第29話 魔人族の王(SIDE:佑)

「おお、良く戻ったな!」

「ビードリヒテン王」


 佑とネフィルが集落の大きな家に入ると、玄関で巨躯の男性が仁王立ちしていた。ネフィルがその場で片膝を突いて頭を下げたので、佑も慌てて同じ姿勢を取る。


 ビードリヒテン王? 王って言った?


「二人とも楽にせよ。賢人殿、よく参られた」


 ネフィルが立ち上がったので、佑もそれに倣う。


「これはタスク。あたしの弟子」


 おおぅ。魔人族の王に対しても言葉遣いは変わらないのか。


「初めまして、九条佑と申します」

「うんうん。俺はシェブランド・ビードリヒテン。一応、魔人族の王ってことになってる。よろしくな、タスク殿」


 ビードリヒテン王は、ニカッと白い歯を見せて笑い右手を差し出した。佑が恐る恐るその手を握ると、力強く握り返される。


「ていうかネフィル、タスク殿を弟子にしたのか?」

「ん。タスクのお陰で皇帝に会った。臨時収入も。その分、魔法を教える」


 臨時収入……皇帝の依頼を受けたフリをして受け取った大金貨30枚のことか。


「そうか。まぁ立ち話じゃなんだ、飯でも食いながら話そう」


 魔人族と言っても、肌の色が少し浅黒いだけで見た目はほとんど変わらないじゃないか。なんで皇国は目の敵にしてるんだ?


 そこで佑は開星の言葉を思い出す。魔人族領にある鉱山が狙い、彼はそう言った。魔人族を人族の仇のように扱っているのは、戦争を継続する為の単なるプロパガンダに過ぎないのではないか。


 靴を脱いで奥に通されて、再び気付く。ネフィルも当たり前のように靴を脱いでいた。自分も自然とそうしたが、ここはそういう慣習なのだろうか。板敷の廊下を進むと、何と畳の部屋に通された。


「おおっ!?」

「フフフ。タスク、これが何か分かるんだな?」

「俺たちの世界では『タタミ』って言われてました」

「こっちでも同じだ。これは200年ほど前に召喚された賢人が残した文化だ」

「200年……賢人は何人もいるんですね」


 大きな木製の台を挟み、佑はネフィルと並んでビードリヒテン王の向かいに正座した。


「足を崩せ。……記録に残ってる限り、この千年で保護した賢人殿は87人だ」

「あの、保護というのは?」


 ビードリヒテン王の話では、賢人が有用だと言われ始めたのはここ100年くらいで、それ以前はかなり酷い扱いを受けていたらしい。


「王族が遊び半分で殺したり、貴族が弄んだり、戦の駒として使われたり……で、魔人族は千年ほど前からそんな賢人を保護してきた。もちろん本人が望んだ場合だけどな」


 ところが、100年ほど前から賢人が持つ異世界の知識が非常に有用だと気付いた。また賢人は複数の称号、多くのスキルを持つことが多く、それらが文明の発展に寄与することもあった。実際、賢人由来で発明された道具、生み出された制度、病気への対処、農業の発展などがあり、次第にこの世界の人々は賢人へ敬意を抱くようになったと言う。


「だが、未だにそうじゃない奴らもいる。だから俺たち魔人族は、賢人を見付けたら気に掛けるようにしてるんだ」

「何故、魔人族の方はそこまで?」

「大昔に魔人族は賢人に助けられたんだ。その恩に報いてるわけだな」


 そんな昔のことで、今でも賢人を助けようとするとは。魔人族とは相当義理堅い種族なのだろう。


 ビードリヒテン王の話では、この辺りは人族の国に近い為わざと文明が低いように見せかけているらしい。


「都に来れば、お前も驚くと思うぞ?」


 王がニヤリと笑いながらそんなことを言う。ネフィルも隣でコクコクと頷いていた。彼女はその「都」とやらに行ったことがあるようだ。


「機会があれば是非。ただ、俺は仲間と合流したいんです」

「おっと、飯の用意が出来たみてぇだ。話は後にしよう」


 それから、まるで旅館の仲居さんのような着物姿の女性数人が料理を台の上に並べてくれた。ニジマスのような魚の塩焼き、野菜やエビに衣をつけて揚げたもの、おひたし、味噌汁、白米。そう、それはまるで和食のようだった。


「遠慮せず食ってくれ」

「い、いただきます!」


 隣のネフィルは既にエビをくわえていた。口から尻尾がはみ出している。佑は真っ先に味噌汁に口を付けた。温かく、甘く、優しい味わい。こちらの世界に飛ばされてそれほど長い時間が経ったわけではないが、その懐かしい味に自然と涙が零れた。


「タスク、泣くほど美味しい?」

「えっ? あっ、すみません」


 佑は自分が涙を流していたことに気付いていなかった。


「よいよい。これまで何度か同じ反応を見たからな。気にすんな」


 ビードリヒテン王とネフィルは何やら日本酒のような透き通った酒も飲んでいる。佑も勧められたが、さすがに遠慮した。ネフィルは既に白い頬をピンク色に染めていた。


 腹が十分に満たされた頃、王がぽつりと口にする。


「そうだタスク。ここには風呂があるから入るといい」

「ほんとですかっ!?」

「ああ。ちなみに温泉だ」

「マジですか! 早速いただきます!」


 佑は仲居さん風の女性に案内され風呂場に向かう。この世界で風呂を見るのは初めてだった。これまでは毎晩濡れたタオルで体を拭くだけだった。脱衣所に入ると、プンと硫黄の匂いが鼻につく。温泉好きというわけではなかったが、この匂いでまた懐かしい気持ちになった。


「お邪魔します……」


 誰もいない風呂だが、一応断って中に入る。木の清々しい香りと硫黄の匂い、充満する湯気。まさか異世界でこんなに風情のある温泉に浸かれるとは。木の椅子に座り、同じく木の桶で湯を汲んで頭から被った。シャンプー、リンス、石鹸もある。頭を何度か濯ぎ、シャンプーを使うが泡立たず、3回目でようやく泡が立った。それを流し、石鹸をタオルに擦り付けて体を洗う。十分綺麗にしてから浴槽に体を沈めた。


「ふいぃぃぃ…………」


 森の中をたくさん歩いたからか、ふくらはぎがジンジンする。丁度良い温度の湯が、体の疲れを解していくようだ。


「生き返る……」


 浴槽の縁に頭を乗せて完全にリラックスしていると、風呂場の扉がガラガラと開いた。誰か家の人が入って来たのかと思って目を遣ると、素っ裸のネフィルが居た。


「フフフン、フフン♪」


 鼻歌など歌っている。佑が入っていることに気付いていないのだろうか?


「ちょ、ちょっと師匠!」

「ん?」

「俺、入ってるんですけど!」

「ん」


 だから何? とでも言いたげに、ネフィルはそのまま浴槽に入って来た。


「じょ、女性が男と風呂に入るなんて、い、いけないと、思います!」

「……あたし、こう見えて122歳」

「へ?」


 以前は22歳と言ってなかったっけ?


「タスクは、見た目10歳、中身おばあちゃんの女に欲情する?」

「そ、そういう問題じゃありません! 家族ならともかく、よく知らない男に裸を見せたらダメです!」

「……見た?」

「みみみ見てません!」


 実際、湯気でほとんど見えていないし、ネフィルと気付いて直ぐに目を逸らした。


「見てないなら問題ない」


 幼女趣味やお婆ちゃん趣味は佑にはない。性癖は至ってノーマル。自分ではそう思っている。


「それに、弟子は師匠の背中を流すもの」


 それは同性の場合に限るのではないか?


「弟子は師匠の背中を流すもの」


 2回言われた。ネフィルの顔は桜色に染まっている。酔ってんな、こいつ。ネフィルはざばっと浴槽から上がり、椅子に座って佑に背を向けた。洗えということらしい。


「はぁ……」


 タオルに石鹸を付け、なるべく直視しないようにして小さな背中を擦る。


「頭も洗って」


 シャンプーを手渡されたので、無言で髪を洗い始める。


 佑は「無」になっていた。そう、目の前の子は生き別れた幼い妹だ。妹だから一緒に風呂に入り、背中や頭を洗っても問題ない、筈だ。死んだ魚のような目で虚空を見つめながら、わしゃわしゃとネフィルの頭を洗った。


「ふぅ、すっきり。ありがと」


 ネフィルがそう言いながら振り返る。佑は慌てて後ろを向いた。すると、背中を擦られる感触。


「師匠も弟子の背中を流す」


 いや、それは絶対ないよね!? しかもさっき自分で念入りに洗ったし! 黙ってされるがままになっていると、手が前の方に伸びてくる。


「そこはダメ!」


 佑は桶で背中の石鹸を流すと、逃げるように風呂場から出た。30分後、のぼせたネフィルを救助するため再度風呂場に足を踏み入れた。なお、その際に師匠の凹凸のない体をばっちり見た佑であった。不可抗力である。





 翌朝、朝食に呼ばれて昨夜と同じ部屋に行くと、昨日はいなかった人物が2人座っていた。


「タスク、おめぇ仲間と合流してぇんだろ? ならこの2人を連れて行け」


 ビードリヒテン王が知らない2人を示しながら言う。男性は「ボーメウス」、女性は「リーラ」と名乗った。2人とも魔人族の戦士なんだそうだ。


「ネフィルもタスクに付いてやってくれ」

「ん。弟子だから当然」

「タスク、こいつらは護衛だ。人族の領域は危険が多いからな。仲間が見つかって、もし保護を求めるなら帰りも護衛してもらえ」

「ビードリヒテン王……ありがとうございます!」


 タスクは畳に額が付くほど頭を下げた。


 佑たちを召喚したアベリガード皇国では、他人から優しくされることなど一切なかった。それなのに、昨日会ったばかりの魔人族の王は、ここまで佑のことを気に掛けてくれるのだ。日本でも、こんなに親切な人に会ったことがなかった。王の言葉が純粋な善意からだと分かっているので、佑は胸が熱くなった。溢れそうになる涙を懸命に堪える。


 出発の準備を整え、世話になった礼を言って家を出ると、ビードリヒテン王は外まで見送りに来てくれた。


「体に気を付けろ。無理だと思ったらいつでも帰ってこい」

「はい! ありがとうございました!」


 振り返ったら泣いてしまう。そう思い、佑は前だけを見て歩き始めた。その背中が見えなくなるまで、王はずっと見送り続けた。


 こうして、佑はちびっ子師匠と2人の護衛を伴い、開星たちの後を追うことになったのだった。

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