第40話 ネコ
ダークレオが飛び掛かる寸前、僕はギリギリで娘の前に立った。アドレイシアも僕の隣にいる。
「結界!」
ひなちゃんを背中に庇いながら、自分の前に板状の結界を張る。直後にダークレオがこっちに跳んできた。奴は結界に気付き、空中で体を捩じって四つ足で結界に着地し、また元の場所に戻った。低い唸り声を漏らしながら、金色の目が僕を睨んで離れない。上顎の犬歯はナイフのように鋭く伸び、手足の爪も長く鋭い。
今まで気付かなかったが、奴の足元にはもう1体、奴よりも一回り以上大きなダークレオが倒れていた。
「お父さん?」
後ろからひなちゃんに服の裾をクイクイ引っ張られた。
「どうした?」
ダークレオから目を離さないよう気を付けながら、なるべく声が厳しくならないよう返事をする。
「あの子、こわがってるだけなの」
「え?」
「お母さんが死にかけてて、自分もけがをして、どうしたらいいか分からなくなってるみたい」
「お母さん? ……え、ひなちゃん、あのダークレオのことが分かるの?」
「だーくれお?」
「その目の前にいるでっかいネコみたいな魔獣だよ」
「うん、分かるよ!」
それは……ひなちゃんのスキルか何かなのだろうか? 言葉が分かる? それとも気持ちが通じ合っている的な? 僕が色々考えている横で、アドレイシアが娘をじぃっと見つめていた。
『ねぇ、カイセー。あんた、ヒナの称号とスキルは確認した?』
「いや、してないんだ」
だってひなちゃんが戦闘に加わることなんてないからさ。確認を後回しにしたら忘れてたんだよね。僕が心の中で言い訳していると、アドレイシアが呆れたような顔をした。
『はぁー。ヒナの称号は「愛される者」、スキルは「精霊の愛し子」、「魔獣の愛し子」の2つ。あと2つあるけど隠されてるわ』
「……え? アドちゃん、称号やスキルが見えるの?」
『見えるわよ、精霊なんだから!』
「そ、そうなんだ。凄いね」
『フン! 他にも色々見えるわよ? 隠されてるのは見えないけど』
「他にも……? いや後にしよう。ひなちゃん、ダークレオはこっちを襲う気はないの?」
「そうだよ!」
「そっか」
じゃあ刺激しないようにゆっくり離れれば――。
「ひな、あの子とお母さんを治してあげたい」
「……ひなちゃん、治せるの?」
「たぶん」
僕はアドレイシアに目で尋ねた。
『出来ると思うわよ。あたしもどんどん回復してるもの』
う~ん、アドちゃんには後で色々聞かないとだな。
「危険はないの?」
『それは分かんないわよ。でも大丈夫。ヒナはあたしが守ってあげるから』
「えぇぇ……」
『何よ、あたしを信用できないの!?』
「あ、いや……娘を頼む」
日向は、もしかしたらダークレオの親子を自分と重ねているのかも知れない。3年前はまだ4歳で、妻が亡くなった時の記憶は曖昧な筈だ。だけど、自分の「お母さん」が死んでしまって悲しいという気持ちは今でも憶えているらしい。
あのダークレオの母親は、自分の子を守るために傷付いたのか。そして子の方も母親を守るために必死に戦ったのか……。本当の所は分からないが、娘に助ける力があって、助けてあげたいと思うのならそうさせてやりたい。
僕は結界を解除して、アドレイシアを伴ってダークレオに近付くひなちゃんをハラハラしながら見ていた。もし攻撃されそうになったら、直ぐにひなちゃんの前に回り込めるようスキルの準備をしておく。それでも全く安心は出来ない。
鼻面に皺を寄せ、こちらに牙を見せつけながら唸っていたダークレオの子供は、日向が近付くと少し後退った。怖がったというより戸惑っているようだ。娘はその場で膝を折り、右手を前に伸ばす。すると、ダークレオはゆっくり鼻を近付けて手の匂いを嗅いだ。その様子を見ていた僕は思わず前に走り出しそうになり――。
『【スキル:平常心】が発動しました』
また平常心先輩のお世話になった。お久しぶりです、先輩。
今やダークレオの顔は穏やかになり、ひなちゃんの手の匂いを一生懸命嗅いでいる。きっとフローラルの香りがしているに違いない。そしてペロリと手を舐めたと思ったら、ダークレオはその場に伏せて、上目遣いにひなちゃんを見ている。
伏せの姿勢になって、体長が2メートルを超えているのが分かった。その後ろで蹲っている母親の方は軽く3メートル以上ある。ひなちゃんには「でっかいネコ」と言ったが、「細身のトラ」と言った方が良かったかも知れない。ただし体毛は艶のある黒一色。今はあちこちの傷から血を流していて痛々しい。
ひなちゃんはダークレオの頭を優しく撫でた。
「痛かったね……がんばったね……」
そう呟きながら撫でていると、ダークレオの体が淡い金色の光に包まれた。ダークレオは気持ち良さそうに目を閉じて、喉をゴロゴロ鳴らしている。そして驚くべきことに、体のあちこちに開いた傷が逆再生のように治っていった。
1分程で傷が治ると、ひなちゃんは横倒しになった母親の方ににじり寄って、その頭に手を置いた。だが、母親の方はピクリとも動かず、光も発動しない。ひなちゃんは焦り、顔を真っ赤にして力を込めている。
「……うっ、うぐっ、ひっぐ……治って! 治ってよぉ!」
ひなちゃんは涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、一生懸命母親を治そうとした。でもいくら頑張ってもさっきの力が発揮されない。
僕は必死になった娘を見ていられなくなって、彼女の傍まで行って腰を下ろした。子供のダークレオは大人しく僕を通してくれた。
「うぐっ、ひぐぅ……」
ひなちゃんは時折袖で涙を拭いながら、何とか母親を治そうとしていた。
「ひなちゃん、もういいんだ」
「やだ、治せるもん!」
「ひなちゃんが治せるのは知ってる。でもね、こっちのお母さんはもう死んじゃったんだ」
僕がそう言うと、ひなちゃんはイヤイヤをするように首を振る。小さな手を一生懸命母親に翳し、奇跡を起こそうと抵抗した。僕は娘を包み込むように優しく抱いた。
「ひなちゃん、頑張ったね。子供の怪我はすっかり治ったよ。ひなちゃんが頑張ったことは、あの子も分かってるよ」
出来る限り優しい声でそう言うと、日向は僕に縋り付いて大泣きし始めた。僕は彼女の背中をトントンと優しく叩く。頑張ったね、偉かったね、と何度も繰り返し伝えた。
気が付くと、ダークレオの子供がすぐ傍に来ていた。娘を慰めるように体を擦り付けている。それに気付いた日向はダークレオに泣きながら謝った。
「ごめんっ、ごめんね! お母さんを助けられなくてごめんなさい!」
言うまでもなく、ダークレオの母親が死んでしまったのは日向のせいではない。でもそんなことを言っても慰めにはならないだろう。僕はひなちゃんを抱きしめ続け、ダークレオも体を擦り付け続けた。5分程して、娘はようやく泣き止んだ。
僕たちの所に、勇太、由依ちゃん、パルも集まってきた。馬車は少し離れたところに停め、馬の手綱を立ち木に結び付けている。
泣き疲れたひなちゃんを抱っこしながら、僕はダークレオの子供に尋ねた。
「お母さんのお墓を作ろうか?」
金色の瞳が僕をじぃっと見つめている。
『あんたの言ってること、この子分かるみたい。でもお墓が何か分からないみたいよ?』
アドレイシアが教えてくれた。僕の言葉が分かるって物凄く賢いな。
「お母さんを土に埋めるんだよ。このまま放置するのは嫌かなって思って」
僕がこう言うと、ダークレオは前足を上げて肉球で僕の肩にタッチした。
「そうしてって言ってる。お父さん、埋めてあげよ?」
「そうだね。勇太、手伝ってくれるかい?」
「はい」
「私も手伝います」
「私もやるのです」
みんながそう言った時、アドレイシアが宣言した。
『あたしに任せなさい、すぐに終わるから!』
すると街道の脇、草むらになっている所から植物の蔓が伸びてくる。それが母親を優しく包んで持ち上げた。蔓の根本部分の土があっという間に掘られていき、深さ3メートルほどの穴が生まれた。母親の亡骸がゆっくりとそこに安置され、土が被せられる。
ダークレオはその様子を瞬きもせずに見つめていた。僕たちは倒木を縄で括って十字架の形にし、お墓の土に立てた。ひなちゃんが近くに咲いている花を集めてそこに供える。
僕、ひなちゃん、勇太、由依ちゃんの4人は、そのお墓に向かって手を合わせた。パルとアドレイシアは目を閉じて俯いている。
君の子供は無事だよ。君が体を張って守ってくれたから。安心してお休み。
「さあ、お前は好きな所へ行っていいんだぞ?」
ダークレオに声を掛けると、彼(雄であることが判明した)は小首を傾げている。僕の言葉は分かっている筈だ。
「お父さん、この子、ついてきたいって」
「へ?」
『ヒナのことが気に入ったのよ!』
「へぇ?」
そりゃあ気に入るだろう。何と言っても僕の娘は天使だから。でも子供とは言えAランクの魔獣なんだよね? 冒険者が討伐するアレだよね?
「パル、連れて行くことって可能なの?」
「従魔登録すれば出来るのですよ!」
冒険者ギルドで従魔として登録すれば街などに入っても問題ないらしい。実際、テイマーというスキルを持つ冒険者が、強い魔物や魔獣を従魔にして活躍しているそうだ。
ということで、僕たちは国境近くの街でダークレオを従魔登録することに決めた。そうだ、連れて行くなら名前を決めないと。
「ひなちゃん、この子の名前、何にする?」
「うーん……ネコちゃん!」
「ぐるぅ!」
ダークレオ改めネコが嬉しそうな鳴き声を上げた。それで良いのかAランク?
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