第39話 礼子の夏
富士山 須走五合目。
山梨県の富士吉田市から自衛隊富士学校を経由する、九十九折の道の終点。
富士吉田登山道の基点となる駐車場に、礼子は居た。
作業ズボンにTシャツ、首にタオル、黒く長い髪は後ろで縛っている。
真夏とはいえ街よりはだいぶ涼しい早朝の五合目で、彼女は汗をかきながら重いダンボール箱を運んでいる。
登山口にある売店横の車庫から、戦車のような履帯のついた車両が出てきた。礼子と同じ作業ズボンを履いた年嵩の男性が車両を操縦し、礼子の前までバックさせてくる。
礼子はオープントップの運転席と荷台のついた履帯車両に荷物を積み始めた。
見た目より重い飲料、食料のダンボール箱を中心とした荷物を積み終えた礼子は、登山口の方角を見る。
女子高生には少し過酷な肉体労働をしながらも、心ここにあらずといった様子。
礼子は伝票を片手に荷積みをもう一回確認した後、運転席に座る男性に言った。
「定数通りです。じゃあ走路確認に行ってきます」
「まだ時間あるから、ゆっくり行っといで」
礼子は一つ頷いて売店に戻り、店の横に停めてあった一台のオートバイを押してきた。キックしてエンジンをかける。
現代ではもう新車販売がほとんど行われていない2ストロークエンジンの軽快な音が響く。礼子はアクセルを開けながら排気の音と色、匂いを慎重に確かめている。
Tシャツの上に青い作業ズボンと揃いのジャンパーを着た礼子は、ヘルメットを被りグローブを着け、スズキのオフロード原付バイクに跨った。
作業用とバイク操縦用を兼ねている黒革の安全靴でシフトペダルを踏み、ギアをローに落とした礼子は、少し霧のかかった山頂を見上げてから走り出した。
まだ登山者の居ない早朝の登山歩道の横に、礼子がこれから自分の原付バイクで走って状態を確認する走路がある。
富士山ブルドーザ登山道。
通称ブル道と言われる、徒歩の登山道に平行するような形で作られたジグザグの登山ルート。
名前通り富士山頂まで物資を運びあげるために作られた道で、ブルドーザー等の履帯車しか通行できない。
粗い砂利の路面を礼子は原付バイクで走る。当然、勾配は急角度。
直進と180度近いターンを幾度も繰り返すブルドーザ登山道。礼子のオフロード原付バイク、スズキ・ハスラーは起点である五合目から六合目までは順調だった。
礼子が夏休みの間、ここで始めたバイトはブルドーザ登山道を通行し物資を運び上げる履帯車への荷積みと、実際に履帯車が走る前の走路確認。
履帯車だけが走れる道の確認といっても、六合目までの道と天候を見るだけの形式的なもの。礼子の仕事は最初の道標まで達すれば終わりだった。
礼子は六合目を通過した後も、さらにハスラーで登攀を続ける。
ブルドーザー登山道はだんだん傾斜角を増していき、南アルプルや丹沢の林道とは比べ物にならぬほど粗く鋭い砂利がタイヤを捉える。
七合目に達した礼子は、片足をついて何度目かのターンをする。即座にエンジンの回転を上げ、そのまま高回転をキープしつつ過酷な登山道を押し通ろうとする。
七合目がバックミラーの中で見えなくなる頃、登攀走行は突然の破綻を迎えた。
前輪がフワっと浮いたかと思ったら、そのまま車体のバランスが崩れる。荷重を移して対応しようにも、平地で覚えた技が全然通じないまま、礼子のハスラーは転倒した。
急角度の砂利道で何度か転がった礼子は、まずハスラーが無事であること、それから自分が軽症だということを確かめ。それから拳で地面を撃った。
「ちっくしょう!」
尻餅をついた格好のまま、全身が痛んで起き上がれないままの礼子は、霧が濃くなってだんだん見えなくなる頂を見上げた。
高校二年の夏。
礼子は、原付バイクで富士山を登っていた。
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