第44話 貴族と接近遭遇

 女性にしては背が高く、凛とした佇まい。金属のような防具で主要な部分を防護しているが、武器の類は見当たらない。


「何のご用でしょう?」


 僕が返事をすると、その女性はあからさまにホッとした顔をした。


「私はクラウディア・リーライトと言う。サルラント伯爵家の護衛騎士を務めている」


 サルラント……僕たちが目指している国境近くの街と同じだ。


「僕はカイセイ。見ての通り冒険者で、商人でもある。この子たちは家族や仲間です」


 姓を名乗ったら面倒なことになる気がして名前だけを名乗った。ネコが低く唸っているので、落ち着かせるために首筋をポンポン叩くと大人しくなった。抱っこしているひなちゃんが寝ぼけて僕の胸に頭をグリグリと擦り付ける。

 そんな様子を、クラウディアと名乗った女性騎士は頬を緩めて見つめている。悪い人ではなさそうだ。


「それで、どうしましたか?」

「ああ、すまない。その……そちらの小さな建物は貴殿たちの所有物か?」


 しまった。後で収納しようと思っていたが、まったりしていて忘れていた。


「……そうですね。僕たちの物です」

「ちなみに、その大きな方は風呂かな?」

「そうですが」


 何だろう、入りたいのかな?


「大変申し上げにくいのだが……今護衛しているマルガリテ・サルラントお嬢様が、どうしても湯浴みをしたいとおっしゃっていてな……」

「はぁ」

「その、少し貸してもらえないだろうか? もちろん相応の謝礼は支払う」


 う~ん……。家族と仲間以外に使わせるつもりはなかったのだが。僕は勇太、由依ちゃん、パルにどうするか聞いてみたが、3人はあっさりOKした。パルによれば、貴族を相手に断る方が怖いとのこと。なるほど、そんなものか。


「分かりました、いいですよ」

「そうか! 感謝する」


 そういってクラウディアさんは走り去った。しばらくして金属鎧の集団が近付いて来る。いきなりあれが来たら多分逃げ出していただろう。

 クラシカルなメイド服姿の女性が、クラウディアさんと一緒に僕の方へやって来て頭を下げた。


「侍女のメイリンと申します。ご厚意感謝いたします」

「いえ。僕たちはここにいますから、自由にお使いください」


 メイリンさん、クラウディアさん、そして金属鎧たちがお風呂の方へ移動する。と言ってもそれほど離れているわけじゃない。鎧の威圧感が凄い。まずメイリンさんとクラウディアさんがお風呂の中に入って確認している。鎧の隙間からチラチラ見えている金髪の少女がマルガリテ嬢だろう。彼女はこちらを一瞥もしない。


 やがて金属鎧がお風呂をぐるっと囲み、メイリンさんともう一人の侍女、そしてマルガリテ嬢がお風呂の中に消えた。鎧の者たちは鋭い視線をこちらに向けている。別に覗きませんけど? 何だか敵意を向けられているみたいで僕たちも気が休まらない。


「カイセーさん、お風呂を寄越せって言われたらどうするのです?」

「え、普通に断るけど」


 隣に来たパルに小声で尋ねられた。寄越せってカツアゲじゃん。


「断れるですかね……」

「貴族ってそんな横暴が許されるの?」

「例えば、あれに掛かった費用の3倍支払うって言われたら?」

「う~ん……」


 それは悩む。サルラントの街まではあと1日程度で到着する。1日我慢してまた街で作ってもらうという手もある。それだけで結構な儲けだ。


「3倍なら……売る?」

「トラブルを避けるためにもその方がいいと思うのです」

「でも、あの人たちはあれが入るマジックバッグ持ってるかな」

「持ってなかったら街まで運べと言われるです」

「なるほどね」


 お貴族様と一緒に移動……疲れる予感しかしない。うん、出来れば断ろう。移動式のお風呂とトイレは割と簡単に作れるんだから、わざわざ中古を高く買い取るより、貴族に相応しいものを作ってもらった方が良いよね。


 僕とパルが小声で相談しているのを、勇太と由依ちゃんもしっかり聞いていた。


「基本的には断るよ。だって街で貴族好みのやつを作ってもらった方が良いと思うんだ。サルラントまであと少しだし。それくらい我慢出来るでしょ」


 最悪の場合、僕たちはサルラントから逆方向へ行く予定だと言えば良い。相手が武力行使も辞さない構えなら素直に売れば良い。貴族なら大容量のマジックバッグ持ちに当てがあるだろう。お風呂はここに置いておいて、後で取りに来るという方法もあるんだし。


 こんな感じで対応についてみんなの合意を得たころ、またクラウディアさんが近付いて来た。いつの間にか令嬢の湯浴みは済んだらしい。


「カイセー殿、少しいいだろうか?」


 やっぱり来たか。


「はい、何でしょう?」

「少ないがこれは謝礼だ。まずは受け取って欲しい」


 そう言って渡されたのは金貨1枚(100万円)。


「いやいや多過ぎますよ!?」


 お風呂を作るのに掛かったのは大銀貨8枚(80万円)だ。一度使っただけでそれを上回る謝礼というのはどう考えても多過ぎるだろう。多過ぎて怖い。


「感謝の気持ちだ。受け取って欲しい」

「えぇぇ……」

「それで、カイセー殿はあの風呂を売る商人なのか?」

「いえ、違います。あれは自分たちの旅を快適にするための思い付きです」

「なるほど。隣のトイレもそうなのか?」

「ええ」


 やっぱり売ってくれという話だろうか。


「お嬢様が、このアイディアを売ってくれとおっしゃっているのだが」

「へ?」


 おっと。現物ではなくアイディアを売ってくれと来たか。でもこれって売る程のアイディアか? 誰でも思い付きそうだけどなぁ。


「サルラント伯爵家の事業として取り組んでみたいそうだ。私もあのように移動できる風呂やトイレは見たことがない。馬車で引けるように工夫すれば普及も容易いだろう。伯爵家で作る場合、後から権利を主張されると面倒なのだ。どうだろうか?」


 そうは言っても、あれを作ってもらったゲタリデスの職人さんたちが勝手に売るんじゃないかな?


「あの、権利は主張しませんので、事業にされるならご自由にどうぞ。ただ、あれを作ってもらった職人さんが既に売っているかも知れません」

「むむ? そうなのか……あれはどこで作ったのだ?」

「ゲタリデスです」

「なるほど。少し待っていてくれ」


 そう言ってクラウディアさんは令嬢と話をしに行き、すぐに戻って来た。


「カイセー殿、権利を主張しない旨を書面にしてもらっても構わないだろうか?」

「いいですよ」

「ありがとう。伯爵家の専売にならなくても、貴族向けであれば十分商売になるとお考えだ。これは権利を放棄したことと情報に対する謝礼だ」


 クラウディアさんが革袋を押し付けるので仕方なく受け取る。中には金貨10枚が入っていた。


「いや多過ぎますって!」

「これくらい支払わないと伯爵家の沽券に関わるのだ」

「えぇぇ……」


 貴族の金銭感覚ってバグってるのかな? 面子を潰したと思われるのもどうかと思うので受け取ることにした。そんなやり取りをしているうちに侍女のメイリンさんが書面を持ってきた。ざっと確認して問題なかったので署名する。こんな短時間でしっかりした契約書を作るって、貴族家の人は優秀だよね。


「此度のことに感謝する。道中の安全を祈る」


 そう言ってクラウディアさんは颯爽と戻り、金属鎧の一団も去って行った。最後まで令嬢とは話す機会がなかったな。


「お風呂とトイレを取られなくて良かったのです」

「そうだね。何もしてないのにいっぱいお金をもらっちゃったよ」


 僕と隣に立つパルは呆然と彼らを見送る。


「開星さん、何気に貴族と初コンタクトっすね」

「貴族と言うより取り巻きだけどね」

「この世界の貴族ってどうなんでしょう? ラノベやアニメだと凄く嫌な貴族が多い印象ですけど」

「そこはまだ分からないなぁ。でも油断は禁物だね」


 勇太と由依ちゃんも緊張していたようだ。かく言う僕も緊張してたけど。


 この世界で権力を持つ者がどんな暴挙に出るかは予測がつかなかった。十人以上の重武装した集団から襲われれば手段を選んでいられない。最悪、僕の結界――断絶で全員殺さなければならないと考えていた。何事もなく済んで一番ホッとしてるのは僕かも知れない。


『いざという時はあたしがぶっ飛ばしてあげるわ!』


 姿を消していたアドレイシアが現れ、シャドーボクシングにように両手を交互に突き出している。その姿にみんなでほっこりした。


「アドちゃん、頼もしいなぁ」

『まっかせなさい!』


 その後は予定通り交替で見張りをしながら休んだ。





*****





 それにしてもあのカイセーという男、只者ではなかった。

 翌朝出発した馬上で、クラウディア・リーライトは昨夜を振り返っていた。


 二十代後半のクラウディアは幼い頃から剣の道一筋で、それなりに修羅場を経験してきた。剣の腕が認められてサルラント伯爵家の私設騎士団に入団し、現在は長女マルガリテの護衛が主な仕事である。


 普通、伯爵家の名を出せば冷静ではいられないものだが、あの男は終始冷静だった。Aランク魔獣のダークレオをまるでペットのように従えていて胆が冷えた。彼が一言ダークレオに命令すれば、我々はただでは済まなかった筈だ。


 彼の落ち着きようは、例え我々と戦闘になっても勝てるという自信に裏付けされていたように思える。生殺与奪権を握った上で、なるべく事を穏便に済ませようとしていた。


 普通の者なら伯爵家が風呂とトイレのアイディアを買い取ると言えば飛び付くだろう。それを事も有ろうに「ご自由にどうぞ」と来た。謝礼についても「多過ぎる」と断る勢いだった。最初は何か裏があるのではと勘繰ったくらいだ。


 底知れない男だ。ああいう男を敵に回してはいけない。


 マルガリテお嬢様は彼を伯爵家に召し抱えたいとおっしゃったが、私はやんわりと止めた。素性が分からないし、大人しく貴族家に従うような男には見えなかったからだ。それよりも移動式の風呂とトイレを貴族向けに開発し、その事業に集中した方が余程安全である。


 出来れば今後二度と関わりたくない。クラウディアはそんな風に考えていた。

 それがフラグであると気付かずに。

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