第4話 父、異世界で盗人になる

 気付くと、両手に冷たい石が触れている。ぎゅっと瞑っていた目を開け、開星は辺りをキョロキョロと窺った。一か所だけ僅かに四角く光が漏れているのは、恐らく扉だろう。真っ暗なこの場所には、他に誰も居ない。


「おっと、いかんいかん。えーと、念じれば良いんだよな……『ステータス』」


 念じれば良いと言いながら声に出す開星。知識としては知っているが実践するのは初めてのことなので、声を出してしまうのも致し方ない。


 この「フローレシア」という世界に召喚された異世界人は「賢人」と呼ばれる。賢人には、この世界の人より優れた能力スキルが授けられる――簡単に言うとそういうことだ。


 「ステータス」には、今自分が持っている「称号」と「スキル」の名称と簡単な説明が書かれている。目の前にタブレット画面のような半透明の青い板が現れ、そこには日本語でこう記されていた。


■喜志開星>

■称号:忍ぶ者

■スキル:認識阻害・偽装


※「忍ぶ者」は隠密行動を望む者に与えられる称号。

※「認識阻害」……認識されづらくなる。

※「偽装」……見た目を変えられる。


「おいっ!? 説明、簡単過ぎじゃない? それに俺、隠密行動を望んだの!? いつ? いつ望んだの!?」


 思っていたのと違い過ぎて、開星は思わず自分のステータスに突っ込んだ。何だろう、この忍者みたいな称号……。称号って勇者とか賢者とかじゃないんだ。


 開星の「称号」は、娘を探すという目的に沿って与えられたものである。決して彼が女風呂を覗きたいとか、不埒な願望を秘めていたわけではない。覗こうと思えば覗けるスキルだが、今はそんなことを考えもしなかった。


「ま、まあいいや。とにかくひなちゃんを見付けないと」


 「認識阻害」を意識する。これでスキルは発動した筈……だが、自分ではその効果がさっぱり分からない。開星は恐る恐る光が漏れる扉を開けた。ギィ、と軋む音がして心臓が口から飛び出しそうになる。


 愛する娘を勝手に召喚した、言わばここは敵地。娘以外は全て敵だと思わなければならない。僅かに開いた扉の隙間から外を窺うが、素人の開星には気配なんてものは探れない。一分程待って、思い切って扉の外に出た。


 いきなり攻撃されることも覚悟していたが、外には誰もいない。明るい日差しの下、青々とした芝生と咲き乱れる色とりどりの花、小さな噴水が目に入る。思いのほか平和な光景だ。


 後ろ手に扉を閉め、気持ち前屈みになって歩き出す。これが異世界の第一歩か、などと感慨に耽る暇はない。落ち着いて辺りを見回せば、革鎧と言うのだろうか? 革っぽい素材の胸当てを着けて槍を持ち、腰には鞘に入った剣を帯びた兵士が巡回している。


 不味い、と思う間もなく、兵士の一人が開星の居る辺りを見た。蛇に睨まれた蛙のごとく、開星はその場で固まった。兵士の目が開星を素通りする。なるほど、本当に認識されづらくなっているようだ。開星はホッと息を吐いた。


 しばらく進むと、白亜の建物に行き着く。遠くにはもっと巨大な建物がいくつも並んでいるが、手近な所から調べるべきだろう。玄関は開け放たれているものの、その傍には黒っぽいローブ姿の者や、全身を金属鎧で包んだ者が何人も立っている。


(いや、ここは後回しだな)


 前言をすぐさま撤回した開星は、一番大きな建物を目指した。大きければその分隙も大きいのではという根拠のない憶測に頼ったのだ。そこは皇宮であり、この国で最も警備が厳重な場所であることを開星は知らない。


 そこに辿り着くまで十分はかかった。巨大さ故に距離感を見誤っていた。何の為にあるのか、尖塔をいくつも備えた建物は、窓の配置から五階建てのようだ。ギリシャ建築とロマネスク建築、それにゴシック建築、時代の異なる建築様式がごちゃ混ぜになったような、それでいて統一感のある建物。


 玄関と呼ぶには烏滸がましい巨大な出入口は、多くの人々が行き交っていた。全員が欧米系の顔立ちに見える。物々しい装備の兵士もいるが、出入りする人をいちいちチェックしているわけではないようだ。


(これは行政の中心となる建物かな)


 図らずも開星の予想は的中していた。スキル「偽装」を意識し、出入りする人々と同じ外見をイメージする。背中には大きなバックパックを背負い、キャンプに備えたアウトドア向けの服装をした開星。それが周囲からは、自分たちと同じ文官に見えた。濃灰色のポンチョを纏い、分厚い書類の束を持って急ぎ足で歩く姿だ。


 誰にも咎められることなく皇宮に侵入した開星は、勘に頼って中をうろつく。耳をそばだてれば、聞こえて来るのは日本語。恐らく異なる言語が日本語に変換されているのだろう。所々で見かける文字は、アルファベットとカンボジアのクメール文字を組み合わせたような不思議な形だが、不思議と意味が分かる。


「なあ、賢人召喚ってどうなった?」

「ああ、プルシア殿下の? さあ?」

「離宮の方に魔術師が集まってたよな」

「じゃあそこに?」


 立ち話が聞こえた。賢人召喚、プルシア殿下、離宮……。心のメモに記しておく。それにしても広い。広過ぎる。東京駅の構内くらいあるんじゃないか?


 どうやって娘の居場所を突き止めるか思案しながら歩いていると、いつの間にか地下に来ていた。階段を降りた記憶はないのだが、どうやらスロープになっていたようだ。


(資料保管室、武器庫、出納室……出納!?)


 出納なら金があるはずだが、見張りはおらず施錠もされていない。開星はそっと出納室の内側へ体を滑り込ませた。すかさず自分に認識阻害を掛ける。


(元の世界に戻るのは『難しい』と言われた。つまり、少なくともしばらくはこの世界で生きていかなきゃならない。俺のひなちゃんを勝手に召喚しやがったんだから、少しばかり頂いても罰は当たらないだろう)


 目の前の棚には剥き出しの硬貨が積まれている。金色、銀色、銅色でそれぞれ大小あった。大きい方の金貨と銀貨を片手で掴めるだけ、小さい方の銀貨はバックパックの口を開けてジャラジャラと入れた。あまり欲張っても重くなるだけだ。


 次に武器庫。相変わらず誰もいない。こんな不用心でいいのか? 疑問に思いながら、八十センチほど刀身がある剣を一本、ナイフというには大き過ぎる、仮面を被った殺人鬼が持っていそうな短い剣を二本頂戴した。バックパックに無理やり詰め込もうとして……スルッと入って少し驚く。考えるのは後にして武器庫から出た。


 開星は知らなかったが、この時は丁度文官たちが昼休みの時間だった。皇宮が侵入されたことはこれまでなく、警備もおざなりだった。運と警戒心の低さが開星に味方したのだった。


(召喚は離宮で行われたのか? いや、俺が最初にいた場所は離宮って感じじゃなかった……。そう言えば、最初にあった白い建物、あそこには魔術師っぽい恰好の奴が何人もいたな)


 後回しにしてしまったあの建物、あそこに娘がいるのかも知れない。そうと知ったらここに用は――。


(資料保管室……地図があるんじゃないだろうか?)


 ここは異世界。スマホさえあればすぐに地図を開ける日本とは違う。知らない世界で、地図はかなり重要に思えた。開星がその部屋に忍び込むと、果たして地図らしき物があった。それも大量に。


(くそ、どれが役に立つのか分からん!)


 片っ端からバックパックに放り込む。ふと壁に目をやると一枚の地図が貼ってあった。左下に「皇都詳細図」と書いてある。壁から慎重に剥がし、他の地図と一緒に放り込んだ。


(ん?)


 皇都詳細図の下にある棚に「作戦資料」と書いたプレートが貼ってある。よく見るとその一角は全て何かの作戦を纏めた資料のようだ。一番目に付く場所にある資料の背表紙には「エルパシアにおけるアデムライト鉱山奪取作戦」と書かれていた。1から22までナンバリングされている。最新の22を手に取ると、詳細な地図と兵の配置らしき図表があった。


(これも一応貰っとくか……よし、離宮とやらに行こう)


 用は済んだとばかりに開星は意気込んだ。ここでやったことはまるで盗人――いや、そのまんま盗人であるが、娘を連れ去られた開星に罪悪感は欠片も生まれなかった。





*****





 ゴトゴトと揺れる荷馬車の中で、日向は膝を抱えて座っていた。四人の女の子は誰も話そうとしないし、見張りの男はニヤニヤしながらこちらを見つめている。目を合わさないよう、日向はずっと自分の膝を見つめていた。


 不安と恐ろしさで圧し潰されそうだ。父の顔が度々脳裏を過り、その度に涙が出そうになる。日向はそれを懸命に堪えた。


(泣いたらお父さんが心配するもん。だから泣かないもん)


 投げ込まれた時に付いた手足の擦り傷がじくじく痛むが、日向はそれを無視するように努めた。子供を「物」みたいに扱う人に、手当など期待できる筈がない。


(お父さん……)


 もう何度目になるか分からないが、日向はまた心の中で開星に呼び掛けた。お父さんなら、呼べばきっと来てくれる。日向はそう信じていた。いや、そう信じなければ、精神の均衡が崩れそうだったのだ。


 その時、日向に追い打ちをかけるように、見張りの男が立ち上がった。


「賢人のガキってのはどんながすんだろうなぁ? ちょっと試させてもら――ふがっ!?」


 男が日向に近付こうと一歩踏み出した時、馬車が急停車した。一番後ろにいた男はおかしな声を上げて荷台の前端まで吹っ飛んだ。


「くっそぉ、一体何だってんだ!?」


 男が悪態をついて立ち上がろうとした時、荷馬車がぐらりと揺れ、そのまま横倒しになる。おんぼろの幌はその衝撃で破れ、日向は土の地面に投げ出された。


 そこは森の中を通る道。違法奴隷商人である彼らは、騎士によって頻繁に巡回されている街道を避け、裏道となる森を突っ切る危険なルートを選択していた。


「やべぇ! ブラッドグリズリーかよ!?」


 日向の目に、体高三メートル近い赤黒い体毛をした熊の姿が映った。

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