第11話 お父さんが来てくれた!

 幌が破れ、車輪が一つ外れて横倒しになった馬車。近付くにつれ、むっと鼻をつく異臭がしてくる。


「兄貴たちの馬車だ……」


 十五メートルほど手前で止まり、ダルクがそう呟いた。それを耳にした開星は御者台から飛び降りて駆け出していた。


「うっ……」


 思わず腕で鼻を覆う。


「開星さん、どうしたんです――」

「来るな!」


 馬車が止まったので、荷台から降りて様子を窺おうと声を掛けた勇太だったが、開星の厳しい声に足を止めた。


 開星の目に最初に入ったのは、腹を食い破られた男の死体。太腿や肩も食いちぎられている。血を吸い込んだ土は、そこだけ濃い茶色に変色していた。


 馬車を回り込むとあと二つ同じような死体。それに二頭の馬も似たような状態だった。


「ひなちゃん……え?」


 倒れた馬車の反対側に回り込もうとしたら、不思議なものに阻まれた。


――チリンチリン、チリリリン、チリリリリ……


 体長20センチ、胸と腰の大事な部分を葉っぱで隠している以外は全裸。背中の昆虫のような羽根を高速で動かし、大の字になって開星の前に浮いている。一体は金色の髪、もう一体は真っ赤な髪。小さくてよく分からないが、怒った表情に見えた。


 何だコレ? アニメや映画なら妖精か精霊だろうけど……。


 二体のよく分からないものの向こうには、一塊になって蹲る少女たちが見える。日向の姿を探すが、服や髪の色でいないことが分かった。


「えーと、危害を加えるつもりはないよ。僕は娘を探してるんだ。ほら、この子。見覚えないかな?」


 開星は、我ながら頭がおかしくなったかも知れないなどと思いながら、目の前の妖精だか精霊だかにタブレットの写真を見せた。すると彼女(?)たちはタブレットに顔を近付けて食い入るように見つめる。写真と開星を交互に見比べ、やがてお互いで何やら話し始めた。


――チリンチリン

――チリリン、チリン


 ガラスの風鈴が鳴るような涼やかな音がしばらく続いた。心なしか最初より穏やかな音だ。


 話し合いが終わったのか、金髪の方が少女たちの方へ飛んで行った。一番年上に見える少女の服を引っ張り、開星の所へ連れて来る。


「あの、精霊さんがあなたと話せって……言ってる気がします」

「精霊さん……そ、そうなんだね。君たちは攫われたのかな?」

「はい」


 開星が少女に事情を尋ねると、攫われて馬車で運ばれている途中、熊の魔物に襲われたらしい。タブレットで日向の写真を見せると、確かに一緒に居た子だと言う。日向を助けるように突然精霊が現れて、魔物を追い払ってくれたそうだ。


「それで、娘がどこに行ったか分かる?」

「精霊さんと一緒に向こうへ行きました」


 そう言いながら少女は森の北側を指差した。


「なるほど、ありがとう。ちょっと待っててね?」


 開星は、呆けたように死体の横で膝を突いているダルクに近寄る。


「ダルク、仕事を頼みたい」

「……仕事?」

「あの子たちを皇都に連れ帰ってくれ。もちろん謝礼を払う」


 そう言った開星は、大金貨一枚をダルクに見せた。開星の予想では、大金貨一枚は1000万円相当の筈だ。大銀貨は貴族街の門兵と少年に全て渡したのでもうない。1000万円は多過ぎるとは思うが、使い勝手の良さそうな銀貨は出来るだけ残しておきたかった。予想はそう外れていなかったようで、ダルクの目が大金貨に釘付けになった。


 違法奴隷商人の下っ端であるダルクは今まで大金貨を目にしたことがなかった。大金貨は国に納入する大商人への支払いや、商人同士の大口取引くらいでしか使われないのだ。


「あの子たちが安全に家まで帰れるように手助けしてやって欲しい」

「そ、それは本物か……ですか?」

「ああ、正真正銘のアベリガード大金貨だ。悪いんだが、細かいのがなくてね」


 兄貴分たちが死んだから仕事がない。大金貨一枚あれば二~三年遊んで暮らせる。蓄えもないダルクは開星の提案に飛び付いた。彼らが賢人であることは彼にも分かっていた。賢人なら大金貨を持っていてもおかしくないと考えたのだ。


「わ、分かった、いや分かりました」

「言うまでもないと思うけど、約束を破ったら精霊がお仕置きに来るから」


 その言葉で、ダルクは初めて開星の顔の傍に浮いている赤髪の精霊に気付いた。精霊は気に入らない者に容赦しない。それは大人の間でもよく知られていることだった。


「ひぃ」


 ダルクは小さく悲鳴を漏らした。もちろん開星の言葉はただのはったりだ。だが効果は覿面のようだった。


「じゃあ頼んだぞ」


 その頃には、由依と佑も馬車の荷台から降りていた。ダルクと開星は少女たちに手を貸して荷台に乗せる。御者台に座ったダルクが馬車を反転させ、元来た道を戻って行った。


「開星さん、あの……」


 由依が遠慮がちに尋ねる。


「ああ、ごめん。あの子たちは娘と一緒に攫われてた子。ダルクに頼んで街に連れ帰ってもらったんだ」

「え、大丈夫なんですか?」

「精霊が見張ってるって言ったらかなりビビッてた。大丈夫だと思う」


 開星の傍に浮いている二体の精霊がコクコクと頷いている。こちらの言葉は分かるらしい。


「この可愛い子たちは精霊なんですね」


 可愛い……か? 細身で顔も整っているけど、ガラス玉のような黒一色の目がコワい。


 開星がそんな感想を抱いていると、精霊たちは由依の周りでクルクル回り始めた。可愛いと言われて由依を気に入ったのだ。精霊、意外とチョロかった。


 しばらく由依の周りを飛んでいた精霊たちだが、開星の言葉にハッと我に返った。


「あー、僕は娘を探しに行くよ」


 精霊長に言われていたのだ。愛し子の父親が来たら案内するように、と。父親が来たのに案内しなかったら、後で精霊長にこっぴどく叱られる。精霊長、怒ったら怖いのよ……。精霊たちは慌てて開星の袖を引っ張り始めた。


「ん? 案内してくれるのかい?」


 二体の精霊がコクコクコクコクと激しく頷く。


「私たちも付いて行っていいですか?」


 精霊は開星の袖を一度手放し、お互いチリンチリンと話し始めた。父親以外の人族を連れて来たらダメとは言われていない。だから大丈夫、の筈。


 少し自信のない精霊たちだったが、由依に向かって大きく頷いた。勇太と佑が自分を指差すので、それにも頷いて答える。一人も三人も一緒だ。


 こうして、開星たちは精霊に導かれながら森の奥へと向かうのだった。





*****





 日向は膝を抱えて草の上に座っている。


 精霊たちは甲斐甲斐しく日向の世話を焼いてくれた。草を編んだコップで清涼な水を与え、森の果物や木の実をくれた。擦りむいた手足には潰した薬草を塗って手当もしれくれた。代わる代わる日向のもとへやって来て話し相手にもなってくれる。


 しかし、攫われて魔物に襲われたショックから立ち直るにつれ、別の不安で心が一杯になる。


(お父さん……)


 優しい精霊はたくさん居るけれど、ここに他の人間はいない。何よりも一番大好きな父が居なかった。知らない場所、知らない人たち。生まれて初めて向けられた明確な悪意。見たこともない恐ろしい動物。日向が無条件で信じられるものが何一つなかった。


(約束したのに……お父さんに心配かけちゃう……)


 約束を破り心配を掛けたことで、父が怒っていないか不安だった。大好きな父から嫌われたらどうしよう? そんなことを考えただけで涙が零れそうになる。日向は何も悪いことをしていない。ただ巻き込まれただけだ。それでも、自分が何か悪いことをしているような気持ちになって、日向は塞ぎ込んでしまう。


 溢れそうになる涙を服の袖でグイッと拭った日向は、ふんす! と気合を入れる。


「ひな、泣かないもん! ひなが泣いたら、お父さんが悲しむもん!」


 日向が泣くと、父の開星はどうして良いか分からずオロオロしてしまう。とても悲しそうな顔をしながら、父は「ごめんな……ごめんな……」と謝り続けるのだ。


 日向は、父と会えるまで泣かないと決めていたのだ。父を悲しませないために。


――チリン、チリン。チリリリリリリリ……


『ひなちゃん、お父さんが来たわよ!』

「ほんと!? アドちゃん!」


 最初に熊を止めてくれた精霊、若葉色の髪をしたアドレイシアが日向に伝えた。日向は思わず立ち上がる。クルクルと辺りを飛び回っていた精霊たちが一つの方向に顔を向けた。


「ひなー! ひなちゃーーーん!」


 お父さんの声だ!


「お父さん? お父さーーーん!!」


 日向は父の声がした方に向かって駆け出した。精霊たちが慌てて道を作る。


「お父さん! お父さん!!」


 日向は一生懸命走った。深い森に、精霊たちの力で一本の道が開ける。手前から奥まで木が避けるように動くと、そこに一番会いたい人の姿を見付けた。父の姿が目に入った途端、日向は泣くことを堪えきれなくなった。まるでダムが決壊したかのように、その目から大粒の涙が溢れ出す。


「おどーざん! おどうざぁぁあああん!」

「ひなた! ひなたー!」


 父もこちらに走って来て、日向の手前で膝を突いて大きく腕を広げた。日向は力いっぱい開星の胸に飛び込んだ。


「おどうざん! ひな、ながながっだ……ながながっだんだよぉおおお!」


 涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、日向は父の胸に顔を埋める。開星は日向を優しく抱きしめ、片手でその髪を撫でた。


「偉いぞ、ひなちゃん。本当に偉い」


 開星は日向の髪に鼻を埋め、思いっ切りその匂いを吸い込む。


 異世界召喚に巻き込まれた娘を探しに来た。見つからないかも知れないと何度も絶望しそうになった。


 でもようやく見付けた。この温もり、この匂い。間違いなく最愛の娘だ。


 抱き合う父娘の姿を、由依、勇太、佑の三人は少し離れた所から見守っていた。彼らの目にも涙が浮かんでいたのだった。

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