第8話 お礼(市村亜衣 side)
金曜日。私、市村亜衣は今日も部活だ。でも、何か昨日までとは違った感覚があった。憑き物が落ちたような、スッキリした気持ちだ。
練習中、自分がすごく集中できていることに気がつく。ただ無心でボールを追い、シュートを蹴る。昨日までの不調が嘘のように次々とゴールが決まった。
監督が私に言う。
「市村、次の試合も先発で頼むぞ」
「はい!」
わざわざこう言うってことは、外される可能性もあったということだ。私は監督の信頼を何とか取り戻すことが出来た。
練習を終えると町田怜香が話しかけてくる。
「今日、調子よかったね。何かあったの?」
「うーん、なぜか今日は集中できてるかな」
熊谷君のことはもちろん言えるわけがない。
「ようやく吹っ切れた?」
その言葉で気がつく。私はインターハイ出場を逃した試合を引きずっていたのかもしれない。でも、今日はすっかり忘れていた。
「だね、心配掛けてたと思うけどもう大丈夫だよ」
「よかった。間に合ったね。エース、期待してるよ」
「まかせて」
「うん、その笑顔が出れば安心だね」
怜香は頷きながら去って行った。
◇◇◇
どうして自分が不調を脱せたのか。その理由は分かっていた。昨日、熊谷君と話して全てを吐き出したからだろう。あれで嘘のようにこれまで気にしていたことが過去のものになった。
お礼しなくちゃ。私は部活の帰り道に自販機に立ち寄り、いつも熊谷君が飲んでいるコーヒーを買う。ついでに自分用のスポーツドリンクも買った。
堤防に行くと、やはり熊谷君が居た。立ち上がり、近づいてくる熊谷君に私は言う。
「あ、いいよ。座ってて」
私の方から近づいていき、隣に座った。
「今日は私も飲み物持ってきたから」
そういってスポーツドリンクを出す。
「それから……これ」
私は熊谷君がいつも飲んでいる甘い缶コーヒーを渡した。
「え?」
「昨日、悩み聞いてもらったお礼」
「いいよ、そんな」
「いいからもらって。せっかく買ってきたんだから。これで良かった?」
「ああ、大丈夫。ありがとう」
「うん、こちらこそ、悩み聞いてもらってありがと。おかげで今日は上手くいったよ。好調に戻ったみたい。バンバン入った」
私は親指を立てて、どや顔を見せた。
「おお、そうか」
「うん! 何とか試合に間に合ったよ。ギリギリだった」
「試合はいつなんだ?」
「明後日の日曜。だからギリギリ。このままだと先発できなかったかも」
「そうか」
「だから熊谷君には感謝してるんだ」
「俺は何もしてないけど」
「でも、話聞いてくれたから。私って、ため込むタイプだからさ。なかなか人に相談できないんだよね。でも、熊谷君にはなぜか話せたから」
「まあ、俺は部外者だからな」
部外者。その言葉になぜか、反発しそうになる。でも、確かにそうだ。
「……うん。でも、それがよかったのかも」
「そうか、役に立ったなら良かった」
「うん……ねえ、これからも時々、話聞いてもらっていいかな?」
思わず私は言ってしまう。
「え、ああ、もちろん、いいぞ」
「と言ってもここで会ったら話すだけだけどね」
「別に俺は構わないから。バイト帰りに来てるだけだし」
「ありがと。あ、コーヒー買ってくるから」
「いいよ、バイトしてるから俺の方が金はあると思うぞ」
「……そっか。じゃ、ときどき買ってくるね」
「おう」
熊谷君とここで会う約束をしてしまったようなものだ。何となく気恥ずかしくなる。
「よしと、行くか。じゃあ、また明日ね!」
「おう、気を付けて帰れよ」
「うん!」
私は自転車に乗った。また、明日、ここに来よう。
◇◇◇
俺は市村の話を聞く約束をした。ってことは、市村と会う約束をしたってことだよな。
俺は、少し嬉しくなった。
また明日、って言ってたよな。明日も楽しみだ。
…って、明日は土曜。バイト無いんだった。どうしよう……
市村の連絡先とか知らないし、もしここに来て、俺がいつまで経っても来なかったらきっと悲しむよな。
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