第10話 父、鬼になる
「えっと、由依さん?」
「あ、呼び捨てでいいですよ」
「「俺たちも」」
「勇太く……勇太と佑はいいとして、さすがに年頃の女の子を呼び捨てするのは抵抗あるから……じゃあ由依ちゃんって呼ばせてもらうね?」
「……取り敢えずそれでいいです。あ、私は『癒す者』って称号で、スキルに『治癒魔法(初級)』があるんです」
「「「「おおっ!?」」」」
開星、勇太、佑、そして少年までが驚きの声を上げた。
「治癒!? ヒールだよな!? 使って見せてよ!」
相変わらず佑の食い付きぶりが熱い。顔を由依に近付けて詰め寄っている。
「ちょ、ちょっと九条くん、近い」
「あ、ごめん」
佑は顔を赤らめながら仰け反るように後ろへ下がった。
「由依ちゃん?」
「あ、すみません。ちょっとやってみますね。『ヒール』」
由依は床に倒れた男に掌を向ける。男の体全体が淡く緑色に光った。勇太と少年は驚きに目を見開き、佑は何かを堪えるように口を押えていた。心なしか目に涙が浮かんでいるようだ。
「う、うぅ……」
男が呻き声を上げて目を開ける。すかさず勇太がその喉元に剣先を突きつけた。
「お前ら、この俺が誰か分かってんだろうなっ!?」
男が目を血走らせ、唾を撒き散らしながら恫喝紛いの言葉を吐いた。高校生三人組と少年がそれに体を固くする。しかし開星は平然としていた。
「どこの誰か知らないし興味もない。こっちの質問に答えてくれ」
「ああっ!?」
男が上半身を起こした為、勇太が慌てて剣を引く。まだ人間を刺す心構えは出来ていない。開星はそれらを無視して男の目の前にタブレットの写真を掲げた。
「この子をどこに連れて行った?」
「そんなもん、教えると思う――ぎゃぁ!?」
開星は男の太腿に平然と短剣を突き刺した。開星以外の者たちがビクッと肩を震わせる。男は罵詈雑言を浴びせようと口を開きかけたが、感情の抜け落ちた開星の顔を見て口を閉じた。
「由依ちゃん、申し訳ないんだけど、抜くから治療してくれるかな?」
「は、はいぃ!」
開星が短剣を引き抜くと、ズボンの切れ目からゴポリと血が湧き出す。由依はそこから目を逸らした。
「ぐぅ!?」
「ヒ、ヒール!」
男の太腿に緑色の光が集中する。傷はみるみるうちに塞がり、十秒程で跡形もなくなった。
「何のつもり――ぐあっ!?」
表情を一切変えず、開星がまた短剣を突き立てた。由依に目で合図をして抜き、またヒールをかける。
「答えるまでずっと続ける。気絶しても起こす」
「わ、分かった! 分かったから待ってくれ!」
男は涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら懇願した。開星は短剣を振り上げた手を止め、男を見ながら首を傾げる。
「兄貴たちが連れてった! どこに向かったかは分かる!」
「案内できるな?」
男は必死になって何度も頷く。開星はようやく短剣を下ろした。
(凄い。自白まで二分もかかってない)
(開星さんこえぇぇぇ)
(……サイコパスみが強い。ん?)
由依、勇太、佑が心の中で呟いた。
「少年」
ここまで開星たちを案内した少年が開星から呼ばれ、ビクッと体を揺らす。
「付き合わせて悪かったね。これ、約束のお金。あと、迷惑料と口止め料」
開星は少年に十枚の大銀貨を握らせた。先に渡した分と合わせれば、日本円にして110万円相当。だが、受け取った少年の手は震えていた。あの少女をここに連れて来たのが自分だとバレたら、同じ目に遭わされる……。
「もう帰って良いよ。一人で戻れるかい?」
「あ、うん」
少年は開星から目を離さないよう後退り、壊れた木戸の所まで来ると脱兎の如く駆けだした。もう二度と奴隷商人の片棒を担ぐ真似はしない。いや、真っ当な仕事に就こう。あんな恐ろしい奴と関わらないような、真っ当な仕事に。全力で走りながら、少年はそう心に決めた。
図らずも一人の少年を更生させた開星は、奴隷商人の男と馬車を取りに行った。残された三人は、薄暗い倉庫でホッと息を吐く。最初に勇太が口を開いた。
「なぁ、開星さん……怖かったよな」
「そうかな? ひなちゃんを攫った奴だもん、あれくらい当然じゃない?」
由依が開星の行動を肯定するのは、勇太にとって少し意外だった。由依は昔から真面目で曲がったことが嫌いな性格だ。だから一方的な暴力に対しては否定的かと思った。しかしあれは悪因悪果であり、由依に言わせれば男の自業自得である。子供を攫って売り飛ばす悪人と日向、どっちが大事かなど考えるまでもなかった。
勇太は、自分たちには非常に温和な開星が冷静に男を甚振るのを見て、その二面性に驚いたというのが正直なところだ。奴隷商人の男に同情を寄せるほど、勇太はお人好しではない。
「開星さん……裏で自分の足を抓ってた。平気なフリしてたけど、ひなちゃんのために必死だったんじゃないか?」
開星と出会ってまだ数時間。それほど深く彼のことを知っているわけではない。それでも佑は、淡々と男に短剣を突き刺す開星に違和感を抱いた。だから目を背けず冷静に観察したのだ。
開星は自分の萎えそうな心を奮い立たせるため、自分の腿の裏を抓っていた。開星に嗜虐趣味などない。共感力が高いので相手が嫌がることは基本的に出来ないタイプなのだ。それでも、娘を見付けるまでは心を鬼にすると決めた。見知らぬ人間に同情したせいで娘を失ったら、死ぬまで自分を許せないだろう。
「そっか……よかった」
「だよな」
佑の言葉を聞いて、由依と勇太は安堵した。由依だって暴力そのものを肯定するわけではない。使わないで済むならそれに越したことはないのだ。勇太も崩れそうになった開星の印象が持ち直して安心した。開星は今のところ一番頼りになる人である。いつ豹変するかビクビクしながら付いて行くのは避けたい。
「みんな、お待たせ。馬車を用意してもらったよ」
開星が戸口からひょっこり顔を出してそう告げた。
三人が裏路地に出て眩しさに目を細める。少し離れた大きな通りに馬車が止まっていた。御者台にはさっきの男が大人しく座っている。
男の名はダルク。奇しくも開星と同じ34歳だった。馬車を取りに行く道すがら、開星は彼に謝罪した。
『さっきは済まなかった。でも、もし君の娘が同じ目に遭ったらどうする? 娘がいないなら別の大切な誰かでもいい。必死になって探さないかい?』
ダルクには娘も大切な誰かも居なかったが、逆らえばまた同じ目に遭うと思って開星に同意した。何故なら、開星がこう続けたからだ。
『君には申し訳ないけど、娘のためなら僕は何度でも同じことをする。躊躇なくね』
開星の顔を見れば、それが本気だと分かった。さっき血をたくさん流してフラフラするし、しばらくは言うことを聞いた方が良さそうだとダルクは判断した。
由依と勇太、佑の三人は荷台に、御者台のダルクの隣には開星が乗り込む。こうして、日向が連れ去られたのと同じような幌馬車は皇都の東方面に向かって出発した。
開星が手首に嵌めているガーミンのデジタル腕時計。それによれば、皇都の門を抜けて30分程が経った。門を出る時だけ認識阻害を使ったが、全く問題なく抜けることが出来た。途中で街道から右に逸れて荒れた道を進んだ。周囲は徐々に緑が濃くなり、今や森の中といった風情だ。
ここまでの道中、ダルクは自分からは一切喋らなかった。隣に座る男が時折ポツポツと質問してくるので、それに答える程度だ。
「じゃあこのアベリガード皇国は大陸の西端に近くて、北は魔人族領、西側がルノサイト王国、南がグランマス帝国、東にキャルケイス王国があると。君たちはキャルケイス王国に向かおうとしていた。間違いない?」
「その通りだ……です」
皇宮の資料保管室から盗んできた地図の一枚を広げて、開星はダルクに確認する。広域地図はかなり大雑把だが、これから先の予定を決めるのには役立つ。西にはルノサイト王国一国しかないから、この国から離れるなら東を目指した方が良いだろう。
馬車が緩やかな左カーブを曲がっている時、ダルクが声を上げた。
「なっ!?」
ダルクの横顔を見て、開星もその視線の先に目を遣った。そこには横倒しでボロボロになった幌馬車の成れの果てがあった。
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