第五章

第51話 如月勇太

 ヴェリダス共和国に無事入国を果たした開星たち一行は、国の中央からやや北部にある首都ブーリデンを目指している。現在は国境を超えて東へ向かっており、適当な場所で進路を北に向ける予定だ。


 勇太は御者台に座って手綱を握っていた。隣にはパルが座っているが、これまで練習した甲斐があって、ほぼ一人で操車出来るようになっていた。


 夏の日差しを遮るように、御者台の上には折り畳み式の幌が張り出している。これはパルが仲間になった時、開星が思い付きで職人に作らせたもの。雨も凌げるし、今までなかったのが不思議なくらいだ。気温は高いが、日本のように湿度が高くないので風が吹くと涼しく感じる。


 御者台から見えるのは遠くまで続く草原と所々生えている木々。野生の動物が街道から離れた所で草を食んでいる。こういう長閑な景色の中、自分が馬車を操ることになるとは、1か月前には想像すらしていなかった。





 小学生の頃からサッカーに夢中になった。中学ではサッカー部に入り、今年入学した高校でも当然のようにサッカー部に入部した。


 自分は取り立てて才能があるわけではない。ただ人より少し上手い程度。それでもサッカーが好きだから続けている。将来プロになろうとか、大それた夢は持っていなかった。趣味として大人になっても続けたいとは思っていたけれど。


 家庭はごく普通だったと思う。小学生のとき、同じクラスになった由依が夜、家に来るようになったのが少し特殊なくらいだ。公務員の父、母は専業主婦、今年大学に入った姉がいる。家族の仲は悪くもなく、至って普通。特に大きな問題もなかった。


 自分が突然行方不明になったことが、如月家ではこれまでで最も大きな異変だろう。心配を掛けて申し訳ないと思っている。


 だが今はどうすることも出来ない。自分の無事を伝える術がないのだ。


 こちらの世界に来て間を置かず、開星と出会えたことに勇太は感謝していた。自分と佑、由依だけだったら途方に暮れていただろう。佑のように異世界ということだけで高揚出来ないし、由依のように上手く切り替えも出来ない。


 生来、勇太は臆病な性格をしていたのだ。人並み以上に出来るのはサッカーくらいで、それ以外のスポーツや勉強は人並みかそれ以下。激しい劣等感に苛まれることはなかったものの、自信の無さは常に感じていた。それを覆い隠すために、学校では明るく社交的なキャラを演じていたのだ。


 そんな勇太だから、この異世界で生物と戦うことに初めは恐怖を感じた。それはきっと開星も同じだったと思うが、彼にはどうしても守りたいものがあった。言うまでもなく娘の日向である。


 だから、開星は自分が傷付くことを恐れず立ち向かった。娘や仲間を守ることを第一に考え、自分のことは常に後回しだ。それが勇太たち周囲をハラハラさせる。


 そんな開星の姿に、勇太は自分を奮い立たせた。戦う勇気を持てた。そして一緒に戦ううちに、開星の役に立ちたい、開星ばかりに負担を掛けたくないと強く思うようになった。

 そして遂に、開星は勇太を守るだけの存在ではなく、頼れる仲間と認識したのである。それは由依にも同じことが言えた。


 幼馴染の由依が、開星に想いを寄せていることにはとっくに気付いている。勇太も由依のことは好きだが、それは家族や兄妹のような感覚だから、由依の想いが成就すればいいなと思っているが口には出さない。余計なことを言えば由依に怒られそうだからである。


 とにかく、開星や他の仲間たちと旅をして自分は変わった。何より、戦いに自信が持てるようになった。自分の強さがこの世界基準でどの辺りに位置しているのか不明だが、少なくとも初めて遭遇した狼の魔物――ハウンドウルフに手こずるようなことはもうないと断言出来る。


 そして魔物や魔獣と戦えば戦うほど、生き物を殺す忌避感が薄れるのを感じた。それは単なる慣れなのか、心が麻痺しているのか、それとも元々そういう資質があったのかは分からない。ただこの世界に於いては悪いことではない、と勇太は考えていた。


 それにしても、普通の高校一年生だった自分が僅か1か月でこんな風になるとは……。





「はうっ!?」

「ユータ、ボーっとしてちゃダメなのです」

「ご、ごめん」


 物思いに耽る勇太の脇腹を、パルがつついた。


「何もないと集中するのが難しいのです。でも警戒しないと危ないのです」

「だよね……ごめん、色々考えてた」


 パルメラも勇太たちが別の世界から召喚されたことを知っている。元の世界には家族や大切な人がいて、やるべきことややりたいことがあって、自分の居場所があって、それらを突然奪われたことを知っていた。


「……寂しいのです?」

「え? あー、どうだろう……寂しいって言うより、懐かしいって感じ? まだそんなに経ってないけど」

「懐かしい、ですか」

「うん。みんなといると楽しいから」

「それなら良かったのです」

「パルにも感謝――おっと、何かこっちに向かって来るぞ!」


 勇太たちから見て左手――北の方角で土煙が上がり、それがこちらへ近付いていた。


「ビッグホーンブルなのです! あれは美味しいのです!!」

「なに!?」


 パルメラの目がキュピーンと光った気がする。

 彼女は荷台にいる開星たちにも声を掛けた。勇太は馬を操って馬車を停める。


「パル、由依ちゃん! 弓を試してみて!」

「「はい!」なのです!」


 御者台で立ち上がったパルと、荷台から地面に降り立った由依が美味しい肉ビッグホーンブルに向けて一斉に矢を放った。狙い違わず矢が突き刺さるものの、突進の勢いは衰えない。それに構わず2人は連続で矢を放つ。ビッグホーンブルの背中には十数本の矢が突き立った。


「よし、直接倒そう!」


 そう言って開星が走り出す。馬車の傍にいる日向が両手を胸の前で祈るように組み、父の背中を見つめている。その隣にはマールプンテとアドレイシア。日向を守るように、ダークレオのネコが前に陣取っていた。

 由依も弓を置き、ウォーハンマー片手に走り出す。重い武器を持っているとは思えないほど軽やかな身のこなし。直ぐに開星と並んで走り始めた。


 勇太はパルと交代して御者台から飛び降り、その2人を追って走り始めた。


「あ……あれ?」


 10メートルも行かないうちに、勇太は脚に力が入らないことに気付く。離れた場所で開星が結界でビッグホーンブルの突進を止めているのが見えた。自分も早く追いついて手伝わないと……。


 視界が回る。足がもつれてまともに歩けない。声を出そうにも腹に力が入らなかった。勇太はそのまま前のめりに倒れる。草の濃厚な匂いが鼻をついた。


「「勇太!?」」

「ユータ!」

「ゆうたお兄ちゃん!」


 全員が慌てて勇太に駆け寄った。





*****





「どう?」

「熱は少し下がったみたいです。まだ眠っています」

「そうか……」


 草原でビッグホーンブルを倒そうとした時、勇太が突然倒れた。それに気付いた僕たちは獲物のことは放り出した。美味しい肉はまた今度だ。


 それよりも勇太の容態が深刻だった。


『……ヒュドラの毒ね』

「アドちゃん、解毒出来たりしない?」

『あたしはそういう精霊じゃないのよ……』

「そうだよね、ごめん」


 サルラントでヒュドラを倒した時、勇太の腕にその鱗が掠った。外傷は由依ちゃんの魔法で直ぐに治したのだが、どうやらその時に毒を受けたらしい。不幸中の幸いで受けた毒は微量のようだが、そのせいで今まで気付かなかったとも言える。


 パルが毒消し薬を持っていたのでそれを飲ませ、由依ちゃんがヒールを掛けている。しかしヒュドラの毒は特殊で、パルの毒消し草では完全に解毒出来ない。この場合、ヒールは気休めにしかならないらしく、どこかできちんと解毒する必要があった。


「儂に力があれば……」

「マールは悪くないよ。気にするな」

「お父さん……ゆうたお兄ちゃん、元気になる?」

「もちろん。街に着いたらお薬を買って飲ませるから。そしたら元気になるよ」


 由依ちゃんの魔法があることで油断していた僕の責任だ。こういう事態を想定しておくのが大人である僕の役割なのに。

 苦しそうに歪んだ勇太の顔を見る度、心の中で謝る。謝って済むような問題ではないが、そうせずにいられなかった。


「パル、一番近い街までどれくらい?」

「あと2時間なのです」


 御者台のパルも焦っていて、いつもより馬車を飛ばしている。馬たちには申し訳ないが今だけは頑張って欲しい。


 由依ちゃんは勇太の横に座り、度々汗を拭いてあげている。自分にも何か出来ることはないかと考えるが思い付かない。焦りばかりが募る。


「開星さん! 進路上にオークです!」


 すぐさま御者台に移動する。100メートルほど先、街道上にオーク――2足歩行する豚頭の魔物――4体がいた。身長3メートル近く、体重は300キロ以上ある魔物で、食用になるらしいのだが遠慮したい見た目である。


「邪魔すんじゃねぇ!!」


 僕は馬たちの前に結界を張る。結界は僕と共に移動することが分かっていた。二枚の板を縦に張り合わせたような形状にして、街道の真ん中を結界の頂点にする。馬車がスピードを上げると、オークたちがこちらに気付いて走り出した。構わず突っ込む。


「「「「ブゴォ!?」」」」


 結界でオークたちを20メートルくらい弾き飛ばした。止めを刺す時間も惜しいので、そのまま突っ走る。


 オークたちは走り去る僕たちの馬車を呆然と見送り、追ってくるようなことはなかった。

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