第39話 タリアチュア

 勇太が御者台から、僕と由依ちゃんが荷台の後ろから飛び降りた。パルが急いで馬車を転回させようとしている。ひなちゃんはアドレイシアと一緒にクッションに埋もれてもらった。


「無理に戦わなくていいのです! タリアチュアは群れだとAランクのなのです!」


 魔獣……確か、魔法も使える強力な奴だよな。それもAランクだと? 僕たちの冒険者ランク、Eなんですけど?


「馬車を守ろう! なるべく刺激しないようにしよう!」

「「はい!」」


 僕たちは馬車が転回するのをジリジリと待ちながら、大蜘蛛の群れから目を離さない。こちらに向かって来ていると思ったのは間違いで、50メートルくらい離れた場所で何かを襲っているようだ。


 いつもなら由依ちゃんやパルが弓矢で先制攻撃するところだが、さすがにアレを全部相手にするのは不味い。由依ちゃんも弓ではなくウォーハンマーを手にしている。


 気付くな、気付くな、こっちに気付くなよ……。


 タリアチュアは10体くらいが集まって何かに攻撃を加えていた。よく見ると、真ん中で何か黒い生き物が戦っているようだ。あの動きからするとネコ科の動物だろうか? 地面にも黒い生き物が横たわっており、戦っている奴はそれを守ろうとしているかに見えた。


 頑張っているけれど多勢に無勢……。悪いが助けに入る程のお人好しじゃない。


 そんな風に思いながら、馬車の向きが完全に変わるのを今か今かと待っている時、ふと視線を感じて蜘蛛の方を見ると、1体がこちらを凝視していた。


「グギィイイイ!」


 途轍もなく耳障りな音、恐らく鳴き声だと思うが、それが聞こえたと同時に3体のタリアチュアがこちらに向かって来た。


 真っ黒な巨躯にはビッシリと固そうな毛が生えている。脚が物凄い速さで動いているので何本あるのか分からないが、10本以上ありそうだ。ルビー色の目も10個以上あり、全く感情が窺えず不気味である。


 はっきり言おう。気持ち悪い。


「こっちに寄って! 結界を使う!」

「「はい!」」


 勇太と由依ちゃんが僕の後ろに半分隠れるように身を寄せた。すると3体とも僕に狙いを定めたようで悍ましさも3倍にアップしたよ、ちくしょう。だが、バラけているより纏まってくれた方が狙いを定めやすい。


 そう。僕は結界で奴らの突進を止めるのではなく「切断」するつもりだ。


 奥行と幅を慎重に見定めてタイミングを計る。早く結界を張ると、たぶん結界の端に奴らがぶつかるだけで切断はされないだろう。だから奴らの体を横切るように結界を張らなければならない。


 その時、真ん中にいるタリアチュアの頭が紫色に光った気がした。


「うっ……」

「不味いのです、スリーブの魔法なのです!」


 スリープ……睡眠? ここで眠るわけにはいかない。僕は自分の太股に短剣を突き立てた。大蜘蛛との距離は5メートルもない。


「「開星さん!?」」

「け、結界」


――シャクッ


 果物を切ったような音がする。うぅ、フラフラする上に脚が痛い……。1メートルの眼前に3体のタリアチュアが停まっている。その体を青白い結界が横切っていた。足先や顎の牙がピクピクと痙攣し、少し経って動かなくなった。結界を解除すると、切断面から青黒い体液を流す大蜘蛛が出来上がってしまった。グロい。


「ふぅ、上手くいった……」

「開星さん、ヒール掛けます!」

「あ、ありがとう……」


 ちょっと待って、今ヒールしてもらったら眠ってしまうのでは? と心配したが、眠気よりも痛みが上回っていたようだ。ヒールのお陰で太腿の傷が治り、ついでにフラフラしていた頭もスッキリした。


「開星さん、無茶しちゃダメっすよ!?」

「ごめん」

「そうですよ、開星さん。自分を刺すなんてびっくりしましたよ」

「うん、ごめんね?」


 勇太と由依ちゃんから怒られた。うん、眠らないようにもっと良い方法があったかも知れない。咄嗟だったから思わず刺しちゃったんだよね。


『まったく、カイセーったら何してんのかしら!?』

「ああ、ほんとごめん……って誰!?」


 聞き慣れない声で怒られたのでキョロキョロしてしまった。


『あたしよ、アドレイシアよ!』

「え、アドちゃん?」

『もう、見てられないからあんたに加護を与えたわよ!』

「加護? えーと、ありがとう? その加護があるからアドちゃんの言葉が分かるの?」

『そうよ! ヒナを悲しませるわけにいかないもの。有難く思いなさい!』

「……はい、感謝します」


 アドちゃんの「加護」とやらが何なのかよく分からないけれど、取り敢えずお礼を言った。何にせよアドちゃんの言葉が分かるのは嬉しい。


「カイセーさん、まだなのです!」


 パルの声にハッとする。馬車は完全に逆向きになっていた。このまま逃げたいところだが、仲間の血の匂いに興奮したのか、更に5体がこっちに迫っていた。


「開星さん、ちょっと結界使うの待ってもらっていいっすか?」

「う、うん。どうするの?」

「試し斬りっす!」

「私も行きます!」

「え? え!?」


 止める暇もなく、勇太と由依ちゃんがタリアチュアに突っ込んで行く。


『あの子たちも、あんたにばっかり負担掛けてるって悩んでるのよ?』

「そう、なのか……それは知らなかった」

『それもこれも、あんたが酷い怪我ばっかりするからよ!?』

「スミマセン」


 なんかアドちゃんに滅茶苦茶怒られてる。怪我してるのは事実だし、それが原因で2人に心配と負担を掛けてたんなら全く反論出来ない。


 でも僕は唯一の大人だから、みんなを守るのは当然の義務ではないだろうか?


 ……違う。義務感で守っているわけじゃない。どうしても守りたいのだ。彼らが傷付くところなんて見たくないのだ。でも僕が弱いから、弱くて怪我ばっかりしてるから駄目なんだ。


『もう少し、あの子たちを信じてあげなさい』

「そうだね。ありがとう、アドちゃん」


 そう言いながら、僕は2人の戦いを見つめた。こちらから見て左の方で勇太、右で由依ちゃんが戦っている。


 勇太は「瞬歩」を駆使して敵を翻弄していた。2体同時に相手取り、一瞬で移動しながら交互に斬り付けている。2体は勇太の姿を追うことが出来ず、お互いの体をぶつけ合って苛立っているように見えた。


 由依ちゃんの方は圧巻だ。もう既に1体を倒していた。僕でも持ち上げるのが精一杯のウォーハンマーを細枝のように振り回している。由依ちゃんが教えてくれたところによれば、称号「砕く者」の効果で「適正武器所持の場合に筋力10倍」というスキルがあるらしい。


 元々弓道をやっている由依ちゃんは、細い見た目に反して同級生の女の子の中では割と筋力があったそうだ。それがウォーハンマーを使う時は10倍である。ただ腕の力が上がるだけではない。脚、背中、お腹、とにかく全身の筋力が10倍になるのだ。


 その結果、タリアチュアの猛攻を躱しつつ頭部を一撃で粉砕するという攻撃力を獲得している。


 ……て言うか、もう由依ちゃんだけで良くない? と思うくらい凄まじい。彼女がウォーハンマーとか、とにかく何かを「砕く」武器や道具を持っている時は絶対に怒らせてはいけない。そう肝に銘じよう。


 勇太も「瞬歩」があるからかなり良い線いってると思うんだけど、脚力も10倍になってる由依ちゃんの速さがヤバい。僕の「瞬速」が完全に霞むよね……。


 ちょっと遠い目をしている間に、由依ちゃんが3体、勇太が2体を倒していた。そして離れたところでは、ネコ科っぽい奴が残りの2体を倒したようだ。


 それは良いのだが、そのネコっぽい奴が姿勢を低くしてこっちを睨んでいる気がする。遠目にも全身傷だらけだが、ヤル気満々に見えるのだが……?


「あれは……ダークレオだと思うのです。ギルドの図鑑で見た気がするのです」

「ダークレオ? 強いの?」

「単体でAランクの魔獣なのです」


 いつの間にか隣に来ていたパルが囁き声で教えてくれた。単体でAランクってどれくらい強いんだろう。タリアチュアが意外と簡単に倒せたから、それほどでもないのかな?


「タリアチュア100体分くらいだと思うのです」


 100!? ヤバくない!?


「勇太、由依ちゃん、静かに、そぉーっと、こっちに来るんだ」


 ダークレオから目を離さないように、それでいて敵意がないことを示すように、ゆっくりとした動きで集まるよう指示する。最悪の場合、結界を張れば攻撃を防ぐくらいは出来るだろう。


 勇太と由依ちゃんがそろそろとこちらに来るのを冷や汗をかきながら見ていたら、視界の隅に何かがチラッと見えた。


 僕の頭は現実を認識するのを一瞬拒否した。それは……ひなちゃんが、トテトテとダークレオに近付く姿だったのだ。


「日向! 止まりなさい!」


 僕が厳しい声で叫ぶと、ひなちゃんは一瞬ビクリとしてその場で止まった。


「グルルルルゥ……」


 ダークレオは僕たちではなく、明らかにひなちゃんの方を見ていた。


「くそっ」


 僕はスキル「瞬速」で娘の方に駆けた。

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