第12話 K3Y

(こんな人がお父さんだったらいいなぁ)


 由依の家は母子家庭だ。由依が幼稚園に通っている頃に両親が離婚した。原因は父の浮気だったらしい。


 離婚してからの母は吹っ切れたように遊び呆けた。若くして子供を儲けたため、失った時間を取り戻すように遊びに現を抜かした。母が遊んでいる間、由依は祖父母に預けられていた。だから衣食住に不自由はなかった。


 由依が小学三年生になった頃、母は思い出したかのように由依に構い始めた。祖父母の家から独立し、二人でアパート暮らしを始めた。由依はようやく母の愛情が戻ったと思った。離婚した父は会いに来ることもなかったし、祖父母は愛してくれたが厳格なため甘えることが出来なかった。母なら甘えさせてもらえると思ったのだ。


 それが間違いであることは直ぐに思い知った。


 同年代の女友達が次々と結婚し、遊ぶ相手が居なくなった母は、男遊びにシフトしていた。男を連れ込むために実家から出てアパートを借りたのだ。由依はただ、母が「母娘だけで生活したい」と祖父母を納得させるだけの道具に過ぎなかった。


 母が男を連れて来る度に、由依は家から追い出される。祖父母の家は歩いて行けるような距離ではなかったので、由依は仕方なく近所の公園で時間を潰した。


 街中にある公園と言っても夜は暗い。小学生が夜に一人で公園に居れば何か事情があるのは自明のこと。真面目を装った大人の男性、本心から心配してくれる女性、そして警察官。様々な人から声を掛けられた。


 そんなことが続くと、遂に児童相談所の人がアパートを訪れた。恐らく警察から連絡がいったのだろう。


 夜間に女児を放置することは育児放棄に当たると強く諭されると、母は由依を追い出さなくなった。男を連れ込むのを止めたわけではない。由依はただ、台所の片隅で耳を塞いでその時間を耐えるしかなかった。


 小学校高学年になると、連れ込んだ男が由依を変な目で見るようになった。身の危険を感じた由依は、夜に訪れても文句を言わない友達を作った。それが如月勇太である。


 勇太は、由依の母が夜の仕事をしていると両親に説明し、大らかな両親は由依を受け入れてくれた。食事やお風呂をいただくこともよくあった。


 だが、中学生になるとさすがに同い年の男子の家に夜行くのが憚られるようになる。弓道部に入って交友関係を広げ、同じ部の女子の家をローテーションするようになった。


 いつか母も目が覚めるだろう。そんな思いが叶えられることはなかった。


 高校入学を機に、由依はアパートを出ることを決意した。頼って良いものか悩んだが、祖父母に手紙を書いた。彼らがお金を出してくれ、高校に近い場所でアパートを借りることが出来た。多くはないが、今も彼らが仕送りしてくれている。由依もアルバイトをすることで何とか生活は出来ていた。


 両親の愛情を知らずに育った由依だが、厳格な祖父母の愛は知っていた。母を反面教師にして、絶対に母親のようにはならないと誓った。


 そんな由依だが、幼い頃に父親がいなくなってことで、本人が気付かないうちに父性への強い憧れを抱くようになっていた。父親の記憶はとうに薄れ、由依なりの理想の父親像を持っていた。


 父親は、娘を無条件に愛する。

 父親は、娘を守るために全力を尽くす。

 父親は、娘が一番頼りに出来る存在。

 だから父親は、娘が最初に好きになる異性。


 ギャン泣きの日向を優しく抱きしめている開星の姿は、由依が抱く理想の父親像と合致した。だから、由依の心にこんな気持ちが芽生えるのは不思議ではなかった。


(私も、この人から愛されたいなぁ……)





*****





 精霊の案内で、開星たちは泉に近い美しい場所に案内された。柔らかな草の上に腰を下ろした開星だが、首に縋りついたまま眠ってしまった日向を膝の上に抱えている。父娘はお互いを二度と離さないと言わんばかりだ。


 開星と日向を囲むように、由依、勇太、佑の三人も腰を下ろしていた。周囲を忙しなく精霊たちが飛び交っている。


「これからどうするかだけど」


 開星が徐に口を開いた。


「僕は、安心して暮らせる場所を探しながら日本に帰る方法を見付けたいと思ってる」

「帰る方法があるんですか!?」


 勇太が身を乗り出して尋ねた。


「ちょっと勇太! ひなちゃんが寝てるんだから、声を抑えて」

「ご、ごめん」


――チリン、チリン、チリリン


 先ほどから、若葉色の髪をした精霊が何事か話し掛けてくるようだが、生憎と開星たちには理解出来なかった。


「こっちの世界に来る途中、神の遣いに会ったんだけど」

「神の遣い!?」


 今度は由依が大きな声を上げる。勇太がジト目で由依を睨み、彼女は頬を赤らめながら肩を竦めた。


「称号やスキルに関する知識を詰め込まれたんだ。その時、帰る方法があるのか尋ねた」


 開星は一旦言葉を切る。三人を見回して再度口を開いた。


「はっきりとは教えてくれなかった。ただ『難しい』とだけ答えてくれた」


 詰めていた息を三人がふぅっと吐き出す。勇太の表情は落胆に沈んでいるように見えたが、由依と佑は意外と平気そうだった。


「難しいけど、帰る方法はあるってことですよね」

「うん。僕もそう思う」


 由依の問いに答える開星。だが、仮に帰る方法があったとしても一筋縄ではいかないのだろう。何せ神の遣いが「難しい」と言うくらいなのだから。


「一日二日で見付かるようなものじゃないんだろうね。もちろん、二度と帰れない可能性もある。だから、先に安心して暮らせる場所を確保したいんだ」


 この世界は知らないことだらけ、と言うより知っていることが何もない状況。日本の常識や倫理観を期待するのは無理がある。何よりここは危険だ。幼子を攫って売り飛ばそうとする人間がいて、それを襲う危険な動物もいる。安全確保が最優先であろう。


「……開星さんは、帰る方法が本当に見付かると思います?」


 勇太が探るような視線を開星に向けた。ここで嘘や慰めを言っても仕方ないだろう。


「正直言って難しいと思う。仮に方法が分かったとしても僕たちには実現不可能かも知れない」

「そう、ですよね……。期待し過ぎちゃダメってことっすよね」

「うん。過度に期待して、もし不可能だった時が怖い、と僕は思ってる。一度絶望を味わったから」


 日向が離宮で引き離される前、「お母さんが死んじゃった」と言ったのを由依たち三人は聞いていた。だから開星が言う「絶望」が何を指すかは察した。


「こんな風に言うと軽く聞こえるかも知れないけど、見付かったらいいな、帰れたらいいな、くらいの気持ちでいようと思う。ただ、そんな不確かなことに娘の運命を委ねることは出来ない。だから、まずはこの世界で生きていくことを前提に考えて行動しなきゃならない」


 由依、勇太、佑は開星の言葉を噛み締めた。知らぬ間に異世界に来て、恐らく利用されかけて、そこから抜け出して、今ここにいる。日常と乖離した出来事がいっぺんに起きた。だからどこか気持ちが浮ついていたのは確かだ。


 そう。私たち、俺たちはここで生きていかなきゃならないんだ。この、何も知らない危険な世界で。


「とまぁ僕はこんな考えなんだけど、もちろん君たちに強制するつもりはない。その上で、君たちがどうしたいか聞いてもいいかい?」

「わ、私は開星さんとひなちゃんと一緒に行動したいです!」

「俺も! 俺も開星さんについて行きます!


 由依と勇太は即答だった。他に選択肢がないからだろう。


「俺は……いったんこの国の思惑に乗ろうと思う」


 佑の言葉に、由依と勇太は目を丸くした。


「ここで別れたら二度と会えないかもしれないんだぞ!?」

「九条くん、一人になっちゃうよ? 大丈夫なの?」


 二人が心配するのは当然だ。だから佑は自分の考えを正直に伝えた。


「俺の称号は『火を統べる者』『闇を統べる者』の二つ。スキルは初級の火魔法と闇魔法。最低限、この魔法を使いこなせるようになりたい。それにはたぶん、皇国の人間に教わるのが一番だと思う」


 開星はもちろん、由依も勇太も魔法を教えることは出来ない。由依は感覚で「ヒール」を使えたが、それを人に伝えるのは難しい。


「その後どうするかは皇国の出方を見て決める。お前たちを追い掛けることになったら、意地でも見つけ出すよ」


 ニッ、と佑は皮肉っぽい笑顔を見せた。魔法が使えるというのはアドバンテージだと思う。こいつらに頼ってもらえるくらいには、魔法を使えるようになっておきたい。


「佑の考えは分かった。そうだな、僕たちの軌跡を辿れるように、僕たちだけに通じる合言葉を決めておこう」


 四人で検討した結果、「K3Y」に落ち着いた。たすくは「ゆう」とも読める。由依、勇太、佑で3Y、それに開星のK。日向は敢えて入れなかった。


 精霊たちの住処で一晩過ごした翌朝、開星・日向・由依・勇太の四人は森をそのまま北へ、佑は一人で南に向かって来た道を戻ることになった。


「佑、無理だけはすんなよ」

「ああ」

「九条くん……魔法を習得したら、あの女に一発かましてね!」

「うん」


 同級生三人組はお互い別れを告げる。


「お兄ちゃん、ひなを助けに来てくれてありがとうございました」


 開星と手を繋いでいる日向は、佑に礼を告げた。


「お父さんと離れちゃダメだぞ?」

「うん!」


 佑は日向の頭を優しくポンポンと叩いた。


「開星さん」

「うん。勇太と由依ちゃんのことは任せて。佑はやりたいようにやるんだ。ただ忘れないで欲しい。僕たちはずっと仲間だから」

「……はいっ」


 開星の優しい言葉を耳にすると決心が鈍りそうになる。佑は一言「じゃあ行ってくる」と告げて南へ向かった。開星たちはその背中が見えなくなるまで見送る。


 自分が知る称号とスキルに関する知識は、昨夜のうちに佑に伝えた。彼は見た目より遥かに強かだ。だからきっと大丈夫。


「よし、僕たちも行こうか」

「「「はい!」」」


 たくさんの精霊たちが先導してくれて、森の中に一本の道が出来上がる。チリンチリン、と涼やかな音色を聞きながら、開星たち四人は北へ向かって歩き出した。

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