第56話 一湊
「断絶」
ケルリア信教神殿が擁する聖兵八騎の一人、バフト・ベーリダスは
彼には何が起こったか分からなかっただろう。恐らく、痛みを感じる間もなかった筈だ。
ケルリア信教神殿に無条件で仕えろ。断るなら暴力で従わせる。それが無理なら処分する。
そんなことはとても受け入れることが出来なかった。ケルリア信教神殿には恩も義理もない。そんな要求に従える筈がない。
日向が。勇太が。由依ちゃんが。そんな理不尽な目に遭って良い筈がない。もちろん佑もだ。
自分勝手にこちらの世界へ呼び出し、自分勝手な都合を押し付ける。言うことを聞かなければ殺す。そんな理不尽がまかり通って良いとはどうしても思えなかった。
奴が先に攻撃して来なければ、もっと対話を試みたと思う。結果は同じだったかも知れないが、殺す以外の結末になった可能性もゼロではない。
……いや、色々と理由を付けるのは止そう。
『カイセー、あんたケガしてるわよ?』
「へ?」
『まったく、加護があるからって慢心しちゃダメなんだからね? ケガするし、死ぬこともあるんだから』
先程まで感じていた激情が収まってくると、徐々に痛みを感じ始めた。自分の体を見下ろすと、両腕に何本か線傷が走り、血が滲んでいる。結界を解除して瞬速で移動するまでにベーリダスの鋼糸が当たったのか。それとも怒りに我を忘れ、鋼糸に突っ込んだのか。
「ごめん、アドちゃん。それに、ありがとう」
精霊の加護がなければもっと酷い怪我を負っていたかも知れない。だからお礼を言った。
『べべべ別にあんたのためじゃないから! ヒナのためだからね!』
「それでもさ。ありがとう」
テレテレしているアドレイシアと一緒に、娘や仲間が待つ所に戻る。一度振り返って通りを眺めた。死体がいくつも転がっている。そのうちの一つは僕が殺したものだ。
辺りには生臭さと錆の匂いが漂っている。日本でこんな光景に出くわしたら嘔吐していただろう。それなのに、何故僕はこれほど平静でいられる?
こんなことに慣れたから? それとも平常心先輩が仕事してるから?
いずれにせよ、僕はそれをすんなりと受け入れている。同じ状況になったら何度でも同じように殺すだろう。
何もせず娘を危険に晒すより、大切な仲間が脅かされるより、その方がずっといい。
「お父さん!」
宿の裏に回ると、日向が僕の腰辺りに抱き着いてきた。
「開星さん、怪我を!?」
「あー、大した傷じゃないよ」
娘の頭を撫でながら由依ちゃんに答える。
「俺も一緒に行けば良かったっす」
「そうだなぁ。次こういう機会があったら勇太が居てくれれば心強い」
「うっす!」
「わ、私も!」
「もちろん由依ちゃんも」
勇太は何だか嬉しそうな顔をしている。
由依ちゃんが掛けてくれたヒールのおかげで傷は一瞬のうちに塞がった。パルが濡らしたタオルを用意してくれて、それで腕に付いた血を拭うと怪我は跡形もなくなった。
「みんな、僕はあの男を……殺したよ」
黙っておくのも違う気がしてそう告げる。腰に抱き着いた娘の背中がビクッと震え、腕に一層力が入った。
「お父さんは悪くないもん」
「……そう、かな?」
「絶対悪くないもん! ひな、聞いてたもん。あの人は悪い人だったもん!」
「私も聞いてました。話が通じるような人じゃなかった」
「カイセーさんがやらなかったら私がやってたのです!」
「そうですよ! 何で俺たちが神殿の言いなりにならなきゃなんねーんだって話っすよ!」
優しい子たちだ……。僕に負担を掛けないよう気を遣ってくれる。この子たちが味方してくれるなら他の誰が敵に回ってもいい。そんな風に思える。
「神様は僕に罰を与えないのかい?」
「何でじゃ? 神は人の営みに干渉せん。誰が誰を殺そうが自由じゃ」
それはそれで怖いんだけど。
「お主はこの子らが傷付けられるのを防ぎたかったんじゃろ?」
「うん、まぁ、そうだね」
「立派な理由じゃろう。ケルリアとかいう
にひひ、とマールが笑った。悠久の時を生きている筈なのに、無邪気で幼気な笑顔に見えた。
ひとまず脅威が去ったので、テッドさんたち3人は知人の家に身を寄せると言ってその場で別れた。
「僕たちも街を出ようか」
こんな所からは一刻も早くおさらばしたい。真夜中でも街の門を通れることは確認済みだ。宿には前金で支払ってるし、このまま消えても問題ないだろう。特に反対する意見もなかったので出発することにした。
パル以外の全員が荷台に乗ったことを指差し確認。ちなみにネコはずっと荷台で眠っていたようだ。
「僕も御者台に乗るよ」
娘を由依ちゃんに頼み、パルの隣に座った。皇国か神殿の残党がいないとも限らない。もし攻撃を受けたら僕の結界が役に立つ。パルが手綱を繰り、馬車が静かに動き出した。
「どっちに向かうです?」
首都ブーリデンを目指すなら北だが、この国……と言うかケルリア信教神殿がろくでもない所だと分かったので、わざわざ行く必要もない。ただ、どこに向かうにしろ佑にメッセージを残さなければならない。
このヴェリダス共和国の北、東、南にもそれぞれ別の国がある。
「行先が決まってないなら、北のウォーレア獣人国に行かないです?」
「ウォーレア獣人国……そこってパルの?」
「はいです。故郷の村がある国なのです」
「そうか……そうだね。それも良さそうだ」
北に向かっても首都を避けるルートがあるだろう。どこか適当な街のギルドに寄ってメッセージを佑に残せば良い。
「うん、ウォーレア獣人国に向かおうか」
「はいなのです!」
パルが明るい声で返事した。故郷に帰れるのが嬉しいのだろう。それにしても獣人国か……僕は違うが、いわゆるケモナーさんには夢の国ではなかろうか。
「パルみたいな可愛い子がたくさんいるのかな」
「う、浮気はダメなのですよ!?」
「え?」
「何でもないのです!」
パルが前を向いたまま固まってしまった。浮気も何も……そもそも相手がいないのだが。
首を傾げながらパルの言葉の意味を考えていると、馬車が急停車した。
「どうした!?」
「……」
パルの視線を追う。こんな真夜中なのに、馬車の正面に人が立っていた。フードを目深に被った人物。
「君は……」
その人物がフードを外し、こちらに向けて顔を晒した。月明かりでもはっきり分かる黒髪と日本人特有の顔立ち。
『この国を信用するな』
それは、昼間僕に警告を発した人物だった。
「あんた……いや、あなたに頼みがある!」
年の頃は20代だろうか……。その彼が、突然その場で土下座した。
「頼む。力を貸してくれ、ヤマダ・タロウさん!」
空が白み始めた頃。ベイトランの街から北に5時間ほど馬車で移動した。今は仮眠を取るために街道脇の広場で休んでいる。
「……改めて、名前を間違ってしまいすみませんでした」
「いや、僕がそう名乗ったんだから仕方ない。気にしなくていいよ、
バフト・ベーリダスと対話を試みたとき、咄嗟に口をついた偽名が「タロウ・ヤマダ」。我ながらセンスのない偽名である。彼に呼ばれて誰のことか分からずポカンとしてしまった。自分で名乗った偽名なのに「人違いかな?」と思った。
彼の名は
僕と同じ認識阻害系のスキルを持っているらしく、ベーリダスと戦った場所の近くに潜んでいた。そこで偽名も聞いていたというわけだ。
余談だが、同じ認識阻害系のスキルを持っている者同士だと効果が薄れると
「
「うん。じゃあ湊って呼ばせてもらうよ」
彼の頼み――それは、一緒に召喚された「
『俺は何とか逃げ出せたんですけど、雫は捕まって……何度も助けようとしたけど出来なくて』
雫さんはケルリア信教神殿の本部に監禁され、ずっと「
湊はこれまでにも雫さんの救出を試みたが、単独では不可能だった。仲間を作ろうとしたものの、味方が一人もいない異世界で、誰を信じれば良いか分からなかったと言う。
彼は2年近くもの間、たった一人で戦い続けてきたのだ。
右も左も分からない異世界で。ケルリア信教神殿の自分勝手な横暴のせいで。
この2年で湊は消耗し、17歳らしい溌溂さは失われていた。人を疑い、隠れ、雫さんを助けたいという焦りと、一人では出来ないという無力感に苛まれ、その顔に苦悩を刻んだ。最初に見た時は20代半ばくらいかと勘違いした程に。
湊の境遇と願いを聞いて、僕を含めた全員が彼の力になると決めた。つまり、当初の予定通りこの国の首都ブーリデンを目指す。
2時間ほど仮眠を取って出発。もちろん湊も一緒だ。順調にいけば、ブーリデンには約3日で着く予定だ。
左右に林が迫る見通しの悪い街道に入って30分程進んだ所で異変が起きた。
「カイセーさん! 前に10人くらい待ち伏せしてるのです!」
「開星さん……後ろ、15~6人くらい来てるっす!」
馬車が徐々に速度を落とし、やがて完全に止まる。僕たちは一本道の街道で前後から挟まれたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます