第2話 日向、放逐される
高校一年生になった
状況から見て、これは「勇者召喚」ではないか?
佑は内心ワクワクしていた。こんなことが自分の身に実際に起こるなんて。特別な力を与えられ、特大の魔法をぶっ放して敵を薙ぎ払う自分を想像する。神妙な顔をして銀髪の女性に付いて行っているが、口元がニヨニヨするのを抑えきれなかった。
水を差すようだが、「勇者」召喚ではなく「賢人」召喚である。残念ながら、何の努力もせず強大な魔法を使えるようなチートは与えられていない。それに佑が気付くのはもう少し先である。
陽の光の下では、銀髪女性の美しさは輝かんばかりだった。足元は整えられた芝生、あちこちで花が咲き乱れて小さな噴水もある。遠くには真っ白な巨大建造物、それを囲むように同じ色の建物が多く見られた。
最初の陰鬱な建物から数分歩き、磨き上げられた白い大理石のような石造りの建物の前までやって来た。壁や柱には精緻な彫刻が施されている。大きな透明の窓ガラスもあり、最初の場所とは雲泥の差だ。太い円柱と三角屋根のある玄関前で、ローブや鎧姿の者たちは左右に分かれて整列する。その建物の中から、執事のようなかっちりした服装の男性と、古風なメイド服を来た四人の女性が現れて頭を下げた。
「ここは
銀髪女性に促されて中に入ると、まるで映画のセットのような空間が広がっていた。広い玄関ホールは吹き抜けで、高い天井からシャンデリアのような照明具が吊り下げられている。左右には二階へ上がる廻り階段。床一面に靴のまま踏み入るのを躊躇うようなふかふかの絨毯が敷き詰められている。壁には巨大な絵画が飾られ、人がそのまま入れそうな大きさの花瓶には色とりどりの美しい花が活けられていた。
勇太と佑はきょろきょろと周囲を見回しながら女性の後を付いて行く。日向の手を握った由依は警戒を怠らない。私がひなちゃんを守るんだ。子供好きな由依は、可愛らしい日向に庇護欲を掻き立てられていた。
「しばらくこちらでお休みください」
四人は客間の一つに案内された。ソファーとローテーブル以外何もない。既に人数分のティーカップが並べられ、クッキーのような茶菓子もある。四人だけになると、途端に勇太が口を開いた。
「なぁ佑。これって――」
「ああ。俺たち、異世界に召喚されたっぽい」
勇太が「マジか……」と頭を抱えてソファーに腰を下ろした。佑は興奮を抑えきれず、ウロウロと部屋の中を歩き回る。由依は勇太の向かい側にあるソファーに浅く腰掛ける。
「ひなちゃん?」
座ろうとしない日向に由依が声を掛けた。日向はおろおろと焦っているように見える。
「どうしよう……お父さんと約束してたのに……」
「そっか……」
「早くおうちに帰らないと、お父さんが心配する……」
「そう、だよね」
佑が口にした「異世界」という単語。由依はそれほど詳しくはないが、そういうジャンルの物語があることくらいは知っている。
「ゆいお姉ちゃん……」
「うん?」
「ひなのおうち、どこかわかる?」
うるうると潤んだ瞳には必死さが滲んでいる。きっと泣かないように我慢しているのだろう。由依は胸がぎゅっと絞られるような痛みを覚えた。
「ひなちゃん、ごめん。私にもここがどこか分からないの」
適当に誤魔化すことは出来なかった。だから本当のことを伝えた。
「……お父さん、ひながいないとダメなの。お母さんが死んじゃってから、お父さんの面倒はひなが見るって決めたの!」
日向の健気な言葉に、由依は泣きそうになった。思わず日向を抱きしめる。
「ごめん、ごめんね……力になれなくてごめん……」
日向の小さな手が、由依の髪を優しく撫でる。その温かい感触に浸っていると、扉をノックする音が聞こえた。
「お待たせいたしました」
メイド服の女性が部屋に入り、その後ろから銀髪の女性と二人の大柄な男性が入ってくる。
「申し遅れました。
由依と勇太は「皇女」と聞いて立ち上がった。佑は歩き回るのを止め、次の言葉を待っている。
「これから話すことは、幼い子には聞かせたくないことも含みます。その子は別の部屋で待たせてもよろしいかしら?」
よろしいかしら、と言う割には有無を言わさない圧力がある。由依や日向の返事を待たず、メイド服の女性が近付いて日向の手を握った。それを男性二人が前後に挟む。まるで由依たちを阻むように。
「ひなちゃん!」
由依は日向を奪い返そうとしたが、男が間に体を入れて邪魔をする。
「ゆいお姉ちゃん!」
ぐいぐいと手を引っ張られ、日向は引き摺られるように部屋を出て行く。部屋から出る直前、小さな膝小僧に貼られたクマの絆創膏が由依の目に焼き付いた。
*****
ひなちゃん、もう家に帰り着いたかな? 俺がいないと寂しいだろうし、遅いと心配するだろう。
一か月前から今日を楽しみにしていた。そんな日に限って退社ギリギリで電話掛けてくるなんて……嫌がらせか? お客様だってやって良いことと悪いことがあるぞ、このヤロウ。
電話を掛けてきた顧客は開星と日向の予定など知らないので罪はない。少し考えれば分かることだが、こと娘が絡むと開星は普段の冷静な判断が大いに鈍る。開星にとって、娘の優先順位は何物にも勝るのだ。本人が「ひなちゃん至上主義」と言って憚らないのだから始末に負えない。
身長182センチで細身の開星がスーツ姿で走ると様になった。何かのCMのようで、すれ違う女性たちが目で追う程だ。三十四歳、顔も悪くない。中身は娘を溺愛する行き過ぎた親バカだが、日向が近くにいなければ周囲にそれがバレることはない。世の女性たちが目の保養をする分には中身など関係ないのである。
「ただいまー……って、あれ? ひなちゃんは……まだ帰ってないのか」
マンションの玄関に日向の靴はなかった。開星はいそいそと着替えを済ませる。荷物は昨夜のうちに確認しながら大きなバックパックに詰め込んだので問題ない。
「……昼飯でも作るか」
冷凍していたご飯二人分。ミックスベジタブル、挽き肉も冷凍庫から取り出す。冷蔵庫から卵、ネギ、ウインナー。ご飯と挽き肉をレンジで解凍。その間にネギとウインナーを適当な大きさに刻む。フライパンを熱して油を入れ、全体に馴染んだら溶いた卵を投入。すかさずご飯を入れて混ぜる。その他の具材も入れてフライパンをあおる。妻が亡くなってから出来るようになった技の一つ。多少こぼれるのは大目に見て欲しい。中華ペースト、塩・胡椒で味を整えたら炒飯の完成だ。昨夜の残りの味噌汁を温め直し、サラダを盛り付けた。
料理をしている間に娘が帰ってくると思っていたが……。
「遅いな……」
終業式はもうとっくに終わっている筈。友達と遊んでて時間を忘れちゃったのかな?
冷めていく料理を眺めていると、開星は徐々に胸騒ぎを感じるのだった。
*****
部屋から強引に連れ出された日向は、馬車に載せられて皇宮の外へ運ばれた。大柄な男が日向の隣に乗っているが、話し掛けても一言も喋らない。日向はどうして良いか分からず、こみ上げてくる涙を懸命に堪える。やがて貴族街の防壁に到着し、日向はそこの門兵に引き渡された。大柄な男が門兵に何やら耳打ちし革袋を手渡す。門兵は顔を顰めながらそれを受け取った。
門兵が戸惑いながら日向に話し掛ける。
「……お嬢ちゃん、行こうか」
「……どこに行くの?」
「あー、お母さんの所だよ」
「……お母さん、三年前に死んじゃったよ?」
「っ!? ……間違えた、お父さんの所だ」
「お父さんが来てるの!?」
蕾が開くような眩しい笑顔を向けられ、年嵩の門兵は胸が痛んだ。上役から仰せつかったとは言え、こんな幼気な子供を騙さなければならないなんて。この子は賢人様じゃないか。こっちの都合で呼び出しておいて、要らないから街に捨てて来いだなんて。この国はおかしい。いつか報いを受けるんじゃないだろうか。
やがて大きな通りが交差する場所に着いた。馬車や人の通りが非常に多く、屋台や商店がたくさんある場所だ。
「さあ着いた。ここで待っていればお父さんが来るからな」
「ほんと!? ひな、待ってる!」
大男から預かった、アベリガード大銀貨五枚が入った革袋を女の子の手に握らせる。一瞬だけ考えて、門兵は自分の懐から別の革袋を取り出し、それをそのまま女の子に渡した。中には銀貨一枚、銅貨が数枚入っている。それは門兵自身の財布だった。足しにはならないかも知れないが、無いよりはマシだろう。
「お嬢ちゃん、これも持っていきな」
「? いいの?」
「ああ」
「ありがとう!」
日向には、それが何か全く分からなかったが、取り敢えず礼を言った。人から何か貰ったらお礼を言う。お父さんが教えてくれたことだ。
門兵は後ろ髪を引かれる思いでその場を後にした。自分の金を渡したからと言って、この罪が消えるわけではないだろう。それは分かっているが祈らずにはいられなかった。あの子が、せめて親切な誰かに拾われますように……。
キョロキョロと辺りを見回す日向を、建物の陰からじぃっと観察する目があることは、門兵も知らなかった。
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