第9話 平民街の一幕
地図に従ってヴェルラン通りにやって来た開星たち四人。大通りを行き交う馬車、そしてたくさんの人々。この辺りは商店が軒を連ね、あちこちに露店もあって活気が窺える。ここは皇都平民街の中心部のようだった。
初めて見る異世界の街は一見中世ヨーロッパ風だが、様々な時代の建築様式が混ざっているように見えた。皇宮のような統一感はなく雑多な印象である。と言っても悪い印象はない。見える範囲では補修が必要な建物はないし、道も整備されて清潔だ。
そんな異世界の街並みをゆっくり眺める余裕は開星たちになかった。ここに到着してすぐに、黒っぽい制服を着た十人くらいの男たちと、貴族街の門兵と同じ制服の中年男性が目に入った。中年男性は蒼白な顔。その隣には、開星が追い掛けようとした若い男が立っていた。制服組は、商店や露店で聞き込みを行っているようだ。
(こりゃあ迂闊に動けないな)
彼らがまだここで聞き込みしているということは、日向の行方は掴めていないということだ。
別の場所を調べた方が良いのだろうか。開星が周りを見回しながらそんなことを考えていると、ふと一人の少年が目に入った。
(ん?)
日向より少し年上だと思うが、栄養状態が悪いのか酷く痩せこけている。脂ぎった髪はボサボサで埃塗れ、顔は薄汚れ、服もボロボロ。この辺りの雰囲気とそぐわない姿もそうだが、それよりも彼の挙動がおかしかった。黒服の集団を見て立ち止まり、次に門兵を見た時に動揺して踵を返したのだ。
「あの少年を追おう」
開星は近くに固まっていた由依たち三人に小声で伝えた。何故、と疑問を差し挟む者はいない。高校生である三人にとって、開星は異世界で唯一頼りになる大人だ。少なくとも今のところは。
開星たちは気付かれないよう少し間隔を開けて少年を追った。彼は後ろを気にする素振りを見せながら細い筋を左へと曲がる。
黒制服の男たちが追って来る気配はない。少年が曲がった筋に入ると、彼は角を右に曲がる所だった。四人は慌てて小走りになり、角の手前で速度を落とした。少年の背中が次は左へと消える。
「こっちに回ります!」
「頼んだ!」
勇太は先回りするつもりでそのまま真っ直ぐ走って行く。開星たち三人は少年の後をそのまま付いて行った。彼はその後も右へ左へと角を曲がるが、娘の行方を探る唯一の手掛かりだと思えば見失うわけにはいかなかった。
そして遂に少年が立ち止まる。彼の前には偽装が解けた勇太が立っていた。後ろを振り返った少年の顔が絶望に歪む。開星たち三人がいたからだ。
「ごめんよ、怖がらせるつもりはないんだ。もちろん傷つける気もない」
開星は出来るだけ優しい声音で少年に語り掛けた。彼の顔は強張っている。
「君に聞きたいことがあって。教えてくれたらきちんと謝礼を払うよ」
開星は右手の上に五枚の大銀貨を乗せ、それを少年が見えるように少し屈んだ。彼の目が銀貨に釘付けになる。大銀貨五枚と言えば、開星の見立てでは日本円で五十万円くらいの価値がある筈だ。
「ほ、ほんとかよ?」
「ああ、もちろん。あ、そうだ。先に少し渡しておこう」
そう言って左手を開くと、そこに三枚の銀貨が現れた。もちろん開星がアイテムボックス化しているバックパックから出現させたものだ。元はと言えば国民が納めた税金であろう。
開星は少年にゆっくり近づき、その手に銀貨三枚を握らせた。
少年は日向を違法奴隷商人の根城へ連れて行った張本人である。その時彼が受け取った報酬は大銅貨一枚。今開星が渡したのは、その三十倍の価値があった。ゴクリ、と少年の喉が鳴った。まだ話すらしていないのに銀貨三枚。男が知りたいことを教えることが出来たら大銀貨五枚。それだけあれば身なりを整えてまともな職に就けるかも知れない。
でも、そんな旨い話があるか?
少年は大いに警戒した。だが大銀貨の魅力には抗えなかった。
「き、聞きたいことって何だよ?」
「この子を探してる。君、知ってるよね?」
差し出された精密な姿絵を見て、少年は息を呑んだ。そして門兵と少女の会話を思い出す。あそこで待っていれば父親が迎えに来る。門兵は確かにそう言っていた。
「あんた……この子の父ちゃんか?」
「……そうだよ」
少年は高速で思考を巡らせた。本当のことを言ったら自分が衛兵に突き出されるかも知れない。そうだ、俺はただ見ていたことにすればいい。
「その子なら……連れて行かれる所を見た」
「どこへ行ったから分かるかい?」
「ああ」
「案内出来る?」
「……近くまでなら」
頼む、と言って、開星は大銀貨一枚を少年に握らせた。
「わ、分かった。付いて来い」
少年の案内で、四人は路地裏を歩いた。
「どんな男が娘を連れて行ったか覚えてるかい?」
「……頬に傷がある、柄の悪そうな奴」
「どんな目的で連れて行ったのかな?」
「多分……攫って売り飛ばすつもりだと思う」
少年の答えに開星は言葉を失う。思わず立ち止まってしまった。
「早く行こうぜ? まだ間に合うかも知れねぇし」
開星は背中に温かいものを感じる。いつの間にか由依がすぐ傍にいて、開星の背中に手を添えていた。
「開星さん、諦めちゃ駄目です。ひなちゃん、きっと待ってます」
「そうだね。ありがとう、由依さん」
何よりも大切な娘なのに。一瞬絶望で動けなくなりそうだった。この子が言う通り、日向は待っている筈だ。俺は娘を取り戻すためにこんな所まで来たんだ。諦めてたまるか。
「すまない。急ごう」
由依は悔しさで涙が溢れそうだった。あの時、ひなちゃんの手を離さなければ。一緒にいることをもっと強く主張しておけば。
勇太はプルシア皇女に怒りを滾らせていた。あの女が全部悪い。勝手に召喚して、勝手にひなちゃんを連れて行って。挙句の果てにこんな街中に放置するとは。
佑も同じように怒りを感じていたが、由依や勇太とは少し違っていた。絶対にこの報いを受けさせてやる。俺たちを召喚したことを心の底から後悔させてやる。
四人の胸の内など露知らず、少年はスタスタと先頭を歩く。既に大銀貨一枚と銀貨三枚を手に入れた。こんな大金を持つのは初めてだ。更に、もうすぐ大銀貨四枚が手に入る。そう思えば、背中に羽根が生えたかのように気持ちが浮き立った。
「ここだよ」
倉庫のような建物の前で足を止める。ここまで来たはいいがノープランだった。どうしたものか、開星は眉間に皺を寄せて考える。
「開星さん、何か武器になる物はありませんか?」
開星の思考を遮ったのは勇太だった。
「あるにはあるけど……勇太くん、どうするの?」
「取り敢えず見せてもらえませんか」
何かを堪えるかのような勇太の口調に、開星はアイテムボックスから長剣と短剣を出現させた。勇太は迷わず長剣を手に取り、倉庫の木戸に向き直る。
「勇太くん?」
「開星さん、説明は後でします」
それだけ言うと、勇太は剣で木戸を斬りつけた。斜めに線が入り、上側が倉庫の内側へと倒れる。残された下側を蹴り飛ばし、勇太は一人で中に飛び込んだ。
「「「ええっ!?」」」
開星、由依、佑は驚きのあまり固まってしまった。少年でさえその場で動けなくなる。
『誰だてめ――うぎゃっ!?』
倉庫の中から悲鳴が聞こえ、ドサッと倒れる音がした。そしてひょっこりと勇太が顔を出す。開星は思わず残った短剣を握って身構えたが、無事な勇太を見て力を抜いた。
「取り敢えず中に入りませんか?」
勇太から言われ、三人と少年はおずおずと倉庫に入った。中は薄暗いが、男が一人倒れているのは見える。その他には木箱が二つ、倒れた椅子が一つあるだけだった。
「こここ殺したの!?」
由依が叫ぶように尋ねる。
「まさか! 柄で殴っただけだよ!」
柄で殴っても、当たり所が悪ければ死ぬかもしれないぞ? 開星は倒れた男の横に屈んで首筋に指を当てた。良かった、生きてる。
「ここにひなちゃんがいないってことは、どこかへ連れて行かれたってことか。それをそいつに聞くんだな?」
「さすが佑! その通りだ」
そんな、スパイ映画みたいにうまく行くのか……? それにしても、さっきは見事に木戸を斬ってたな。
「勇太くん、剣を使えるんだね」
「あ、いえ。初めて握りました」
「「「えぇぇ……」」」
三人は揃って呆れた声を出す。少年すら、じっとりした目を勇太に向けていた。
「俺のスキルですよ。称号『不敵な者』、これはちょっと意味不明ですけど、スキルに『斬撃(弱)』っていうのがあって。あれくらいなら斬れるって分かったんです」
「いや、それにしたって中に大勢いたらどうするつもり?」
「実はもう一つ『危機察知(弱)』っていうスキルがあって、これで中は一人って分かったんですよね」
「そ、そうか……」
勇太くんは結構向こう見ずな性格なのかな?
「ひなちゃんを一刻も早く見つけないと。ですよね、開星さん!」
「そ、そうだね。勇太くん、ありがとう」
色々言いたいことはあるが、勇太の一見無謀な行動は日向と開星のためだった。それが分かったので、開星は言葉を呑み込んで礼だけを口にした。
「さて、この男はいつ目覚めるのかな……」
「あ、それなら私が出来るかもです」
開星の呟きに答えたのは由依だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます