第28話 戦の最前線(SIDE:佑)

 開星たちがミンダレスの街を出発した頃。佑とネフィルを乗せた馬車がベイディン領に到着した。ここからさらに半日ほど北に行った所が戦の最前線だ。


 佑は緊張を隠せないでいた。


 ここに到着するまで数日の時間があり、馬車で共に過ごしたにも関わらず、あれ以来ネフィルから詳しい説明はなかった。佑を皇国から逃がす、と言ったことを忘れてはいないと信じたい。


 皇帝の依頼を受けたフリをして大金貨30枚をせしめ、その実魔人族のために動いているというネフィル。見た目10歳の少女(ハーフエルフ)が自分を騙したと知ったら、皇帝はどんな反応をするだろうか。あの皇女の父親だ、烈火の如く怒り狂うに違いない。皇国の威信に賭けてネフィルを殺そうとするだろう。


 これから行くのは戦の最前線、つまり周りは皇国の兵士だらけの場所である。ネフィルが魔人族のスパイだとバレたら、皇帝を騙したことがバレたら……そう思うと背中を冷たい汗が流れる。


 それなのに、この見た目詐欺のハーフエルフと来たら、馬車の向かいの席でほとんどずっと眠っているのだ。起きている時間の方が短い。赤ん坊か、とツッコミたくなる。一体どれだけ図太い神経をしているのだろう。まぁ図太くなければ皇帝を騙すことなど出来ないだろうけれど。


「ん……」


 佑がそんなことを考えていると、ネフィルが目を覚ました。これだけ寝ても眠そうな目をしている。窓の外を見て、佑をちらりと見て……また寝た。


「ネフィルさん、まだ寝るんですか!?」


 佑は遂に我慢出来なくなり、少し大きな声を出した。


「ん? ……起きててもすることない」

「それなら、現場に着いたらどうするつもりなのか教えてください」

「ん…………ん、ん~」


 佑に説明しようとしたネフィルだが、途中で説明するのが面倒臭くなったようだ。実はこのやり取りは何度も行っていて、佑もダメもとで聞いてみただけだった。


 ところが、今回は話す気になったらしい。ネフィルが防音結界を張った。それまで聞こえていた雑音が一切しなくなり、馬車の中は静寂に包まれる。


「魔人族側にはすでに連絡済み。前線には、使役してる魔物や魔獣しか残ってない筈。着いたら大規模な攻撃魔法を使ったように見せかけて壁を作る。あたしとタスクは魔人族の領土に避難。おっけー?」

「お、オッケーです」

「……召喚された賢人はタスクだけ?」

「俺の他に3……いや、4人います」


 佑の言葉に、ネフィルは考え込む仕草を見せる。


「どうかしましたか?」

「ビードリヒテン王……魔人族の王は賢人保護に積極的。普人族の国は酷い所もあるから」


 普人族とは魔人族、獣人族、エルフ以外の人型種族。佑たちのような見た目の種族のことだ。


「賢人、保護?」

「ん。その4人はどこ?」

「分かりません。恐らく皇国はもう出たんじゃないかと思います」

「そう……タスクは追い掛ける?」

「そのつもりです」

「ん」


 何が「ん」なんだろう? ネフィルはそれ以上話そうとせず、防音結界を解いた。すると直ぐに護衛が乗る馬が近付いて、窓を開けるよう手振りで示された。


「間もなく到着するぞ!」

「分かりました!」


 親切心からなのか分からないが、兵士が教えてくれたので佑は返事をした。間もなくと言われてもネフィルの様子は変わらない。相変わらず緊張感のない今にも寝てしまいそうな目でボーッと窓の外を眺めている。


 やがて馬車が停まり、外から扉を開けられる。


「タスク、傍を離れないで」


 ネフィルが小さな声でそう告げ、佑は頷いて馬車を降りた。


 目の前、ほんの100メートル程先から鬱蒼とした森が始まっている。いや、森という言葉では不足かも知れない。左右、目が届く範囲にずっと森が続いて途切れる様子がなかった。こちら側の平原には、金属鎧を纏った兵士が部隊ごとに固まっているようだ。兵士も物凄い数がいる。


 森の手前には、拒馬きょばのような障害物が設置されており、それが目視出来る最前線を示していた。馬より魔物や魔獣の通行を邪魔する目的なのだろう。一つ一つがかなり大きい。X字に組んだ木材の先が尖っており、高さが3メートルはあった。拒馬の向こう側では大きなものが蠢いている。あれがネフィルの言った魔人族が使役する魔物や魔獣だろうか。


 佑はネフィルの小さな背中を追った。そのことについて兵士は何も言わない。具体的に何かしろという指示も無かったので、遠慮なくネフィルにくっついておくことにした。何度も傍を離れないようにネフィルから言われている。そうしなければならない理由があるのだろう。


 兵士の数は多いが、所々で散発的な戦闘が行われているだけで、総員が戦っているわけではなかった。そもそも兵士たちの顔色は良くない。士気が高いようには全く見えなかった。


 ネフィルはそんな兵士たちの姿を一切頓着せず、拒馬がずらりと横に並んだ手前までズンズン進んだ。背が低いくせに足が速い。


「『無慈悲なる氷雪よ、我が魔力を糧にこの一帯を凍てつかせ、視界を奪え。アイシクル・ヘビーフォグ』」


 ネフィルがどこからともなく取り出した杖を掲げて詠唱を紡ぎ、杖の後端でトンと地面を突いた。


 急激に気温が下がり吐く息が白くなる。地面からまるで生き物のように白い靄が噴出し、それが吹雪のような勢いで平原を吹き荒れ始めた。自分の手も見えない程だ。


「タスク、いる?」

「はい、後ろにいます!」

「ん。裾を掴んで」

「は、はいぃ!」


 ネフィルはそのまま拒馬の隙間を通り森へと踏み入る。ネフィルの服の裾を離さないように必死の佑も後に続く。


「ここでいい。『強固なる氷壁よ、我が魔力を糧に聳え立ち敵を阻め。アイシクル・ウォール』」


 ネフィルがポスッ、と気の抜ける音で杖を下草の生えた地面に打ち付けた。その音とは対照的にズゴゴゴゴと地響きが轟いて、瞬く間に巨大な氷の壁が出現していた。森の梢より遥かに高い。20メートルは高さがあるだろう。それが左右にずっと続いている。


「凄い……」

「フフン。このくらいよゆう」


 本当は魔力切れギリギリだった。佑の前で少し見栄を張ったネフィルである。


「どっちに行くんですか?」

「ん」

「……え?」


 ネフィルが両手を広げている。え、ハグしろってこと? 何で今?


「疲れたからおんぶして」

「はい?」

「おんぶ」


 ハグじゃなくておんぶを求められていた。いや、どっちにしろ何でだよ。あ、疲れたからか。


「俺、あんま体力ないですよ?」

「早く移動するべき」


 じゃあ自分で歩けよ、と思うが言い返せない佑。仕方なくネフィルの前で背中を向けて膝を折った。覆い被さってくるネフィルを背負って歩き出す。彼女は驚くほど軽かった。こんなに軽くて小さな子があんな大魔法を放つなんて……本当に凄い。


「ネフィルさん、こっちで良いんですね?」

「ん。師匠って呼んでもいい」

「……え?」

「タスクに魔法教える。あたし、師匠」

「そうですね……じゃあ行きますよ、師匠」

「ん!」


 心なしか嬉しそうな「ん!」が後ろから聞こえ、佑は笑いを堪えながら森の奥へと向かった。





「ぜぇ、ぜぇ……」


 森を歩くこと3時間。いくら軽いとは言え、ずっとネフィルをおんぶして、慣れない森を歩くのはキツい。それでも5~6キロは進んだのではないだろうか?


「タスク、もう少し」

「はいはい!」


 1時間前から「もう少し」と言われている。3時間も経てば疲れも癒えただろうに、ネフィルが背中から降りる気配はない。理不尽だと思いつつも、ここまで来たら彼女に従うしかない佑である。


「ほら見えた」


 背中からほっそりした腕を真っ直ぐ伸ばし、ネフィルが指差す方向に顔を向けると、森が開けた場所に家が集まった集落が見えた。


「や、やっと着いた……」

「今日はあそこで休む。連絡員が来てるはず」

「師匠、そろそろ降りません?」

「…………」


 あー、分かりましたよ! あそこまで負ぶって行けばいいんでしょ!


 最後の力を振り絞り集落の入口に辿り着いた佑は、その場にへたり込んだ。


「も、もう、動けないです……」

「ん、よくがんばった」


 簡素な木の柵で囲まれたそこは、門番が立っている。魔人族と聞いていたから、佑はどれほど禍々しい姿なのかと思っていた。だが、そこに居た男は肌が少し浅黒いが、皇都で見かけた人々とそれほど変わっているように見えなかった。


「ネフィル殿、お待ちしておりました」

「ん」

「こちらの普人族は?」

「これはタスク。あたしの弟子で、賢人」

「なんと! 賢人様でいらっしゃいましたか。おい、賢人様だ! 何人か肩をお貸ししろ!」


 彼が集落の中に声を掛けると、さらに4人の男性が現れた。やはり特別違和感のある容姿ではない。言うなれば南米辺りの顔つきだろうか。その彼らが佑を助け起こし、肩を貸して中に通してくれた。


「す、すみません……」

「お気になさらず。ようこそお越しくださいました」


 こんなにヘロヘロなのはそのちびっ子のせいなんですよ……。愚痴を呑み込み、ネフィルと門番の男性の後を付いて行く。そして通されたのは、集落で一番大きな家だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る