第5話 初めての会話(市村亜衣 side)

 私、市村亜衣は部活を終えて自転車で帰っていた。


 今日もなかなかシュートが入らない。簡単なシュートをたくさん外してしまった。でも、そんな私にチームメイトは厳しいことは言わない。私に気を使ってくれているのだ。スランプだと分かってくれて、それを抜け出せるように見守ってくれている。


 キャプテンの町田怜香は私に「焦らなくていいから」と声を掛けてくれる。だけどそれが私にはプレッシャーになっていた。焦らなくていい、そう思えば思うほどプレッシャーになってくる。


 監督は私に技術的な指導ばかりだ。どれも分かっていることばかり。でも、いざとなると体がそう動いてくれない。


「はぁ……」


 私は自転車を漕ぎながら堤防を進む。すると、今日も一台の自転車が止まっていた。昨日、この自転車を見かけたとき、その下の方を見ると階段に座っている人が居た。少し暗くなった時間帯だしよく見えなかったが、熊谷君に似ていた。


 今日も同じ場所に誰か居る。あれは熊谷君だったのだろうか。私は確かめようと速度を落としながら近づく。


「熊谷君?」


 思わず呼びかけてしまう。


「市村か」


 その人物は立ち上がって答えてくれた。間違いない。


「……やっぱり熊谷君だったんだ。何してるの?」


「俺はバイトの帰り。ちょっとコーヒー飲んでた」


 甘い缶コーヒーを私に見せる。

 そうか、バイトか。飲食店だろうか。場所が分かれば遊びに行けるかも。私は聞いてみた。


「へぇー、バイトしてるんだ。どこで?」


「ソフト会社。パソコン部だからね。なかなか勉強になるよ」


 思ってもみない場所だった。熊谷君はもう未来の仕事に繋がるような場所でバイトしてるんだ。


「バイトで勉強か……偉いね」


「偉くなんて無いよ。上手くいかなくて、ちょっとへこんでたんだ」


「そうなんだ……それで、川を眺めてたの?」


「まあね。昔から川を見ると癒やされるって言うか、落ち着くって言うか……」


「ふーん……」


 私は川を見た。今まで川をそんな風に見たことはなかった。でも確かに落ち着くのかもしれない。川の流れは不規則で、ずっと見ていられる。そんなことを思っていると熊谷君が私に聞いてきた。


「市村はサッカー部だよな?」


「うん、そうだよ。部活の帰り。そういえば、優子ちゃんは妹だったよね。サッカー続けてる?」


 私と熊谷君の数少ない接点、優子ちゃんについて聞いてみる。


「ああ、続けてるぞ。来年はまた市村の後輩になるかもしれないな」


「そうなんだ、楽しみにしてるって伝えといて」


「わかった」


 優子ちゃんについて話し終わると、熊谷君と何も会話することがなくなってしまった。少し気まずくなって私は言った。


「じゃあ、行くから」


「おう、またな!」


「うん!」


 私は自転車を漕いだ。熊谷君と会話したことで、何もないと思っていた夏休みが急に色づいてきた感じがした。明日もこの堤防に来てみよう。

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