第3話 迷惑


 金貨を革袋に入れてマリアに支払う報酬を用意していると、唐突に横に押し飛ばされた。持っていた金貨が何枚か床に散り、踊る。



「おっと悪いな。無能過ぎて空気かと思ったぜ」



 ルイワーツが机上に残る金貨を横取りする形で、自分の革袋に詰め始めた。

 ハルトの先輩にあたるルイワーツは、同じ受付課なのだが、事ある毎にハルトに絡み、嫌がらせを繰り返していた。



「ルイワーツさん、それ僕が出してきた金貨——


「——バーカ。知るかよ。お前がもう一度出して来いよ」



 どこにでも、こういう輩はいる。

 ハルトは前世の公務員時代を思い出していた。自分の得にはならないとしても、人の邪魔をし、苦労を強いる。他人をコケにして自分の価値が高まったかのような気でいるのだ。前世でもそのたぐいの人間は時々見かけた。


 ハルトはそれ以上、ルイワーツに反論はせず、床に散らばった金貨を1枚ずつ拾っては衣服ブリオーの裾で綺麗に磨いて袋に入れ、また拾い、と繰り返した。チリがついた金貨を上客であるマリアに渡すわけにはいかない。


 感情を見せず淡々としているハルトが気に食わなかったのか、ルイワーツは、お前のせいで苛立いてるんだぞ、と突きつけるように大きく舌打ちをした。



「お前鑑定師になったからって良い気になるなよ?」


「なってません」


「鑑定師なんて難関だって騒がれてるだけで、実際誰だって取れる。くそみてーな資格をわざわざ取って、ギルドマスターに媚び売ってんじゃねぇよ」


「売ってません」



 ルイワーツは金貨の準備が完了したようだったが、準備室を離れようとしない。

 早く冒険者に報酬渡しに行けばいいのに、とは思うがハルトは黙っている。言えば、さらに面倒なことになるのは火を見るよりも明らかだ。



「お前に鑑定された客は可哀想だな。素人鑑定で鑑定師の相場を荒らすなってお抱え鑑定師も言ってたぜ?」



 ハルトは鑑定師業で生計を立てるわけではなく、あくまでギルド職員として必要な場面で鑑定しているだけなので、相場に変動はほとんどない。だが、ハルトはやっぱり反論はしない。なるべく早くルイワーツに去ってもらうには黙っているのが正解なのだ。








「迷惑なんだよ、お前」








 ルイワーツはそう吐き捨てると、カウンターに戻って行った。

 ハルトの胸に鉛がつっかえているような鈍い重さが残る。

 気にすることはない。取るに足らない人物の取るに足らない言葉だ。


 気にすることはない、ともう一度自分に言い聞かす。自分を励ませば励ますだけ、胸の重りはミシミシと重量を増すように感じられた。





「迷惑、か」





 少しぼんやりとしていたハルトだが、おっと、とマリアを待たせていることに気が付き、慌てて、金貨を拾い上げた。








 ♦︎








「ごめんね、お待たせ」とハルトがカウンターに戻ると、「大丈夫。そんなに待ってないよ」とマリアが答えた。



 待ってない、なんてことは絶対にない。かなり待たせたはずだ。ハルトに気を使わせないように言ったのだろう。

 マリアの優しさが身に沁みた。



(ルイワーツにマリアさんの爪の垢を煎じて飲ませたい。いや、でもなんかマリアさんが汚される気がする。やっぱり飲ませたくない)



 マリアは金貨を受け取ると帰り支度を整え始めるが、途中、「あ、そうだ」と何かを思い出すように呟いた。

 マリアさんまつ毛長いなぁ、とハルトはマリアに見惚れながら何となしに聞いていた。

 まさかマリアの口からとんでもない爆弾発言が飛び出るとは夢にも思わなかった。











「私、今月いっぱいで冒険者やめる事にしたんだ」










 私、お料理教室に通い始めたんだ、くらいのノリでマリアが言った。



「そーなんだぁ…………て、ぇええ?! 今なんて?!」



 マリアの美貌にぼんやりしていたハルトは一瞬で現実に引き戻された。



「だからぁ。辞めるんだよ冒険者」


「ぇえええええ?! 今なんてェ?!」


「何回言わせるのさ。絶対聞こえてるでしょ」


「辞めてどうすんのさァ?!」



 マリアは何故かむすっとした顔で視線を逸らした。それから「実はさ」と、井戸端会議のおばちゃんくらいの軽さで話し出した。



「実はさ、この前、こうちゃんにさァ——」


「——ちょっと待って。唐突に出てきたけど、コウちゃんって誰……?」


「え? 皇帝だけど?」とマリアがあっけらかんと答える。



(ちゃん付けしとるゥゥウ! この人、皇帝にちゃん付けしとるゥゥウウ! せめて名前にちゃん付けて上げて?! ルシアスちゃんと呼んだげて!)



 ルシアス陛下に聞かれたら不敬罪で首が飛びそうなことを心の中で叫ぶ。

 ——が、ハルトの心の叫びはマリアには届かない。マリアは続ける。




「で、その皇ちゃんがね、私に領主やらないかー、って言うからさぁ。やるー、ってね、言ったの」



 ハルトはいた口が塞がらなかった。



(『言ったの』じゃないよ! 何この人、『今度みんなで海行かね?』くらいのノリで領主引き受けてんの?! てかマリアさんが冒険者辞めるとか、もはや国家レベルの損失だろ!)



「な、な、な、なるの?! 領主に?!」とハルトがどもりながら詰め寄る。言いたいことはたくさんあったが、とりあえずマリアが本気なのか、知りたかった。


「うん。実はもう爵位しゃくい貰ってんだー。辺境伯へんきょうはく」とマリアがにっこりと笑い、顔の近くでピースサインを作る。その顔には、迷いや後悔など微塵も見えない。ただただ美しい。



(ここまで武を極めておいてあっさり捨てられるのがいっそマリアさんらしい)



「で、ね」と唐突にマリアがうつむいて頬を染めた。

「普通、領主って男じゃない? いち領地の大黒柱というかぁ……だからぁ、そのォ、私がやるだけじゃ意味なくてぇ、えーっと、つまりぃ——」



 マリアさんにしてはもじもじと歯切れが悪い。ハルトが首を傾げて辛抱強く聞いていると、事務室の方から「ハルト! ハルトはどこにいる!」と叫びが聞こえた。



「——あ、呼ばれてる。ごめん、マリアさん、この話はまた今度」



 そう言うとハルトはマリアに背を向けて駆け出した。

 事務室からハルトを呼ぶ声が何やら怒ってるっぽいことに、とてつもなく嫌な予感がした。



「あ、ちょっと! ハルトくん?!」とハルトを引き止めようとするマリアの声に、ハルトは心中で謝罪しながら、事務室に向かった。

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