第3話 日向の受難
作った炒飯がすっかり冷めてしまった頃、開星の胸騒ぎは最高潮に達していた。
(遅い……電話にも出ないし……)
先程から日向に持たせている携帯に何度も電話するが「電波の届かない所に……」と無機質なアナウンスが返ってくるばかり。
(まさか事故!? それとも、あまりの可愛さに連れ去られた!?)
そう思った開星は居ても立っても居られなくなった。作った昼食はラップして冷蔵庫に突っ込み、昨夜荷造りしたバックパックを引っ掴む。既にキャンプに備えて着替えていたので、トレッキングシューズを履いて家を飛び出した。
小学校から自宅マンションまで、大人の足なら歩いて十五分ほど。日向でも二十分の道程だ。バックパックを背負い、開星は小学校に向けて走り出した。
(どうか事故じゃありませんように!)
途中、救急車とすれ違って祈るような気持ちになる。しばらく進むと、遠くからでも人だかりが出来ているのが見えてドキッと心臓が跳ね上がる。
(いや……何だ、あれ?)
七~八人が遠巻きに見ているのは、七色に光る円柱。円柱は高さ五メートル程の所で薄くなって消えて見える。少なくとも事故ではないようだが……。
「ここで何かあったんですか?」
円柱の傍まで来て、開星は買い物帰りに見える年配の女性に声を掛けた。
「私は見てないんだけど……高校生っぽい子たちが三人、小学生の女の子が一人、この中にいたらしいのよ」
小学生の女の子……?
「ひなちゃん……」
女性の言葉はまだ続いていたが開星の耳には入らない。女性に礼を言うのも忘れ、開星はフラフラと光の円柱に近付いた。
「おい、あんた。危険かも知れないぞ?」
別の男性から声を掛けられるが開星の耳には入らない。小学生の女の子……帰って来ない娘、繋がらない携帯……。
『お父さん! 明日、楽しみだね!』
昨夜、娘が太陽のような笑顔でそう言ったのが鮮明に思い出された。
頭が真っ白になる。何が起こった? 視線を彷徨わせている開星の目が、見覚えのある物を捉えた。地面に落ちているピンク色のお守り。日向のランドセルに結び付けていた筈のそれ。
間違いない。ひなちゃんはここに居たんだ。
確信した次の瞬間、開星は光の円柱に足を踏み入れた。
「おい、あんた! 危な――」
男性が言い終える前に開星の意識は飛ばされた。
*****
「よぉ。お前の父ちゃんのとこに連れてってやるよ」
日向は突然話し掛けられてビクッと体を震わせた。声の主を見ると、自分より少し年上の少年。髪は埃塗れで顔も煤けているし服もボロボロ。それに何だか変な臭いもする。
それでも、全く見知らぬ場所で頼れる人がいない日向は、少年の言葉に縋りついた。いや、縋りつくしかなかったのだ。知らない大人、特に男の人には付いて行っちゃダメ、と父から言い聞かせられているが、少年に付いて行ったらいけないとは言われていない。
「お父さんのとこ?」
少年は建物の陰から、日向と門兵のやり取りを聞いていた。目と耳が良いのが少年の自慢なのだ。二人の様子から、日向がこの雑踏に「置いて行かれた」のだとピンと来た。
まだ九歳でスラム育ちの少年は「賢人」のことは知らなかった。見慣れない服を着て、変な形の鞄を背負っている日向のことは、外国の金持ちの娘だと思った。しばらく観察していたが、誰かが迎えに来る前にひと仕事しようと決めた。
「そうだ。ついて来い」
少年は見るからに胡散臭かったが、日向は人を疑うことを知らない。騙そうとして自分に近付いて来る人間に、これまで会ったことがないのだ。日向の返事も聞かずに歩き出してしまった少年を慌てて追いかける。お父さんと会えなかったら大変だ。
少年はズンズン進み、日向は時折小走りになって追い掛けた。少年は日向を振り返りもしない。初めからそうだが、少年は日向と目を合わせようとしなかった。これからすることの罪悪感が、日向を一人の少女と認識することを躊躇わせているのだ。
少し歩くと人通りがぱったりと少なくなった。昼間なのに薄暗い裏路地が続く。そしてとある建物の木戸の前で少年が立ち止まった。トントントン、トントン、トン。決められた符丁で木戸を叩くと内側から開けられる。
隙間から顔を出した男には頬に傷があった。男は鋭い視線を少年に、続いて日向に向けた。怖くなった日向は顔を伏せる。
「一人連れて来た」
「……ああ」
男が投げて寄越した硬貨が音を立てて地面に落ちる。それは一枚の大銅貨で、大銅貨十枚で銀貨一枚の価値だ。皮肉なことに、今日向が持っている大銀貨五枚、銀貨一枚を奪った方が余程価値があった。
少年は落ちた大銅貨を拾い、日向を一瞥もせずに立ち去った。日向は少年の背中と鋭い目をした男を交互に見て、少年を追い掛けようとする。だが、強い力でランドセルを掴まれて動けなくなった。そのまま建物の中に引きずり込まれる。
そこには別の男が二人いた。そして日向と同じ年頃の女の子が四人、怯えた顔で座り込んでいた。
「人数が揃ったから動くぞ。馬車を用意しろ」
男たちは違法奴隷商人だった。子供を攫い、奴隷として売り飛ばす。スラム出身の薄汚い少年は、僅かな金でその片棒を担がされていた。
疑うことを知らない日向でも、さすがにこの状況が良くないと理解し始めていた。だが、七歳の少女に何が出来ると言うのだろう? 男たちは明らかに堅気ではなく、腰の後ろにはナイフまで忍ばせている。逆らえばどんな目に遭うか、座り込んでいる子たちを見れば容易く想像できる。彼女たちはあちこち傷だらけだった。
ガラガラと音がして建物の前で止まった。開かれた木戸の隙間から、それが幌付きの荷馬車だと分かる。男たちは、座り込んだ女の子を荷物のように抱えてそこに投げ入れた。考える間もなく日向も抱えられ、乱暴に投げられた。
「うぅ!」
ざらざらした木の床で手足を擦りむく。血が滲むが、ここには傷を洗って絆創膏を貼ってくれる優しいお姉さんはいなかった。
男が一人荷台に乗り込み、荷馬車は動き始めた。
*****
「のぉおおおおお!?」
どこかに落ちていくような感覚に、開星の口から変な声が漏れる。ジェットコースターが急降下する時の、或いは飛行機がエアポケットに入った時の「ひゅん」となる感覚。と言っても男性にしか分からないかも知れない。
「へぶっ!?」
べちゃっ! と見えない壁にぶち当たった……気がする。痛みはない。落下の感覚は消えていた。そこで初めて周りを見回すことが出来た。
暗闇の中に様々な色の「直線」が光っている。直線は全て下に向かって真っ直ぐ伸びていた。それは美しくも恐ろしい、形容しがたい光景だ。
「ふ~ん……久しぶりに見た」
「え?」
声がした方を振り返ると一人の少女が立っていた。年の頃は12~13歳か。白金の長い髪に金色の瞳。可愛らしい顔は恐ろしく整っている。右肩が露わになった白いローブのようなものを纏い、足元は裸足。見えている肌は透けるように白かった。
「えーと、どちら様?」
「ボクはペディカイア。地球の神の気配がしたから覗きに来たんだ!」
ペディカイアと名乗った少女の目は、開星の右手を凝視している。釣られて右手を見ると、そこにはピンク色のお守りが握られていた。
近所の神社で買った普通のお守りなのだが……。ん? 「地球」の神?
「そう。キミが今から行くのは地球とは別の世界だよ」
「心を読まれた!?」
「まあ、ボクはフローレシアの神の遣いだから。ここならそれくらい出来るんだ」
「な、なるほど?」
フローレシア……?
「キミたちに分かりやすく言うと『異世界』のことだね」
「異世界……僕――私の娘はそこに飛ばされたんですか?」
「飛ばされたんじゃなくて召喚されたの」
うん。さっぱり分からん。
「召喚じゃなく、自分から異世界に行く人を見るのは二百年ぶりだよ。せっかくこうして会えたから、向こうで役に立つ知識をあげるね。えいっ!」
ペディカイアは可愛く「えいっ!」と言って、その両手を開星の頭に向けた。途端に頭が割れるような頭痛に襲われる。
「うぐっ!?」
開星は頭を抱えて蹲った。命の危険を感じる程の痛みだったが、それは五秒程で治まった。
――『賢人』……『称号』……『
それはまるで、昔から知っているような知識。学んでいないのに何故か知っているという違和感。だが開星は確信した。これは娘を探すのに役立つ、と。
「時間がないから無理矢理詰め込んだけど、
神の遣いは全てお見通しってわけか。それならこんな回りくどいことをしないで、娘を俺の下に返してくれれば良いのに。
「ごめんね、それは出来ないんだ。召喚に関わる神の力は強いから」
その言葉から、ペディカイアの仕える神は召喚に関わっていないことが知れた。
「あ、あの! 元の世界――地球には戻れるんでしょうか!?」
開星の問いに、ペディカイアは口角を上げた。それは笑みの筈だが、何故か開星には酷く恐ろしい表情に見えた。
「難しいよ?」
美しい少女の姿をした神の遣いは一言だけ返す。出来ないとは言われなかった。今はそれで充分だ。
「あの、色々と教えてくれてありがとございましたぁぁあああああ!?」
次の瞬間、開星はまたどこかへ落ちていく感覚を味わった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます