第63話 閑話:蠢くもの

 ケルリア信教神殿本部、最奥に近い広間。真っ白に磨き上げられた石造りの広間だが、明かり取りの窓がなく、天井に埋め込まれた魔道具の灯りだけが室内を青白く染め上げている。


 一段高くなった場所、ここが王城の謁見の間なら玉座がある所には豪奢な椅子が置かれ、一人の男が座っている。その前には、横並びで6人が跪いていた。

 6人は胸の部分だけ赤い布を当てた白い法衣を纏っている。男が4人、女が2人。彼らは残された聖兵八騎であった。


 そして、玉座のような椅子から男が立ち上がる。男は黒い長袖シャツと長ズボン、飾り気が全くない服装。長く伸ばした黒髪は腰近くまである。瘦せ型で非常に背が高い。そして、仄かな光を放つ紫色の目が特徴的だった。その男が、何の感情も浮かばない顔で跪く者たちを見下ろす。


「2人死んだか……聖兵八騎の有り様も見直すべきかね」


 表情と同じく、その言葉にも感情は窺えない。


「畏れながら、ダーマス様」


 跪く6人の真ん中辺りにいる男が黒服の男に呼び掛ける。


「ん? どうかしたかい、シディアス?」

「ブーリダスとランダーは八騎の末席。彼らの尻拭いは私が直接」


 ダーマスと呼ばれた黒服の男は、手をひらひらさせてシディアスの言葉を遮った。

 鋼糸使いストリングスのブーリダス、土人形使いゴーレムマスターのランダー。2人は賢人の捕縛に赴き殺された。


「別に君たちを責めているわけじゃない。もちろん死んだ2人のことも。今日ここに来たのは別の件だ」


 ダーマスの平坦な声が広間に響く。


「マールプンテ神の封印が解けた。我々は再封印に向けて動く。しばらくの間、こっちは任せる」


 ヒュドラとサルラントの街に迫った時、マールプンテ様の神力しんりょくは観測出来なかった。恐らく封印を解き、ダンジョンから脱出するために神力を使い果たしたのだろう。これについては、既にケールリアン様に報告済みだ。


 神力のない神など只人同然。ケールリアン様はもとより、我々にとっても全く脅威ではない。

 ただ一つの懸念は、マールプンテ様がデュルリテ様を見つけ出すこと。万が一、デュルリテ様の封印をマールプンテ様が解いた場合、非常に面倒なことになると予測できる。


 何もなければ、デュルリテ様の封印はあと1000年以上解けない筈。それだけあれば、ケールリアン様が神化して神界へ赴くのも不可能ではない。だから、僅かな懸念を払拭するために、マールプンテ様を再封印しなければならないのだ。


 それは我々眷属の使命である。少なくとも、ケールリアン様はそう考えている。


 そう言えば、あのヒュドラの首を何らかの方法で切り落とした冒険者のこともついでに報告したが、ケールリアン様は殆ど興味を示さなかった。


「捕縛に失敗した賢人についても君たちに任せる。殺すなり、生かして活用するなり、好きにしていい」

「御意のとおりに」


 ダーマスはそれだけ言うと、挨拶も無しに広間に一つしかない扉から出て行った。聖兵八騎の6人は、ダーマスの気配が完全に消えるまで跪いたまま微動だにしなかった。たっぷり5分ほど経ってから、各々がゆっくりと顔を上げる。


 聖兵八騎の第一席、シディアス・バークレイは冷や汗で全身がびっしょり濡れているのに今更気付いた。


 完全実力主義の聖兵八騎で、14年に渡って第一席の座にいるシディアスは、その特殊なスキルによって負け知らずの強者であった。ケルリア信教神殿の命により幾度となく戦いに身を投じ、時には共和国から請われて他国の軍と戦い、魔物や魔獣を退けてきた。

 そのシディアスをして、上位神デュルリテの眷属であるダーマスには勝てるイメージが全く持てなかった。


 神の眷属の能力は、全ての人型種族の力を軽く凌駕する。それは正に「神の領域」。


 ダーマスの能力のうち、知られているものは「同化」と「変身」である。

同化は、力で屈服させた魔獣や魔物と同化出来る能力。同化している間、対象を意のままに操れる上、その間に受けたダメージは対象のみが受け持つ。

 変身は、同化したことのある魔獣や魔物に変身する能力。体の一部だけ変身することも可能。変身中のダメージはダーマスに及ぶ。


 シディアスは、一度だけダーマスが変身して戦う所を見たことがある。上半身をワイバーンに、下半身を大蛇の魔獣であるキングバイパーに変え、口からは火球を吐き、尾の棘には猛毒が仕込まれていた。それで数百の魔物の群れを蹂躙した。それも、ダーマス本人にとっては遊び半分で、である。


 ダーマスがその気になれば、シディアスたち6人を一瞬で屠ることが出来るだろう。仮にそうなっても顔色一つ変わらないに違いない。

 何を考えているのか分からない絶対的強者。それがダーマスという存在である。その存在が何の前触れもなくこの神殿本部を訪れ、シディアスたちを招集したのだから、冷や汗も止まらないというものだった。


 シディアス以外の5人も似たような心境だったようで、青白かった顔にようやく血の気が戻ってきたところだ。


 赤銅色の髪をした2メートルを超える筋肉の塊――ダルク・バベールが口を開く。


「シディアス、結局ダーマス様は何をされにいらっしゃったんだ?」


 他にやることが出来たから、その間はここを任せる。端的にまとめれば、ダーマスはそれだけを言って去った。だが、神の眷属たる者が、手紙で済むようなことのために態々足を運んだとは思えない。


「あれは……我々に警告なさったんだと思う」


 末席とは言え、聖兵八騎に名を連ねる者が2人、立て続けに倒された。

 聖兵八騎とは、ケルリア信教神殿における武の象徴である。ここヴェリダス共和国では、人民から選出された議会はお飾りで、実質信教神殿が国の中枢を握っていることは国民なら誰しも知っている。

 ヴェリダス共和国の政治・経済・軍事力はケルリア信教神殿に依存していると言い換えても良い。


 その一角である軍事力を象徴する聖兵八騎が簡単に斃されたとなれば……他国はもちろん、国内の反発勢力に付け入る隙を与えかねない。


 ダーマスの来訪目的は、シディアスたちに対する警告と戒めであろう。手に負えないなら聖兵八騎など不要ではないか? そんな風に言われている気がした。


「今まで以上に気を引き締めねばなるまい。聖兵八騎の名を汚すことのないように、な」


 シディアスはダルクと他の4人を見回しながら、己に言い聞かせるように言葉を吐き出したのだった。





*****





「ケルリア信教神殿、か……」


 ラグレシア大陸北東。海に突き出した半島の先端部付近に、城がある。外壁には光を反射しない黒泥こくでい石が使われ、その異様な雰囲気はお伽噺に出てくる魔王城のようであった。


 年中雪に閉ざされた極寒の地であるが、寒冷な気候に適応した超大型の魔物や魔獣が生息する。ただし数はそれほど多くはない。

 また海にも凶悪な生物が生息している。それらは陸地にいるものよりも巨大なため、十分な水深のない沿岸部でお目にかかることはまずない。


 およそ人が住むには適さない場所に城を構えているのは、偏に城の主の趣味であった。


 過酷な環境に身を置いて己を鍛える……そんな趣味ではない。

 ただ単に、楽しみで狩れる強い生物が近くにいる環境が気に入っているだけだった。城の主は転移である程度自由に移動できるものの、その配下や主の世話をする者たちにとってはたまったものではない。


「いかがいたしますか、ケールリアン様」


 濃い紫色の髪を長く伸ばした女が、玉座に座る若い男に向かって尋ねた。


「何もしなくていい、マイゼン。些事に興味はない」

「仰せのままに」


 マイゼンと呼ばれた紫髪の女が深く首を垂れる。ケールリアンは先程からずっと動かず、玉座に座ったまま雪の降りしきる窓の外を見ていた。

 いや、その目は景色を見ているわけではなかった。実の所、何も見ていなかった。


 ケールリアンは生まれながらの戦闘狂である。およそ1400年前、上位神デュルリテにその働きを認められ、眷属として力を授けられた。

 デュルリテ神の対抗勢力としてマールプンテ神を封印するため、かの神の遣いと戦ったのが1200年前。眷属12人のうち5人を失いながらマールプンテ神を封印した。封印と同時に神の遣いは神界に強制送還された。


 その戦い以降、ケールリアンはたがが外れたように同等の楽しみを求めて強大な魔獣を狩り始めた。その中には数千年前から生きる古代龍、エンシェントドラゴンもいた。

 極限の戦いの最中得られる興奮、高揚、刺激……ケールリアンはそれらの虜になったように見えた。


 強大な魔獣をほぼ狩り尽くし、ケールリアンは人型種族をようになった。国を攻め滅ぼしたことも数回ある。


 そのような行為を見かねて、遂にデュルリテ神がケールリアンから眷属の能力を取り上げようとしたが、逆にデュルリテ神が封印されることになった。その戦いが今から500年程前である。その時の戦いにより、7人残っていた眷属はケールリアンを含めて4人にまで減った。また、ケールリアンを恐れ崇める普人族が「ケルリア信教」なるものを興したのもその頃であった。


 ケルリア信教は形を変え、現在はケルリア信教神殿となり、ヴェリダス共和国を実質牛耳っている。それについてケールリアンは特に思うところはなかった。矮小な普人族が金や権力を欲しがるのはよく理解していたからだ。


 ケールリアンが信教神殿に課した責務はたった一つ。


「強力なスキルを持つ召喚者を囲い、より強くなるよう育成せよ」


 地上で誰よりも強くなってしまったケールリアンは飽いていた。歯応えのある相手と戦うこと、それだけが彼の楽しみなのだ。自分の名を冠した宗教を放任する代わりに、戦う相手を用意させる。そのくらいは役に立て、という気持ちであった。


 ケールリアンの言葉は時と共に歪められ、現在では賢人をケルリア信教神殿のために利用する都合の良いに成り下がった。

 それでも彼はそれを咎めはしない。この500年、強いスキルを持つ賢人と何度か戦ってみたものの、大して楽しめなかったからだ。だからケルリア信教神殿そのものに興味を失った。


「ペディカイア……あのような強者と、また戦いたいものだ……」


 ケールリアンはマールプンテの遣いの名を口にした。その長い生涯で最も死に近付いた瞬間、それがペディカイアと一戦交えた時だった。

 またあの時の興奮を味わいたい。ペディカイアと戦い、別の神の遣いと戦う。何度も、何度も。そのためには「神界」に行かねばならない。神界に行くには自らが神となる他ないのだ。


 上位神であるデュルリテとマールプンテ、二柱の不在が長引けば、ケールリアンが神化する機会は十二分にある。だからこそ、その二柱は封印されていなければならない。


「自ら封印を解くなど愚かなことを……マールプンテ、もっと苦しみたいのか」


 吹雪の様相を呈している窓の外を眺めながら、ケールリアンは呟くのだった。




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異世界召喚に巻き込まれたら、お父さんが探しに来た。 五月 和月 @satsuki_watsuki

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