縄張りを隣市の韮崎や更にその隣の甲府まで広げた。

 バイト終わりの寄り道や休日の外出で、今まで行ったことの無い場所を積極的にカブで走ったおかげで、小熊の行動範囲そのものが拡大された。

 世の中は広いけど道は繋がってる。その道を走る限りどこにでも行けるという実感を覚えた小熊は、もっと遠くに行きたいと望んだ。


 小熊には夏のバイトをしている間ずっと考えていた事がある。

 この仕事で得た稼ぎと、バイトが終わった後の夏休みをどう使うか。

 日給で貰うバイト代のほとんどを貯金していたため、小熊の口座にはある程度纏まった残高がある。

 生活に必要な最低限の出費は奨学金で賄われるので、さしあたってこのお金に手をつけなくてはいけない事情は無く、小熊の乗っているカブも、今のところ大きな金のかかる部分は無い。

 小熊には、このお金と時間を使ってやりたい事があった。

 それは特に難しいものではなかったが、小熊が夏の間ずっと働いて溜めたバイト代を全て使ってしまう恐れがある事で、時間も残り一週間少々の夏休みで足りるかどうかわからない。

 誰かに相談したい、でも、そういうことを聞ける人間は今のところ居ない。

 答えはもう決まってる相談で、背中を押すための言葉を与えてくれる都合のいい知り合いは居ない。


 最後の給料を学校の近くにある信金のATMに入金た小熊は、今日はちょっといい夕飯でも買って、バイトの無事終了を一人で祝うかな、と思いながらカブに跨った。

 たすき掛けにしていたウエストポーチに入れた携帯電話が鳴る。ポーチを体の前に回しながらヘルメットを慌てて取り、着信画面も見ないまま電話に出た。

 「今こっちに帰ってきたんだけど。これからウチに来ない?」

 小熊の原付通学仲間。夏休みの間はずっと連絡も会うこともしなかった同級生の礼子は、相変わらず開口一番で用件を言った。

 小熊は信金の店先で携帯を片手に一瞬考えた。小熊がカブを買ってからよく喋り、昼食を共にすることとなった礼子。

 夏の間会わなかったのは、ただそれだけの関係だったから。小熊には互いの家に遊びに行くような友達は居ない。それに慣れていた小熊は、孤独感とかいう暇人の悩みには無縁だと思ってた。

 カブのおかげもあって、満ち足りた一人の世界に居た小熊。今日だってスーパーでちょっと贅沢な持ち帰り寿司でも買って、一人のアパートでバイトの終わりと休日の始まりを祝う予定だった。

 礼子はそんな小熊の世界に無遠慮に入り込んでくる。夏の間はツーリングをすると言っていた彼女が、久しぶりに地元に帰ってきたからという一方的な理由で。


 礼子は一学期の間もそんな感じだった。昼食の誘いは強引なもので、かといえば朝に読書をしている時は話しかけても生返事しかしない。

 一緒にお弁当を食べながら原付の話をする時間のおかげで、小熊も他のクラスメイトよりは遠慮なく喋れるようになったけど、それでも他人は他人。誘いに乗れば、これからアパートで一人の夕食を楽しむよりも気疲れする時間を過ごすことになるだろう。

 一瞬の考え事の後、小熊は携帯に向かって言った。

 「行く、場所を教えて」

 今夜はちょっと贅沢な時間を過ごすと決めている。これからスーパーに寄って夕飯を買い、カブにガソリンを入れ、日野春駅近くのアパートに帰る。礼子の家という行き先が一つ増えただけ。

 小熊は礼子から詳しい場所を聞き、ヘルメットを被りなおしてカブに乗った。エンジンをかけ、自宅とは反対方向へと向かう。

 小熊は一人で生きてきた。これからもそれは変わらない。でも、だからといって少々の寄り道をケチることもない。せいぜいガソリン代が余分にかかるくらい。

 カブならば、それはさほどの負担にもならない。 

 

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